研究機関誌「FOOD CULTURE No.13」世界の食文化雑学講座 第11話

数千年も前に人類が造ったもっとも古い発酵食品「チーズ」

その起源は定かではないが、紀元前4000年のエジプトの壁画や同3500年のメソポタミアの石版画にチーズ製造と思われる絵が確認されている。おそらくこの頃から、西アジアか中近東あたりを発祥地として製造が始まったというのが学術的な定説であることから、チーズは人類が造った最古の歴史をもつ醗酵食品の一つであるといえるだろう。

ドン・キホーテが常備していたチーズ

昔、アラビアの商人が羊の胃袋で作った水筒に山羊の乳を入れ、ラクダに乗り旅をしていた。ある日の夕刻、水筒の乳を飲もうとしたら、乳は透明な水と白い塊に分離していた。商人がおそるおそるその白い塊を口にしたところ、思いもよらないおいしさを知った。この白い塊がチーズの原形だったといわれている。
これはアラビア民話に残るチーズ誕生の話だ。科学的には、羊の胃袋で作った水筒の内側に付着した「レンニン」という酵素が乳を固め、砂漠の強い日差しやラクダの歩く振動で脱水された結果、チーズの塊ができたことになる。この原理が現在のチーズ製造の基本である。
その後、このチーズ製造の方法がヨーロッパへと伝えられた。旧約聖書のサムエル記に「蜜とバターと羊のチーズをダビデと……」という記述があり、紀元前1000年頃には古代ギリシャに伝わっていたと考えられる。その後ローマ帝国の勢力拡大に伴い、チーズ製造技術はヨーロッパ各地へと伝播していった。
1600年代の初頭、スペインの作家・セルバンテスの小説『ドン・キホーテ』の中で、主人公のドン・キホーテはチーズを常に持ち歩いていたという記述がある。ドン・キホーテがラ・マンチャの荒野を旅する途中、野外で山羊飼いに夕餉をご馳走になる話があるが、その際に彼が愛馬の鞍に括りつけた袋の中から、固いチーズを取り出す場面がある。これはまさしく、「マンチェゴ」という羊の乳で作る硬いチーズだったとされている。この「マンチェゴ」はスペイン産の有名なチーズで、そのラベルにはドン・キホーテとサンチョ・パンサ二人の姿がイラストになって描かれている。

仏教とともに極東に伝えられた「醍醐味」

チーズ製造の技術は、その後インドへも伝えられた。インドでは、チーズとバターの中間くらいの醗酵過程のものを「醍醐」と呼び「最高の味」という意味合いで仏典にも記述されている。普段使い慣れている「醍醐味」の語源はここからきている。
インドから百済を経て日本とへ仏教が伝来した際に、「蘇(やゆ)」というチーズの原型に近いものが伝えられた。それ以降、飛鳥時代頃から「蘇」は日本でも造られるようになり、朝廷の貴族の間で健康食品として珍重された。文武天皇の時代には、『有官史記』の中に「文武天皇4年(西暦700)10月(新暦11月)、文武天皇が使いを遣わし、蘇をつくらしむ」との記述があり、諸司に「蘇」を献納するように命じている。
その後、朝廷の威力衰退と共に、「蘇」も歴史から消えている。乳製品の食文化が復活するのは、江戸時代の八代将軍・吉宗の時代である。吉宗はインドから献上された3頭の白牛から「白牛酪」を造り、薬や栄養食品として珍重した歴史がある。白牛酪は、白牛の乳1斗を鍋に入れ、砂糖を混ぜて火にかけ、丹念にかき混ぜ石鹸ほどの硬さに煮詰めて造る。これは肺結核に効果があるといわれ、わずかだが江戸の町中でも売られたという。
日本での本格的なチーズは、北海道にデンマークから酪農技術が導入されたのを機に製造が始まった。しかし、大量に造られるようになるのは昭和に入ってからである。さらに一般家庭に普及するのは戦後であり、消費が伸びたのは1980年代に入ってからだといえる。ちなみに、農林水産省が発表した「チーズ需給表」をみると、日本での消費量は1985年の10万9千トンから2004年には26万6千トンに伸びている。

「ドン・キホーテ」(『岩波少年文庫506』ミゲル・デ・セルバンテス作 牛島信明編訳 ホセ・セグレーリェス画)
徳川吉宗へインド産の白牛が献上され、日本の酪農が始まった(千葉県酪農のさと・酪農資料館