研究機関誌 「FOOD CULTURE No.36」ユネスコ無形文化遺産に登録された 日本の“伝統的酒造り” ~麹菌の働きとその重要性~
ユネスコ無形文化遺産に登録された 日本の“伝統的酒造り” ~麹菌の働きとその重要性~
「伝統的酒造り」のユネスコ無形文化遺産登録
2013年の「和食」のユネスコ無形文化遺産登録に続いて、2024年に「伝統的酒造り」が登録された。しかしながら、申請から登録までには、国内手続きを含めて下記のような周到な準備がなされた。
まず、「伝統的酒造り」の国内での登録無形文化財への登録である。そのための保持団体「日本の伝統的こうじ菌を使った酒造り技術の保存会」(会長 小西新右衛門氏)が2021年4月に設立された。2021年10月15日に文化審議会は、日本の伝統的なこうじ菌を使った酒造り技術である「伝統的酒造り」を登録無形文化財に登録する旨、文部科学大臣に答申した。これと並行して進められていた「日本の伝統的なこうじ菌を使った酒造り」調査報告書が国税庁から2021年12月に発表された(https://www.nta.go.jp/taxes/sake/koujikin/pdf/0021012-102_01.pdf)。監修・寄稿(敬称略)は、一島英治(東北大学名誉教授、東京農工大学名誉教授)、神崎宣武 (前旅の文化研究所所長)、北本勝ひこ (東京大学名誉教授、日本薬科大学特任教授)、小泉武夫 (東京農業大学名誉教授)、後藤奈美 (酒類総合研究所前理事長)、 鮫島吉廣 (鹿児島大学元教授)、ジョン・ゴントナー (SAKE WORLD株式会社代表取締役)、 門司健次郎 (元ユネスコ大使)である。短い期間でまとめられた報告書であるが、「伝統的酒造り」における麹の重要性などが詳しくまとめられている。
続いて、2022年2月25日に文化審議会無形文化遺産部会において、「伝統的酒造り:日本の伝統的なこうじ菌を使った酒造り技術」が本年度のユネスコ無形文化遺産への提案候補として選定された。ただし、この年は一つの国からの提案書の数に制限があることから審査が見送られた。翌年、2023年3月8日に開催された無形文化遺産部会において、「伝統的酒造り」が再度ユネスコ無形文化遺産代表一覧表への提案候補として選定された。これにより登録申請がなされ、1年余りの審査を経て2024年11月5日に無形文化遺産保護条約政府間委員会の評価機関より「記載」の勧告があり、2024年12月5日にパラグアイで開催された第19回政府間委員会において、ユネスコ無形文化遺産代表一覧表への登録が決定された(図1)。この登録決定のニュースはテレビ等のマスコミで大きく報じられ、全国各地の酒蔵の映像が頻繁に流れたのも記憶に残る。上記のように、登録に向けて国税庁と文化庁が主体となって準備を進めてから5年近くの時間を要したプロジェクトが完遂した。
「麹」と「糀」と「こうじ」
本登録申請時での酒類関係のユネスコ無形文化遺産登録は、ジョージアのワイン(2013年)、ベルギーのビール文化(2016年)、モンゴルの馬乳酒(2019年)の3件であった。 そのためにこれらの酒類との差別化を明確にする必要があった。それが、「こうじ菌を使った酒造り」である。ここで、こうじ菌とひらがなで書かれているのは、麹菌研究者から見ると違和感がある。なぜなら、学術用語では、「麹」と漢字で書くのが普通だからである。このように、古くから酒や味噌・醤油に使われている麹であるが、色々な字が使われており、漢字でも「麹」の他に「糀」という字も使われる。
「麹」は、中国から伝わった漢字で、訓読みは「こうじ」、音読みは「きく」。訓読みがあることから、7世紀頃に伝わった時には、我が国ですでに麹が使われていたと推定される。訓読みのない漢字としては、茶、菊などがある。これらは漢字が伝わったときに日本に存在しなかったためである。「糀」は、江戸時代に日本で作られたもので国字と呼ばれる。従って、訓読みだけで音読みはない。米を使う日本の麹なので、麦へんではなく米へんであるのは理にかなっている。
図2に日本の酒造りに使用される散麹(ばらこうじ)と中国の紹興酒に使われる餅麹の写真を示す。紹興酒の麹は米ではなく麦を使って作られる。ユネスコ登録での「こうじ菌を使った酒造り」では、「こうじ」とひらがなとなっているのは、酒税法の文言では「麹」ではなく「こうじ」と書かれているためと思われる。以上、「麹」、「糀」、「こうじ」があるが、本解説では一般に多く使用される「麹」を使うこととする。
麹の役割
和食のうま味は、麹を用いて造られる味噌、醤油、味淋、食酢、日本酒などによってもたらされている。麹菌は和食の味を決める立役者と言えるだろう。比較的最近、登場してブームとなった塩麹は、今や世界で注目を集める調味料となっている。麹菌は食品以外でも古くから利用されている。明治27年に高峰譲吉により実用化された消化酵素製剤であるタカジアスターゼはその代表的なものである。現在でも胃腸薬の成分として広く使われている。
また、麹菌は遺伝子組換え宿主として有用タンパク質の生産にも使われている。その代表的なものとして洗剤に添加されている酵素剤がある。これは、糸状菌のHumicola lanuginosaのアルカリリパーゼが麹菌により生産されている。本来のH. lanuginosaの生産量は少ないが、その遺伝子を麹菌に導入して高生産されている。
世界各地で様々な伝統的酒造りが行なわれている(図3)。最もシンプルなものはワインである。ブドウに含まれる糖分を酵母が直接発酵してアルコールを生成する。世界の多くの酒は、主食の穀物を原料とするもので、米から造る日本酒や紹興酒の他に麦から造るビールなどがある。穀物に含まれるデンプンを酵母は直接発酵できないのでデンプンを糖化する工程が必要となる。すなわち、デンプンをアミラーゼ(糖化酵素)によりグルコースなどの糖に分解した後、酵母によりアルコールを生産する。この糖化工程は、東洋ではカビの、西洋では麦芽のアミラーゼが使われている。口噛み酒(くちかみざけ)も歴史的に世界各地で造られている。穀物などデンプン質の原料を噛んで壺などの容器に溜め、自然発酵により造られるもので、デンプンは唾液中のアミラーゼの働きで糖に分解される。それを吐き出して溜めておくと、酵母が糖を発酵してアルコールを生成する。口噛み酒は東南アジア、南太平洋地域、南米など世界各地でみられる。
酒を造るという意味の「醸(かも)す」は、 「口噛み酒」の「噛む」が語源であるとする説がある。 また、「かぶ(かびが生える)」に由来するという説もある。「噛む」から「黴(かび)る」を経て「醸(かも)す」と変遷したのかもしれない。
日本酒に使われる麹菌の学名は、Aspergillus oryzae(アスペルギルス オリゼ)であり、糸状菌の仲間で細長い細胞がつながった糸状の菌糸を作る。楕円形をした清酒酵母と形態は異なる。増殖を続けると胞子柄を立ち上げ胞子を形成する(図4)。オリゼはイネのことであり、米に繁殖するアスペルギルス属のカビということになる。胞子は酒造りでは種麹または「もやし」と呼ばれる。
日本酒造りでの麹の働きは次のように説明される。まず、 蒸し米に種麹を散布して約44時間培養すると麹ができあが る。麹にはアミラーゼやプロテアーゼなど様々な加水分解酵素が含まれる。その中でも、アミラーゼが最も重要であり、 米のデンプンをグルコースに変える働きがある。酵母はこの グルコースをアルコールに変換することにより酒が造られ る。プロテアーゼなどもアミノ酸やペプチドなどのうま味成分を作るのに働いている。また、麹にはビタミンやミネラルなどの栄養素を酵母に供給し、酵母の増殖を促す働きがある。麹菌のゲノム情報などからは、100種類を超す様々な加水分解酵素を生産することがわかっており、アミラーゼやプロテアーゼ以外にも量は少ないものの酒の風味に影響を与えている酵素も数多くある。
醪(もろみ)の中では、麹により糖化されたグルコースを酵母がアルコールに変換するが、麹はアミラーゼのほかにプロテアーゼも含んでいる。これにより生じたアミノ酸やペプチドは、酵母を増殖させ、酒の風味にも大きく影響する。糖化と発酵というまったく違う作業が一つの醪の中で同時に行われている。このことを並行複発酵といい、日本酒が世界の醸造酒の中で一番高い、20%近くのアルコールを生成できる理由でもある。
甘酒の種類と健康機能性
甘酒には2種類のタイプがある。すなわち、麹甘酒と酒粕甘酒である。麹甘酒はアルコールを含まないが、酒粕甘酒には微量のアルコールが含まれる(1%未満)。
麹甘酒の起源は古く、江戸時代には、夏の風物詩として「甘酒売り」が庶民の飲み物として飲まれていた。特に夏に好んで飲まれていたのは、栄養豊富な甘酒が夏バテを防いで、滋養と強壮によいことを当時の人は知っていたからだろう。
最近、甘酒の機能性成分について研究が進められ、以下に列挙するように酒粕や米麹には、健康や美容によい成分がたくさん含まれていることが分かってきた。抗酸化作用、(アンチエイジング作用)としては、甘酒の抗酸化活性、(崇城大学 2007年、金沢工業大学 2009年、金沢大学 2011年) 、甘酒の抗酸化物質としてエルゴチオネインの発見(八海醸造 2016年)などがある。整腸作用や腸内菌叢(きんそう:フローラ)の改善としては、米糠麹中のビフィズス菌増殖促進オリゴペプチド(キッコーマン 1991年)、米麹菌の酸性プロテアーゼを食べると腸内善玉菌が増加(広島大学 2016年)、麹に含まれるグリコシルセラミドに腸内細菌改善作用(佐賀大学 2016年)などがある。エルゴチオネインについては、その高い抗酸化活性から長寿ビタミンとも提唱されており注目が集まっている。保湿作用としては、麹に含まれるグリコシルセラミド(佐賀大学 2016年)、麹のα-グルコシダーゼにより作られるα-エチルグルコシド(金沢工業大学 2018年)が知られている。
また、甘酒は飲む点滴とも言われる。麹菌の酵素によって、米に含まれるデンプンがブドウ糖に、タンパク質がアミノ酸に分解される。グルコース、必須アミノ酸、ビタミンB群(ビタミンB1、B2、B6、葉酸、ビオチン、ナイアシン、パントテン酸など)が豊富に含まれており疲労回復に役立つ。これまで、ヨーグルトと比較して機能性研究が遅れていたことから、機能性食品として市販されたものはなかったが、2024年に麹菌由来で初の機能性表示食品として、八海山あまさけが上市された。その表示内容は、麹菌Aspergillus oryzae HJ1株が、腸内環境を整え、便通を改善する機能並びに麹由来のグルコシルセラミドが肌の潤いを守るのを助ける機能となっている。今後、ヨーグルトのようにたくさんの機能性食品が登場することが期待される。
甘酒の市場は2009年に119億円、2015年に167億円、2017年に246億円と爆発的な増加を示した。最近では、免疫力向上への期待などから再び消費が増加し、第2次ブーム到来と見る向きもある。
甘酒の歴史
奈良時代に成立した「日本書紀(720年完成)」には、木花咲耶姫(このはなのさくやびめ)によって天甜酒(あまのたむさけ)が醸造されていたことが記されている。この天甜酒は、 現在の甘酒に近いものと考えられる。奈良時代の「養老律令養老令」には造酒司(みきのつかさ)が定められ、甘酒に近い造り方の醴(訓読み:こさけ、あまざけ 音読み:レイ、ライ)を醸造していたことが記されている。さらに、平安時代の「延喜式」には、6月から7月にかけて醴を作っていたと記録されている。
中世になると、大寺院で造られる僧坊酒(菩提山正暦寺、天野山金剛寺など)や、町で酒を造って売る酒屋が現れてきた。酒屋とは別に、麹を専門に製造する業者もいた。石清水八幡宮(京都府八幡市)や北野天満宮(京都市上京区)の「麹座」が有名である。麹は酒造りだけでなく、甘酒作りなどにも利用されており、室町時代の京の町では麹売りが街に出て商っていた。日葡辞書(イエズス会宣教師により1603年に編纂された日本ポルトガル語辞書)に(amazaqe)の項目があり、「甘酒;まだ泡立っていて完全な酒になりきっていない発酵汁、あるいは、甘い酒」とある。これにより、江戸時代初期には、「あまざけ」と呼ばれていたことがわかる。江戸時代中後期の「塵塚談(ちりづかだん)」によれば、江戸では甘酒はもともと寒い冬に売り歩いていたものが、暑い夏でも売られるようになったと記され、また、甘酒屋では四季を通して商っていたことが述べられている。
幕末の「守貞謾稿」では、江戸(東京)、京坂(当時の京と大坂間の淀川流域)の行商人による甘酒販売についてふれている。甘酒一杯の値段は、江戸では8文、京坂では6文だった。甘酒は落語の小噺にも取り上げられるほど庶民になじみが深い飲みものだった。特に京坂で盛夏の飲み物として人気があり、暑気払い、栄養補給を兼ねた風物詩だったことから、俳句では夏の季語にもなっている。江戸時代からつづく神田明神の甘酒屋には、「天野屋」の「明神甘酒」と「三河屋綾部商店」の「延寿甘酒」がある。「天野屋」の前に貼られている麹室の図によれば地下に掘られた麹室で麹を作っていたことがわかる。このような地下室での麹作りは本郷台地にある東京大学赤門付近でも行われていたことが発掘調査で明らかになっている。
腸管免疫と超生命体
甘酒などの発酵食品を食べると免疫力がアップすることが経験的に知られている。現代は食生活やライフスタイルの変化が原因で、日本人の腸内環境が悪化しているといわれている。以前は少なかったアレルギー性疾患や自己免疫疾患が増えたのは、腸内環境の変化が原因の一つという指摘もある。
腸管免疫系は、全身の免疫系の約70%を占める主要な系であり、病原細菌を識別し排除する。しかし、最近の日本のように過度に衛生状態がクリーンになると、時として免疫応答が過敏になりアトピーや花粉症が問題となっている。人間の細胞は約38兆、腸内には、100〜200種 類、70〜100兆個の細菌が生息している。細胞数から見ると人間より細菌の方が多いのだ。(人間+細菌)を合わせて超生命体(Superorganism)と呼ぶことを、ノーベル賞受賞学者であるジョシュア・レーダーバーグ博士が2000年に提唱している。すなわち、「人間はヒトの細胞と体内に生息する細菌とで構成されている」という考え方である。
また、腸内に生息する細菌の種類により、ヒト(宿主)の健康は大きな影響を受けることが明らかになりつつある。具体的には、肥満、認知症、さらに寿命までに影響を及ぼすことがネズミなどの実験で判明しつつある。ちなみに、超生命体という用語は、ゲーム「にゃんこ大戦争」(2010年に配信されたゲームアプリ)に登場するようであるが、レーダーバーグ博士の方が10年早いことになる。
腸管免疫に関する学説として、「衛生仮説」がある。1989年にStrachanが英国人(17,414名)を対象とした23年間の追跡調査を行い、花粉症の割合が幼少時の成育環境における細菌やウイルス感染暴露が少ない、つまり衛生的であることがアレルギーの発症原因になるという衛生仮説 (Hygiene Hypothesis) を提唱したものである。これは、仮説と呼ばれているが、その後、欧州や日本など多くの国や地域で同様な疫学的調査が行われ、Strachanの仮説と同様の結果が得られている。
これによると、ヨーグルトなどにより乳酸菌を摂取するのは、疑似細菌感染という意味で効果的ということができる。しかし、環境中には、細菌、カビ、酵母などの様々な微生物が存在する。乳酸菌は細菌の仲間であり、安全な微生物である。カビの仲間で、安全な微生物は何かと考えてみると、 食品に使われているカビとして味噌や醤油の麹菌、それにロックフォールチーズなどのアオカビが頭に浮かぶ。甘酒は麹菌をそのまま摂取する食品であり、安全なカビを摂取するという意味では最も適している。日本酒や味噌も健康に良い成分を多く含んでいるが、それぞれ、エタノール、食塩を含むため過度の摂取は健康被害を起こす。甘酒はそのようなことがない。
日本薬科大学で甘酒プロジェクトを2016年4月に開始 した。麹菌のもつ様々な機能(健康、美容など)を、広く、国民に知ってもらうことを目的とした。キックオフミーティング で発表したロードマップは図5の通りである。ここに示した「2025年 甘酒の生産量、消費量がヨーグルトの20%以上となる。」は実現していないように思うが、甘酒の消費量は着実に増加してきている。このプロジェクトで、「アトピー、花粉症の人が日本では10%?減少するかも!!」はまだ実感としては実現していないが、10年後に期待したい。そうすれば、「国民医療費の削減!! 国民の健康福祉に貢献!!」することになるだろう。そして、まだまだ研究の遅れている麹菌の機能性研究の成果は、和食の健康機能性の説明に役立つに違いない。
ちなみに、ほぼ同時に企画した、東大甘酒プロジェクト(東京大学)は2020年7月になって発売となった。単科大学である日本薬科大学に比べて東京大学は組織が巨大であり発売まで東大本部での商品企画プレゼン、製造会社の選定、販売方法など、思いの外に時間がかかり予定よりだいぶ遅れて東大グッズとして販売されるようになった。使用している米は東京大学農学部(田無農場)生産のもの、使用麹菌は酒の神様と呼ばれた坂口謹一郎先生の分離した麹菌を使用している。
日本薬科大学甘酒プロジェクトのスピンアウト製品として、日本薬科大が井上スパイス工業と開発した「糀カレー」が2018年に発売されている。コンセプトは和のテイストのカレーということで小麦の代わりに米粉を、砂糖は使わず甘酒の甘さでまろやかな味が特徴となっている。
日本薬科大学 甘酒プロジェクト(2016.4開始)
麹菌のもつ様々な機能(健康、美容など)を広く、国民に知ってもらうことを目的とする。
ロードマップ
2016年 日本薬科大学の甘酒(甘こうじ)第1弾 発売
2017年 甘酒 第2弾、第3弾 発売。東大甘酒 発売
(甘酒の健康機能性の研究が進む)
2020年 甘酒の人気により、大手食品メーカーが甘酒を製造販売するようになる
2021年 全国の食品メーカーや大学が、甘酒(麹菌)の機能性について研究を多数発表するようになる。
(麹菌がもつ機能性についての科学的エビデンスが蓄積される。)
2025年 甘酒の生産量、消費量がヨーグルトの20%以上となる。
アトピー、花粉症の人が日本では10%?減少するかも‼ 国民医療費の削減‼ 国民の健康福祉に貢献‼ 麹菌の機能性は、和食の健康機能性の説明に役立つ‼


麹菌 A. oryzae は我が国で家畜化された微生物
2005年に我が国の産学官の研究チームにより麹菌ゲノム解析が完了した。この結果、麹菌のゲノムサイズは37メガベースで約12,000遺伝子を持つことが明らかになった。清酒酵母と比べてゲノムサイズで約3倍、遺伝子数で約2倍であり、酵母よりかなり複雑な構造をもつ高等な微生物である。
翌年、2006年10月12日の日本醸造学会大会で、東北大学名誉教授の一島英治先生により基調講演「麹菌は国菌である」が行われ、麹菌(Aspergillus oryzae)が国菌に認定された。国の花や鳥を決めている例は多いが、国菌は世界で初めての例であった。その後、2012年にインドで ヨーグルト製造に使われるLactobacillus bulgaricusがNational microbeとして、また、2013年に米国オレゴン州でSaccharomyces cerevisiaeがState microbeとして定められている。
さて、酒造りに使われている麹菌はどこから来たのだろうか?様々なカビのゲノム解析の結果から、麹菌A. oryzaeはA. flavusから家畜化された微生物だと言われている。A. oryzaeとA. flavusのゲノム配列は全体に非常によく似ている(98%以上)が、次のような点で異なっている。すなわち、麹菌A. oryzaeはα-アミラーゼ遺伝子を3つ持ち(A. flavusは1つ)、分生子(胞子)に存在する核数は3〜5と多核(A. flavusは1つ)であり、分生子(胞子)の形成は暗条件(A. flavusは明条件)で行われるなどの違いがある。さらに、A. flavusはカビ毒のアフラトキシンを生産するが、A. oryzaeはアフラトキシン生産遺伝子に欠損があることも判明した。麹菌は以前からアフラトキシンを生産しないことがわかっていたが、ゲノム情報からもその安全性が確認された。
以上のことから、麹菌は日本人が家畜化した微生物(Domesticated microorganism)と言える。家畜化微生物としてはビール酵母が代表的なものである。最近、植物、動物などで栽培化、家畜化という概念を人間との共進化と捉える考え方が登場している。この点からは、麹菌は共進化微生物(Co-evolved microorganism)と呼ぶ方が適切かもしれない。
終わりに
ユネスコ無形文化遺産登録の経済効果と近未来の麹菌の可能性について考えてみることにする。
2013年に「和食」がユネスコ無形文化遺産に登録されたことにより、海外における日本食レストランの増加、日本酒など日本食の輸出増加という顕著な効果が見られている。観光庁の調査では、外国人が日本での旅行で最も期待しているのは、日本の食事だという結果も出ているようだ。このことから、本登録により日本酒や焼酎のさらなる輸出増加が期待されるとともに、最近増えている海外での酒造りも更に増加すると思われる。
また、近年の日本酒の輸出増加は顕著である。2022年度の輸出総額は474億円に達し、13年連続で前年を上回る金額に、また数量も35,895キロリットルと過去最高となっている。
海外での清酒の生産も増えている。アメリカ西海岸では、大関USA(1979年設立)、タカラサケUSA(1983年設立)、米国月桂冠(1989年設立)、SakeOne(1997年設立)、八重垣USA(1999年設立)が清酒を生産している。2023年に獺祭がDASSAI BLUE SAKE BREWERYをニューヨーク州に設立し生産を開始した。その他、韓国、台湾、オーストラリア、ベトナムなどでも製造されている。
海外の酒コンテストも増えている。一番歴史が古いものとして、2001年からハワイのホノルルで開催されている「全米日本酒歓評会-ジョイ・オブ・サケ」がある。主催者はハワイ在住の日本酒愛好家により設立された国際酒会という非営利団体である。インターナショナル・ワイン・チャレンジ(IWC)は1984年に設立された世界で最も権威あるブラインドテイスティング審査会の一つで、SAKE部門は2007年に設立された。KURA MASTERは2017年にフランスのパリで始まったコンテストで、審査員はフランス人を中心としたヨーロッパの人々である。SAKE selectionは2018年にブリュッセル国際コンクール(CMB)が設立した。Milano Sake Challengeは2019年に始まり、イタリア人ワインソムリエなどがミラノで審査をする。
その他、わが国で重要な産業として認識されつつある外国人の観光需要が挙げられる。いわゆるインバウンド需要である。観光庁によると2025年の訪日外国人は予想を上回る4,000万人と言われている。2030年には6,000万人へと増加が見込まれている。今後は体験型の観光が主体になるとされていることから、本登録により全国各地にある酒蔵を巡る酒蔵ツーリズムは、一層注目を浴びるに違いない。幸い、北海道から九州まで1,000を超える酒蔵が存在している。京都や富士山などに外国人観光客が集中するオーバーツーリズムが問題となっているが、酒蔵ツーリズムは人口減少に悩んでいる地方の活性化にも大きく貢献するだろう。今回の登録が単に伝統的な酒の消費拡大に貢献するだけではなく、地方創生につながるものになるかもしれない。
最後に、麹菌のもつ可能性としてマイコプロテイン(菌類から作られる代替タンパク質)が注目を浴びている。筑波大学萩原准教授が2024年に設立したスタートアップ企業である株式会社麹ラボは麹菌の代替肉・代替タンパク質開発を進めている。2021年に設立されたスタートアップ企業、アグロルーデンス株式会社では、元東京大学助教の佐賀清崇氏が麹菌の代替肉・代替タンパク質開発を進めている。アグロルーデンスとお多福醸造でマイコプロテイン生産が開始され、その製品を使ったメニュー(麻婆丼、シェントウジャン麺など)が2025年6月に、東京大学生協食堂でSustainability week2025 企画メニューとして提供された(図6)。また、比叡山延暦寺では麹菌のマイコプロテインを使った現代の「もどき料理」の開発も進んでいると言われている。酒造りで長年使われてきた麹菌がこれから異なる分野で活躍することが期待される。
本稿は、令和7年10月25日に開催されたキッコーマン食文化講座「ユネスコ無形文化遺産に登録された日本の“伝統的酒造り”-麹菌の働きとその重要性-」の講演をまとめたものである。会場参加者には麹甘酒と塩麹を作ってもらい味わってもらったが、その時の作り方を図7に示す。
なお、2025年12月20日にNHKワールドで酒造りの歴史をまとめた「SAKE TRUTH」(出演 Navigator:クリス・グレン Guest : 北本 勝ひこ、大原 弘信(正暦寺 住職)など)が放送された。現在、ビデオオンデマンド(SAKE TRUTH-Time and Tide | NHK WORLD-JAPAN))で視聴可能である。これも、ユネスコ無形文化遺産登録の効果と言えるだろう。
麹甘酒の作り方
米麹 300g
お湯(60度)300ml
米麹に55~60度のお湯を入れて混ぜる。保温5~10時間。
(出来上がった甘酒は、一度加熱して保存すると冷蔵庫で1週間程度の保存が可能。ただし、酵素が失活する。市販甘酒のほとんどは加熱殺菌されている。)
塩麹の作り方
麹 300g(乾燥麹の場合 250g)
塩 100g(乾燥麹の場合 100g)
水 400ml(乾燥麹の場合 450ml) (手づくり塩麹の黄金比は3:1:4 麹屋本店ホームページより)
1.清潔な保存容器に麹を入れる。
2.麹の上に塩を入れ、水を注ぐ。
3.清潔なスプーンでよくかき混ぜる。
4.フタをして湿気の少ない清潔な場所で常温保存する。
5.1~2日に1回、清潔なスプーンでよくかき混ぜる。
6.十分なとろみが出てきたら2~3日に1回混ぜる程度でOK。10~14日で出来上がり。

東京大学農学部卒業(1972年)後、国税庁醸造試験所、東京大学で清酒酵母ならびに麹菌の研究を行う。現在、日本薬科大学特任教授、東京大学名誉教授、日本醸造学会会長。
著書に「和食とうま味のミステリー-国産麹菌オリゼがつむぐ千年の物語-」河出書房新社(2016年)、「醸造の事典」朝倉書店(2021年)、「47都道府県発酵文化百科」丸善出版(2021年)、「発酵醸造学」朝倉書店(2022年)など。










