プロダクト・マネジャー室(うちのごはん)

入社04年4月

モノをつくる仕事に興味があった

食品業界に目を向けたのは、何かモノづくりに取り組みたいと考えたからです。
入社後、まず配属されたのは首都圏支社の量販営業部という部署。ここで担当したのは、関東一円に展開する大手リージョナルスーパーでした。この配属は「最初に大きな取引を手がけたい」という、私の希望を叶えていただいたものです。
営業活動をスタートしたものの、最初は何も分からない状態。まず、突き当たった課題は、自分なりのコミュニケーション術をどう確立していくかということ。とにかく先輩について行き、どのように相手と接しているのかを観察。自分なりのやり方をつくり上げていきました。

そもそも、自社の製品についてもよく分かっていない、商談の進め方もはっきりしたものが確立されていない状態でしたが、とにかく、がむしゃらに取り組んでいきました。

3~4年目

自発的な課題解決に取り組む

3年目に入る頃からは、お客様別にどのような課題が潜んでいるのかを自分なりに分析し、それを解決していく方法を探っていくようになりました。とにかく、一番やりたくなかったことは、前任者のやり方をそのまま継承していくことでしたね。一つひとつ、自分だったらどうするか?と、見直しを加えていきました。
当社ではしょうゆをはじめ、つゆ、たれ等、幅広い商品を手がけています。1つのスーパーに入れているアイテム数は、約80~100品目にもおよびますが、そのうえで新たな商品の導入も働きかけていかなければなりません。他のチェーンではどこにでも入っているにもかかわらず、このお店だけ入っていない商品はないか?原価設定が、他と比較して極端に低くなっていないか?等々、見直すべきポイントはいくらでもあるのです。

異動07年9月

開発は粘りだと知る

いよいよ、やりたかった商品開発を手がけるプロダクト・マネージャー室(PM室)へ異動。まず担当することになったのは、2002年に第一弾が発売となった「うちのごはん」です。ここで、新シリーズの立ち上げに携わることになりました。
開発を手がけるようになって痛感させられたのは、自分が何をやりたいのかを、開発メンバーに向けて明確に発信していくことの大切さでした。与えられた時間は、わずか2カ月あまり。30~40もの試作品をつくりながら、絶えず改良を繰り返す日々。夢の中にまで仕事をしているシーンが出てきましたが、何とか期日に間に合わせることができました。翌年2月からは店頭に並べられ、売れ行きも好調。この開発を通して、最後まで粘ることの大切さを学びました。

PM室で手がけるのは、味やパッケージの開発だけではありません。採算計画や製造方法にいたるまで。1つの製品における、事業の川上から川下までの全てを見ていかなければなりません。

8~9年目

世の中に、新しい価値を

以来、PM室でさまざまな商品開発を手がけてきましたが、最も印象深かったのは2012年2月に発売された新シリーズ「できたてMy Deli」です。これは、容器自体が調理器具となっていて、食材とそうざいの素を加えるだけでおかずができあがるというもの。
モノをつくるうえでの私のこだわりは、まだ、世の中にないモノをつくり出したいということ。しかも、それが世の中にある課題を解決していく上で役立つものであること。そうしたモノでないと、売れないんじゃないかと思います。この「できたてMy Deli」は、こうしたこだわりを具現化した製品ということで、自分の中では大きな意味を持っています。一人暮らしの高齢者、疲れて帰宅した単身赴任者の方にも便利に、そしておいしく召しあがっていただける商品だと確信しています。

Ideal

 

田島 圭の「目指すもの」

1つの商品開発を完遂させるまでには、さまざまな専門知識を持ったメンバーが協力して仕事を進めていかなければなりません。「人を動かすのは、やはり、その商品をつくることの意味」だと思います。まずは、その商品をつくることで、どんな良いことがもたらされるかを分かりやすくメンバーに伝えていくことが、商品企画に携わる私の役割です。こうして、世の中に必要とされるものをつくり続けることで、10年、20年先を見据えながら「うちのごはん」ブランドを、絶えず進化させていきたいです。