研究機関誌「FOOD CULTURE No.12」世界の食文化雑学講座 第10話

オリエントで生まれヨーロッパで熟成したワイン

西アジアでワインが生まれた当時、ワインは心地よい酔いをもたらす飲み物というよりも、保健飲料として、また治療薬として飲まれていた。脂肪が多い羊肉を食べていた人々の血液を健康に保ち、病の痛みをアルコール作用で麻痺させて忘れさせる目的にも使われた。後年、ペルシアではワインを「薬のなかの王」と表現したほどである。

「生命の樹」から生まれた神の恵み

ワインの歴史は、人類が採集生活をしていた太古の時代まで遡り、次第に農耕生活へと移り変わる過程で原料のブドウを栽培するようになり、以後、人類の文化史の一部を彩ってきた。人類が地球上に現れる以前から、大陸にはブドウの木が群生していた。人類は、そのブドウの汁を搾って飲み、ときには蜂蜜を混ぜて飲んでいたようだ。さらには、皮袋などに貯えることもあり、蜂蜜が混ざったものであればすぐに醗酵してワインになっただろうと考えられる。これが人類とワインの出会いである。
ワイン造りの発祥の地は、チグリスとユーフラテス河の間、メソポタミアだと考えられている。そこでシュメール人によってワイン醸造が発明され、エジプトへ伝えられたという。それは、今から8千〜1万年前だとされている。
この説は、メソポタミアの遺跡から6千年以上も前のロール・シール(ブドウ模様などを浅く浮き彫りにした丸い石棒)が出土したことで証明された。醸造したワインを樽の上部の小さな穴から入れて貯蔵するが、その穴を粘土で密閉した上にロール・シールで押さえつけながら転がす。この粘土が乾燥して栓の役割を果たして樽に異物が混入されるのを防ぎ、ロール・シールはシュメールのワイン職人の誇りを刻印したと考えられている。一方、エジプトでは「ワイン」と刻まれた酒壷が発見されている。これは、紀元前2850年頃の古王国時代が始まる少し前のもので、シュメール人が残した遺物より時代は新しい。いずれにしても、シュメール人やエジプト人は、ブドウのことを「生命の樹」と呼び、ワインは神が授けた飲み物と考えていた。
以後、ワインの文化圏は西アジアからヨーロッパへ渡り、ギリシア人によって現在にまで伝わるヨーロッパのワイン文化が芽生え、ローマ人によって洗練された。

醸成中のワインのテイスティング風景

ナポレオンの晩年は白ワインと共に

ワインはローマ人に伝えられるまで、水で薄めて飲まれていた。ローマ人もはじめの頃はギリシア人と同じように水で薄めていたが、食生活が豊かになるにつれて水割りの度合いは低くなり、徐々に濃いめのワインを飲むようになった。現代のフランスでは、安いワインはミネラルウォーターより安いからか、水のようにワインを飲むと言われる。しかし、最近ではフランスのワイン消費量は減っているという説もある。
フランスの皇帝ナポレオン1世は、アフリカ南部の沖合いに浮かぶセント・ヘレナ島に流刑になったが、そこでナポレオンを慰めたのはワインだった。このワインは、現在の南アフリカ共和国のコンスタンシア地方から送られたもので、そこでは上質のワインが生産されていた。18〜19世紀にかけ、甘味を秘めたコンスタンシアの白ワインはヨーロッパの貴族にもてはやされた。ナポレオンがセント・ヘレナ島で愛飲したのもコンスタンシアの白ワインだったという。
そのワインのコルクはポルトガルのコルク樫で作られていただろう。ポルトガルのコルクは伝統的な産物で、世界中から注文がくる。ところが1980年代、世界的にワインの大量生産が行われて注文が殺到した。そのとき、ポルトガルのコルク栓工場では手工業的に作っており、加えて石油危機問題もあって簡単に増産できず、ワインの生産を控えざるを得ないという事態が起こったことがある。
ワインは人類の歴史と共に歩んできた。その中に人類の叡智が刻まれて、そのときどきの文化の薫りや政治の匂いまでもが漂う。

ナポレオン一世の肖像画 流刑地セント・ヘレナ島で1821年没する SuperStock/PPS
参考文献
  1. 1『ワインの世界史』(古賀守著中公新書)
  2. 2『世界路地裏・食紀行』(財前宏著丸善)
  3. 3『洋酒うんちく百科』(福西英三著河出書房新社)