研究機関誌「FOOD CULTURE No.7」(【対談】現代に生きている江戸・町方の暮らし向き)

食生活だけでなく、すごくおもしろい江戸・町方の生活

越川 私どもが今手がけておりますのは、資料として残されていない江戸についての口承文化の保存と伝承です。
江戸町方のリーダーたちを町衆といいますが、このリーダーたちの人生観というようなものを中心に、「江戸しぐさ」と言ったいわゆる江戸庶民文化の研究を私はライフワークにしております。
ベスター 私は江戸文化や江戸時代の歴史の専門家ではありませんが、研究の分野は文化社会人類学ですから、歴史の上で文化のパターンや社会の仕組みを研究しています。もう10年ほど前から文化社会人類学の見地からの調査をし始めて、築地の魚河岸にはほとんど毎年、見学や調査のために来ています。江戸時代の町人の生活や江戸時代の食生活を考えれば、当時はもちろん日本橋の魚河岸が、そして今では築地がその「食」の中心の所だと思います。
食生活だけではなく、江戸の町人の生活はすごくおもしろいと思います。現在の東京を見ると、余り江戸の名残りがないという解釈がありますが、私の感じでは残っていると思います。もちろん建物や道路、新幹線などを見れば、全然江戸の面影は見られないのかも知れませんが、現在の東京人の生活に残るいろいろな伝統的な面から感じられるのです。
特に今年は家康が将軍になって400年、開府400年ですね。来年(平成16年)は日米和親条約締結150年記念でもあるので当然かもしれませんが、私の興味がさらに歴史のほうに傾いているのです。ですから、きょうの機会は非常にありがたいですね。
越川 それは光栄でございます。ベスターさんは京都にもいらっしゃったそうですね。
ベスタ― はい
越川 ご感想はいかがです?
ベスタ― 文字どおり、京都も住めば都ですが、実は東京のほうがおもしろいと思います。もちろん京都には庭やお寺など歴史的、美術的価値のある所があり非常におもしろく、大切な町だと思いますが、現在の日本を考えれば、やはり東京が中心ですから、東京に戻って、やっぱりこれが本当の日本だと感じます。アメリカのガイドブックや観光客のための説明書ではいつも、本当の日本は京都とありますが、私は賛成できません。
越川 東京に着くとわくわくするというのでしょうか。
ベスタ― そう、そうです。新幹線が品川あたりから都心に入ると、あーっとエネルギーがみなぎってくる感じがします。
越川 そういう意味で、「生きている」という感じがありますね。
江戸の話に戻りますが、知り合いのお寺のご住職の奥様が、早朝の築地にいらした時のことですが、大勢の人がぶつかったりしないで、かけ声をかけるわけではないけれどもすっすっと阿吽の呼吸で行き交う。あれはすごい。これが「江戸しぐさ」ではないかと、本当にびっくりしたとおっしゃっていました。一つのルールがあって、それが体に染みこんでいる感じがするのですね。
ベスタ― 特に築地の魚河岸に行きますと、ああいうルールが多いのではないですか。江戸時代から続いている名残りの一つと思います。道路での動き方だけではなく、包丁の捌き方など、体で覚える技術にも感じられます。昨日、築地市場へ行って、親しい友だちの鮪屋さんのところへ見に行きましたが、200キロぐらいの鮪を解体するときの包丁の使い方を見ると、本当に感動的です。上手です。非常に力が要りますが、平らに切り離しができる。それもたぶん江戸時代からの技術が続いているのでしょうね。
越川 職人の技術ですね。
ベスタ― 特に築地の場合は職人の意識、気質を強く感じます。
越川 江戸職人というのは一貫してものを考え、またそれを実行できる人だそうです。職人は、価値があるというのはおかしいですが、自分の技術に自信をもっている、そういった点が評価されていたのではないでしょうか。今では、どんどん機械化してしまっているということもあるかもしれませんが、魚河岸ではまだその職人の気質が見られるわけですね。
ベスタ― 特に食文化とは直接関係ないかもしれませんけれども、職人のイメージとして考えれば、私が日本語を勉強したときにおもしろかったのは、「一人前」と言う言葉です。ふたつの意味があったのですね。ひとつは、例えば、寿司屋に入って、注文する時の「一人前」。ふたつめは、修行を積んだ職人を称える「一人前」。
越川 完成された職人としての「一人前」ですね。
本当の職人は、言われたことだけをやるのではなく、自分で企画して手配して最後まで全部やれる。一貫した腕を持つ人を”職人“と言うのだそうですよ。だから「一人前」なんでしょうか。そういう易しい言葉が大変な意味を持っていたのでしょうね。
ベスタ― そうですね。
越川 「江戸しぐさ」にもそういう言い回しがいろいろ出てきますね。
ベスタ― その意味では、文化は何よりも言葉でしょう?微妙な意味合いを持った。
越川 その言葉が今、どんどん滅びているので、そのへんは日本人として非常に残念なところがありますね。パンティーストッキングを”パンスト“というのはとてもいやな感じだったんですよね。今はなんでも簡略化してしまいますね。ところでベスターさんは、「グローバル化しつつある鮮魚を使った料理と料理法の流れをまとめ、その文化としての傾向を導き出している」ということを研究なさっているとのことですが、どういう「傾向」をお感じになるのでしょうか。もう10年ぐらいおやりになっていますね。
ベスタ― 今の研究は10年前からです。私が最初に日本へ来たのは昭和42年、私の息子と今、ちょうど同じ年齢の16歳のときです。その頃アメリカには日本の食べ物がなかったのです。東京オリンピックの3年後だったでしょうか。アメリカでジャパニーズ・フードと呼ばれていた日本料理を思い出してみると、鉄板焼き、天ぷら、サーモンの照り焼きだけでしたね。私は16歳のころ、最初に生で食べる食べ物を見て本当に驚きました。驚くよりも、怖かったですね。そのとき「寿司」を少し食べさせてもらって驚きました。非常においしかったんです。
越川 日本人の食べ物にすぐに入っていけたというのは、舌や味覚が繊細だったのでしょうね。アメリカで日本料理を食べるとやたらに甘くておいしくないですよね。これが日本料理かと思われたら悲しくなってしまうという感じです。そういう点で、醤油が決め手というところがありますが、最初から生のお魚の良さがわかったのは舌が敏感というか、五感が優れていらっしゃるのですよ。
ベスタ― 最近、アメリカの日本料理も結構良くなりましたが、まだまだお米の使い方や味付けが上手な人は少ないです。
越川 アメリカ人の味覚に合わせてしまうのでしょうか。
ベスタ― もちろんそれも一つですが、これはたぶん江戸時代からのスタイルだと思いますが、日本のレストランは非常に専門的ですね。蕎麦屋が蕎麦、ラーメン屋がラーメン、天ぷら屋が天ぷらです。ところがアメリカではみんなが合併した一つのスーパーマーケットのようなレストランになるので、このテーブルは「寿司」、このテーブルは天ぷら、このテーブルはすき焼きと、いろんな料理がごちゃまぜになって、匂いも味付けも本当の味や本当の雰囲気がなくなってしまうのです。
越川 なるほど、それはありますね。それは気がつかなかった、そうですね。
ベスタ― もし東京でヨーロッパのレストランがあって、このテーブルがイタリア、このテーブルがフランス、こっちのテーブルはスカンジナビアの料理では、余りおいしくないでしょう?
越川 そうですね。なるほどね。そこが民主主義というか、みんなそれぞれ多様化しているから、いろいろな人の需要に合わせようとしているのでしょうけれども、でもそういう感じがしますね。
ベスターさんは16歳のときに最初に日本に来られて、それからずっと日本びいきですか。
ベスタ― いえ、ずーっとではないです。16歳のときは半年しかいませんでしたが、そのときは経験として非常におもしろい半年だった。それだけだ、と思いましたが、大学に入って日本の歴史の講座に入り、改めておもしろそうだなと感じました。
越川 10年ぐらい前から築地の研究をされていますが、研究の中から「江戸の食」が見えてきましたか。
ベスタ― 最初の段階は、食文化や江戸文化に対する興味はそれほど深くなく、日本の零細企業と家族関係、親戚関係について興味がありました。どこか適当な場所はないかと思って、友だちや大学の先生と相談をしました。その結果、市場には‟三ちゃん“商業とか零細企業が多いので、もしその場所でいろいろな人たちにインタビューできれば、家族と経済、家業の仕組みがわかると思って行ったのです。しかし、あんなにおもしろく、あんなにおいしいところでは、最初の目的が二の次になってしまったんですよ。
もちろん、市場の皆さんに家族関係や商売関係などの人間関係をテーマとしてインタビューするときには、私が魚や日本の食文化がわからないと、全然話し合いができないので、研究のためには、これから食文化や水産、魚と日本文化の歴史などについても学ばないといけないと思いました。
そして、市場について学べば学ぶほどおもしろくなり、家業と家族関係が全然おもしろくないとは言えませんが、この10年の間に研究の範囲がはっきりしたのです。
越川 私も外国に行ったとき、まずやはり市場が見たいです。市場に行くと人々の暮らしが見え、人間の息吹を一番感じます。魚河岸には日本人のまだまだ残っている気っぷのようなものがたくさんあると思います。
ベスタ― 3、4年前になりますが、家族と一緒に休暇でスペインへ行きました。旅行の前に、成田空港で暇をつぶすために「スペインについてのガイドブック」を買いました。アメリカのものと日本のガイドブックを両方持って行きましたが、日本のガイドブックは魚市場を非常に詳しく説明してありました。アメリカのガイドブックにはそれが全然なかったのです。こんなところにも文化の大きな違いがあることを、初めて知りました。
日本橋界隈の魚市場(『江戸日本橋小田原町肴市之図』・江戸東京博物館蔵)

今でも世界的標準として通用する「江戸しぐさ」

越川 ここで少し江戸時代の町衆の生き方、物の考え方など、一つのルールとして引き継がれてきた、「江戸しぐさ」の話をしてよろしいですか。
ベスタ― もちろん。どうぞ、どうぞ…。
越川 いろいろな言い方がありますけれども、「江戸しぐさ」では3つのことを教えているのです。1つは健康、2つ目が人間関係、3つ目が平和、この3つが大きな項目ですが、第1章○○、第2章○○というのではなく、語り継いできたことですからバラバラにあります。私はそれをまがりなりにもまとめたわけですが、「健康」の中に「江戸食事仕様」というのがあります。グルメのための江戸料理のような気がしますが、そうではありません。人を生き生きとさせ、元気の源となる食事でなければいけないということを言っています。
「人間関係」については、ここに1本の鯖や鰹があるとしますと、赤身のところは消化が良いのでお年寄りへ、そして脂の乗ったトロは血気盛りの若い衆へというように、年代と体調で無駄なく分ける、つまり”食べ分ける術“があったそうです。そして365日、同じ食べ方をしない。今のように食品は豊富ではないので、身近で廉価な大根や豆腐を使い、何種類もの調理方法を考えたそうです。つまり、料理の変化を楽しんだわけです。そういうことがルールというか、みんなが守っていたことのようですね。
ベスタ― ”食べる“ということを、江戸時代の人々は、みんなで楽しんでいたのでしょうか?…。
越川 ほとんど資料にはない話ですが、幻の「江戸病人食」というものがあります。これは明治になって、江戸ゆかりの老人たちが粗略な扱いを受けるているのを見かねた江戸っ子の末裔たちが力を合わせて、今のホスピスのような「止痛の館」をつくったのです。館での病人食が独特で、盛りつけの内容が粋でスマートだというのです。例えば病人は食欲がないので、盃に盛った柔らかいご飯を大きなお皿の上にあけて5つの山をつくり、その上に具で飾り付けを工夫する。例えばアミの佃煮・田麩・おかか、しそ・梅びしおなどを彩りよく乗せると、良い香りが食欲をそそり、病人たちは楽しんで食べられるわけです。「五峰(ごほう)の香」というのです。いかに病人の食欲をそそり、いかに食べやすくするかということに心を砕いた結果ですね。
ベスタ― それは現代でも引き継ぎたい、素敵な思いやりですね。
越川 私たちが子どものころ、おなかを壊すと、最初は「重湯(おもゆ)」を飲まされ、その次は「おまじり」といってお米の粒が少し入ったもの。その次が「お粥」、そして「ご飯」になりますから、重湯しか食べられないというのは相当重病人だということですね。小さな取り皿(御手塩)に重湯を入れて湖に見立てて、そこに色のついた具を少しづつ乗せて、自然との一体感がある箱庭のような料理で患者を喜ばせる。食欲のない患者も「あっ」と驚いて、1口食べてみるというように、大変苦心したそうです。
「五峰の香」は胃腸の弱い人には最適で、胃腸病院で評判になり、昭和の初めまで続いたようです。衛生的で体に良く運搬も楽ですね。栄養学的にも、この5つの具のうち動物性蛋白質は3つ、あとの2つは植物性蛋白質です。幻の「江戸病人食」ということですが、これは、芸術品のような、江戸の人たちのやさしさというか…。
ベスタ― 人情の厚さというか…それがそういう工夫に表れているんですね。

江戸は、シェア・ド・リビング(共生)の町だった

越川 江戸の町は2世紀半に及ぶ平和が続いたと言われています。でも、城がある町ですから、いざとなったら武士達は籠城するわけで、そのための兵糧用にお米を蒸してこね、ねじり棒にして稚児用と大人用につくっていました。それを帷子(かたびら)、単衣(ひとえ)ものや浴衣の襟に縫い込んでいたようですが、それが昭和の初めまで味が変わらなかったようで、これは乾飯(ほしい)よりおいしかったそうです。結果として江戸時代は、戦乱もなく世界的にみても稀にみる平和な時代が続きましたが、万一ということを考えて、そういうことをしていた。これも江戸時代の知恵です。
「共食」ということについてお話ししましょう。江戸の長屋の住人達は屋根、壁、井戸、厠を共有して暮らしているわけですが、中には職住接近の居住があり、例えば長屋の一番角がお蕎麦屋さんだとすると、すぐ隣では、そば粉を専門に打つ家、次の家はだし汁専門、その次は薬味づくり専門で、1軒ごとに分業しているわけです。そのために食事を作っている暇がないので、その人たちの食事だけを専門につくる社員食堂のようなところがあり、みんなで「共食」をしていた。200年も前の江戸で共生、共有して暮らす暮らし方があったということは、大変進んでいたことなのではないかと思います。
ベスタ― それはすばらしいですね。
越川 「シェア・ド・リビング(共生)」の町だったということがおもしろいと思います。先日もある会合でこの話をしますと、「それは江戸の幕府がやったのですか」と質問されましたが、江戸の町方のトップに立つ人たちがいろいろ考えたとお話ししました。深謀遠慮でいろいろ工夫して、町内が争いといじめのない、そして互いに平和に繁栄するにはどうしたらいいかということを考えるわけですね。同じことがニューヨークの街にもありましたね。地下鉄が落書きで汚されて、それに比例するように殺人件数がふえていることを、“壊れた窓理論”※①で落書きを消すことから始めたのはあの有名なジュリアーニ市長です。落書きを消すと同時に小さなルール破りをびしびし取り締まっていって、遂には殺人件数を3年かかって劇的に減らしたという話しです。
ニューヨークでの話も、犯罪が起こらないようにする、いわば予防医学のようなものですから、先ず小さなルールづくりとそれを実行してゆくこと。みんなが気持よく挨拶できて、楽しく毎日を暮らせることが、結局平和で安全で繁栄するものだということですね。これはまさに「江戸しぐさ」と共通するものがあると思っています。
ベスタ― 先ほどの魚河岸の人々の動き方と同じように、小さなルールを作ってみんなでそれを守っていくということですね。
越川 「すばらしい、芸術と言ってもいいくらい見事だ」と築地にいらしたご住職の奥様が驚いていたことをお話ししましたが、「江戸しぐさ」は「上に立つ人のしぐさ」のことなんですよ。トップの人がそういうことを考えなければだめなんです。トップが自分のことしか考えなかったらもうだめなんです。だからトップのしぐさを教えるのが「江戸しぐさ」なのです。
ベスタ― 本当に、そういった点が大切ですね。

日本食との出会いは蝋細工の料理見本

越川 お好きなものの一番は、お寿司ですか。
ベスタ― 一番はそうですね…。たぶん一番は鰻、蒲焼きですか。まだ全然日本語のできない16歳のころ、世田谷区の三軒茶屋に住んでいて、ある夕方、夕食を探しに行ったときに、全然知らなかったのですが、偶然にも、蝋細工の見本を見て、おいしそうだなと思いました。もちろん店内に入ると匂いが良いので、食べてしまいましたが、非常においしかった。その後、2、3回ぐらい食べても、まだまだ蒲焼きの材料がどういうものか全然知らなかったのです。もし鰻だと知っていれば、たぶんだめだったでしょう。ヘビみたいで恐ろしい。(笑)
越川 鰻は悪魔のなんとかと言って外国の方は、食べませんね……。
ベスタ― 最初は見本を見て、次には店内の香りと匂いで、おいしいんだなと感じたのです。寿司と鰻はもちろん江戸時代からあったと思いますが、あの蝋細工の見本はいつごろからなのでしょうかネ。
越川 あれをお土産に買っていく外人の方がいらっしゃいますね。
ベスタ― 明日、合羽橋(台東区西浅草)に買いに行こうと思います。うちのオフィスでは寿司の見本が結構人気があるんです。あれも生活の知恵でしょう。看板よりも見本を作った方が、はるかにおいしそうだし、おもしろいです。
越川 私たちが子どものころ、「しんこ細工」の屋台がありました。屋台というのか、棒手振(ぼてふり)といって、天秤棒で担いで売り歩くんです。「しんこ」というのはお米の粉ですが、それこそウサギが餅つきをやっているところとか……、今のお母さんたちは不衛生だと言って食べさせないかもしれませんが、子どもからみれば芸術品なんですよ。ああいう伝統があるから、見本なども簡単にできるようになった気がしますね。
日本や中国では「医食同源」という食事と薬は一緒のものだと言う考え方がありますが、西洋ではいかがですか?。
ベスタ― 一緒ではないかもしれませんけれども、はっきりと区別はしていません。その一方で、西洋の場合はずっと昔から、食べ物は食べ物、薬は薬という概念がありました。もちろん栄養的には西洋も東洋も同じような料理や食べ方がありますが、西洋の感覚では、意識と体は別のものです。薬は意識のためのものです。そして、食べ物は体のためなのです。
越川 食べ物とは直接関係ないけれども、「江戸の子育てしぐさ」というものもあるんですよ。人間というものは、脳と身体(顔、胴、手足)があって、それを結ぶのは、ちょうど操り人形の「糸」にあたるのが「心」なんだと教えたのです。その糸の使い方、動かし方によって表情や、身のこなしや、しぐさが違ってくると、心の働き、重要性を子どもたちに教えたんだそうです。
ベスタ― 何才の子供にですか?
越川 3つまでに教えたということです。心というものはこういうものだと。子どもたちの一挙手一投足は全部「心」がさせているのだということですね。糸になぞらえて子どもたちにわからせたというのは、すごい知恵だと思います。
ベスタ― おもしろいですね。
越川 そういう比喩がとても独特というか、わかりやすいのです。子どもはそれを知識として教えこまれたのではなく、見よう見まねで覚えていったのでしょうね。
ベスタ― それは確かにそうだと思います。
越川 私の主人は東洋医学も勉強していた医者でしたが、今の医者は、眼が悪いというと眼だけ診るというのです。そして、どんどん細分化して、皮膚は皮膚科、血管は血管担当という方法で診ますが、人間とはそうではないのですよね。全部、関連がある。眼が悪いのであれば、体のほかのどこかと関連した方法で診なければいけないというのです。
ベスタ― それはもちろん食べ物と薬の関係にも言えますね。そういうことを子どものうちから、教えていたというのは、すごいなと思います。
越川 子どもというのは、親を見て育つと言われていますね。その見よう見まねをしたい親たちがいない。今、私は、“カルチャーシティー”で「江戸しぐさ」の講師をしていますが、若い女性が私の話を聞いて、「こんなことだれも教えてくれなかった」と言うのです。当たり前のことを教えなさすぎた。勉強だけやらせて知識だけは一生懸命入れて、人間として一本心張(しんばり)棒が抜けたような育て方をしてしまった。日本は戦後50年余、これが続いてしまったわけです。
私たちが子どものときは、「勉強しろ」と言われたことはないんです。ところが、嘘をついたり弱い者をいじめたりしたら怒られたものです。そういうのが今はない。そういうことに対しては怒らなくて、勉強しないで悪い成績を取ったりするとすごく怒るというふうになってしまった。良い学校に入り、良い会社に就職することが幸せだとは限らないのに…、まだそれが覚めないような感じですけれども……。
ベスタ― ところで質問がありますが、例えば現在の伝統的な和風の食べ物を、江戸時代というか、幕末時代の人が見ればすぐにわかりますか?
越川 そうですね…。
見た目には伝統的に表現しているのでしょうけど、果たしてわかるのかしら…。江戸時代にも「バームクーヘン」があったように、意外にも当時からいろいろな食品が外国から入ってきているのも事実です。最近では特にごちゃごちゃになってしまって食卓を賑わしていますね。朝からスパゲッティーやパンを食べる家庭が増えていますし、和食にしても江戸時代の一汁一、二菜の基本が崩れたり、「ごはん」と「おみおつけ」の置き方も無頓着になっています。今は食事の作法がめちゃくちゃになっている点などは、当時の人が見れば驚きでしょうね。
ベスタ― そうかもしれないですね。ところで、江戸時代の食べ物や料理で、今ではなくなってしまっているものはありますか。
越川 あるかもしれませんね。調理法について考えてみると、工夫や応用をしなくなった点ですね。例えば、「豆腐百珍」※②や「鯛百珍」※③と呼ばれる巾広いレシピが考えられて、江戸庶民は食生活を楽しんでいましたが、今ではその一部しか残っていないようです。創意工夫をしたり、親から子へ伝承するという習慣が希薄になったことでしょうか?
年中行事でも「桃の節句」「端午の節句」「お月見」など、日本人には欠かせないこれらの祝い事も核家族になっている今の日本ではしなくなりましたね。特に都会型の生活が、そういうことを止めていっています。無駄という考え方があるのでしょうか。とにかく今は経済優先の生活でしかない。家族の帰宅時間がまちまちだから、食事は孤食になりがちなのです。
江戸時代神田の青物市場(『江戸図屏風』・国立歴史民俗博物館蔵)

市場をのぞくと、その国の暮らしが見える

越川 ところでベスターさん。話しは戻りますが、築地に行かれて「江戸」が見えたでしょうか?いろいろな国の市場に行かれて日本の市場と比較されていかがでしょうか?
ベスタ― はい。いろいろと比較してみました。先ほどおっしゃったように、人間の動き方、生活、暮らしなどがある程度見えるので、教会や博物館よりおもしろいと思います。私が最初に築地市場に見学に行ったときの印象は、日本の中にある日本ではないところ……。日本ではないというのは少し言い過ぎるかもしれませんが、別な国、別な社会ですね。最初、本当に“村社会”と思いました。入っていけるかどうか、本当の付き合いができるかどうか、心配でした。
越川 ところが行ってみたら…。
ベスタ― 入ってすぐいろいろな付き合いができて、それから市場の本当の意味がわかり始めたのです。市場は物流だけではなく、社交場ですね。何よりも人間関係が市場を動かします。築地で調査するときにはみんなに、「仕事のために築地で働きますが、その仕事は魚を売る仕事ですか、または人間関係をつくる仕事ですか」と聞くと、「両方ですね」と。その意味では魚ではなく人間関係や、先ほどおっしゃったような職人の気質や包丁の捌き方など自分の技術でいきてるって感じです。
越川 先ほど「江戸のしぐさ」という動きが感じられるとおっしゃいましたけれども、ほかの国の市場も同じですか。
ベスタ― そうですね。私の経験だけですが、特に魚河岸は非常にさっぱりした感じですね。海が近いし、潮風が吹き、人間本来の姿が見えると思います。もちろん市場は食品を扱うわけですから、暮らしの根本的なところでもあります。市場はそういうところです。
越川 市場での人の動きや作業の流れは、多少は変わるでしょうけれども、江戸時代と基本は同じですね。市場の活況にふれると昔の日本というのは、こうだったのだろうということが想像できますか?
ベスタ― それは少し難しいですけれども、例えば築地のやり方、仕組みの背景を聞くと、すぐに日本橋の魚河岸時代までさかのぼり、その日本橋の魚河岸のことを聞くと、幕末や江戸時代までいろいろなつながりがあるのです。今見ると、これが日本の昔とは思えないのですが、微妙な点では、言葉遣いや心遣い、道具にもいろいろな由来があり、私は最初は歴史と思いませんでしたが、入れば入るほど歴史にも入り、おもしろいです。
もちろん築地は場所としても非常に歴史のある所です。特に明暦の大火(1657年)からあの辺が開発され、今の築地から結構、江戸だけでなく、東京全体の歴史が見える場所だと思います。
越川 江戸の町は賑やかで大変だったようですよ。ある文献(ケンペルの『参府紀行』)にオランダのカピタンが行列をつくって通ってもだれも見向きもしなかったとか、ほかのきらびやかな大名、小名の行列があるので、江戸の人たちはそういう派手な行列に慣れているというようなことが書いてあります。
ベスタ― その生き生きとしたものは築地市場に残っていると思います。
越川 江戸の“いき”は、京の“粋”と違うようです。当時、京では“粋”を「すい」と読んでいましたが、江戸では浮世絵も全部平仮名で「いき」と表わしています。江戸の“いき”は、生き生きしているとか、意気込みの意気とか、生きているの「いき」だそうです。
ベスタ― それは良い話ですね。ライブというか、生活全体ですね。
越川 小さな児には、初めはお母さんが食べ物をさまして食べさせますが、あるとき「あちっ」と言えるようになると、「いきの祝い」というのをしたそうです。一人前、独り立ちできる、火傷をしないという、自分で危機管理ができるわけです。そういうことで「いきの祝い」をしたというのはそれこそ「いき」な話だと思います。「江戸のしぐさ」の“いき”はそういう“いき”なんですよ。

アメリカでも和食が浸透

越川 今、アメリカでは和食がヘルシーとか言われてかなり広まっていますね。
ベスタ― 非常に流行的な食べ物になって、ヘルシーだけではなくいろいろな面でイメージが…、少し説明しにくいのですが……。もちろん脂も少ないし、タンパク質が野菜のタンパク質だとか、鰻など魚のタンパク質が食べられていますが、もう一つは、日米関係の上では、日本は良いイメージがあるので、日本食にも非常に興味を持っている人が多いと思います。もちろんビジネスやいろいろな交流関係でアメリカ人が日本に来て、和食を食べたらきっと好きになるのは当然だと思います。
ただ、アメリカの場合、イタリア、メキシコ、インドなど外国料理のほとんどが移民が持ち込んだ食文化ですね。日本の料理は、もちろん日系人がいますが、それほど普及していないのです。なぜかというと、戦争の影響もあって、日本は文化や食文化を外の社会に出したくないと思っていたんでしょうね。
大体、1970年代までアメリカ人はほとんど日本の食べ物は知らなかったと思います。大阪万博のころから観光旅行も結構あったし、日米経済関係で日本人のビジネスマンがニューヨークやサンフランシスコに滞在中に付き合いができて、アメリカ人が東京や大阪に行くようになり、日本ブームはその時代から始まって、もう30年余りも続いていますね。先ほども言いましたが、それ以前にはアメリカでは、寿司や刺身など魚関係の食べ物はほとんどなかったです。すき焼き、天ぷら、鉄板焼きは、みんなが知っているというわけではないが、日本の代表的な食べ物として知っています。
最近、昭和30年代のアメリカの料理の本を見て、どのぐらい日本の影響があるのか、日本的な食べ物があるかどうか調べてみましたが、1950年代、60年代にはほとんどないのです。醤油の使い方が少しと、麺類のレシピ、焼き鳥、焼き魚のレシピだけでした。今は普通の料理の本にも結構日本風のレシピがあると思います。寿司や刺身まではないかもしれませんが、確かに味噌や豆腐の調理の仕方もあると思います。
越川 アメリカ人は、お醤油には抵抗ありませんか。
ベスタ― 全然ありません。アメリカ食の一つになってしまったと思いますよ。例えばハンバーガーの上にかけるとか……。
越川 醤油を“キッコーマン”と呼んでいますね。
ベスタ― アジア系またはアジア料理の中で、たぶんお醤油が最初に一般的になりました。
越川 20年ぐらい前にアメリカで日本食を食べたとき、本当においしくなかったの。日本食の良い板前がいなかった。中華はものすごく勢いがあって、これでは負けてしまうと思いましたね。安いしおいしいし、テイクアウトもできるし。映画を見ても、中華料理のシーンがでてきますね。日本の場合は板前の良いのがいなかったということもあるし、味がアメリカ人好みになってしまっているので、日本人には食べられないわけです。サンタフェに行ったときに、これが日本料理かと驚きましたが、今はだいぶ……。サンフランシスコはお魚がおいしいですから、そこの「侍」というお寿司屋さんが結構おいしいものを食べさせてくれますね。お醤油が決め手になったと思います。
ベスタ― 「侍」とか「将軍」とかいう店で……。
越川 そういう理由で、アメリカ人の食生活で魚の消費量はふえると見てよろしいですか。
ベスタ― はい。1970〜80年の間に結構ふえてきたと思います。データは持っていませんが、確かにそうだと思えます。

味・香りだけでなく、目で楽しむ日本食

ベスタ― アメリカ人にとっての日本食のイメージは、味、香りだけではなく、目で見てきれいなものですから、景色としてすばらしい、きれいなものですね。
越川 見て楽しむ、ですね。嬉しいお言葉です。確かに目で見てということを日本人は大事にしています。これからの日本食がこうあってほしいということはありますか。今、日本人も若い人たちは和食から遠のきつつありますよ。
ベスタ― それは非常に残念だと思います。
越川 しかし、これが現実ですね。といいますのは、お米の消費量が減っていますし、お醤油の消費量も減っています。良し悪しはまた別ですが、味覚が変わってきているのではないか。良く変わるのであればよいのですが、なんだか変な味覚になっています。
ベスタ― 日本の若い女性、OLは魚にも触れないし、「三枚おろし」と「大根おろし」はどういうふうに違いますかと聞くと、答えが出てこない。冗談すぎますね。(笑)
越川 「“鯵の開き”は、開いて泳いでいる」と思っているらしいですからね。(笑)
ベスタ― これからの日本の食生活は、コンビニが大きなカギを握っていますね。コンビニに行くと、料理をつくる食材がないのです。ラーメンやヌードルとか、ただ、パックですね。自分が好きなようにつくる材料がない。食材としては、タマネギが2個、ニンジンが3、4本、卵と塩だけですね。ほかは全部パックです。そういう生活をするように育てられたら、これから食事はどうなるのか、大変ですね。
越川 忙しくて、たまにそういうところでパックのお惣菜類を買ったりするんですが、本当においしくない。なぜ、ああいうふうに濃い味付けにするんでしょうね。とにかく甘いですよ。
ベスタ― 糖分、塩分が多いと思います。
越川 自分のうちでサッと炒めたりして食べたほうがよほどおいしいと思いますね。1986年でしたか、イタリアで「スローフード」という運動が起きて、日本にも入ってきていますが、まだ一般的な生活の中にはとけ込んでいるとは言えませんね。
ベスタ― アメリカでもスローフードの動きはあると思いますが、まだまだ小さいでしょう。まず暇のある人だけしか参加できないでしょうね。一生懸命働いている人、または小さい子どもがいる家族はスローフードなんてとんでもない、ファーストフードの方が必要でしょう。考え方としてスローフードは賛成しますが、今の現象を見ると少し神経質すぎます。
越川 暇のある人にはいいけど、生活に追われている人にはとても無理だと思います。「スローイズビューティフル」、それは生き方としては賛成ですね。アメリカ人には菜食主義者は結構多いのではないですか。
ベスタ― うちの生徒の中でもベジタリアンは、3割か4割ぐらいでしょう。特に女性が多いですね。
越川 健康、ダイエット、スリムになりたいとか。
ベスタ― それもそうですが、少し哲学的に。私の講義で“寿司”の話が出てくると、若い女の生徒には受けません。「これは肉ではなく魚ですよ」と説明しましたが、ベジタリアンとしての意識が強いようですね。
越川 ベジタリアンも良いですが、本格的に取り組むには非常に時間がかかりますね。それこそ信念をもってちゃんとやるのでおいしいですし、すばらしいお料理ですが、食材の入手方法も大変ですし、調理に何時間もかかりますからね。
ベスタ― ベジタリアンの場合は、生活よりは宗教みたいな感じです。
越川 「みんな細くて痩せていて顔色が悪い」と悪口を言った人もいる。やはり蛋白質は必要ですね。人間は動物性蛋白質がないと元気が出ない。ほどほどですね。「ダイエット」や「スリム」にはまってしまって宗教みたいになってしまうと、恐ろしいみたいですね。ほかのものは全部悪になってしまいますからね。何と言っても、バランスよい食事が健康の基本ですね。
ベスタ― 同感です。
越川 お会いできて嬉しゅうございました。またお会いしましょう。
ベスタ― ぜひまたよろしくお願いします。
パネリストの二人
【注】

※①「壊れた窓理論」
ニューヨークのサウスブロンクス地区で、高級車を放置したままでも、何も起こらないが、車の窓ガラスを少し壊した状態で4〜5日放置しておくと、その車はひっくり返され焼かれていた。また、アパートの窓を閉めておくと何も起こらない。しかし1カ所窓ガラスを破って置くと、何日もたたないうちに、数枚のガラスが破られてしまう……このような社会現象が「The BrokenWindow Theory (壊れた窓理論)概訳」と呼ばれている。
【出典―アルティマソフトウェア社ビル・ベンナー著『ザブロークンウインドゥズセオリー』より引用】

※②「豆腐百珍」
天明2年(1782年)大坂で出版されるや、たちまち大評判になり、江戸を巻き込んで第一次食ブームを起こした。それまでの料理法が実用一辺倒でさまざまな料理法や献立を紹介するのみだったが、本書では、素材一品に限定して、料理法のバリエーションを楽しんでおり、同時に豆腐に関する和漢の文献や詩歌を並べて、料理を知的興味の対象にした。

※③「鯛百珍」
「豆腐百珍」に次いで出版された、「百珍」もの。他には「甘藷百珍」「玉子百珍」などがある。(『一日江戸人』杉浦日向子著小学館文庫刊)

【写真提供】

・『江戸日本橋小田原町肴市之図』(江戸東京博物館蔵)
・『江戸図屏風』(国立歴史民俗博物館蔵)

【図版資料】

・P3・4・5・7・8は『遠西舶上画譜』
・およびP6は『本草図説』(東京国立博物館蔵)


越川禮子
東京生まれ。青山学院女子専門部卒業。
1966年、市場調査と商品企画などを手がける㈱インテリジェンス・サービスを設立、現在同社社主。江戸庶民文化をライフワークに、「江戸しぐさ語りべの会」を主宰し、江戸・町衆の基本的な思想ともいえる「江戸しぐさ」の普及に努めている。著書に『グレイパンサー』(「潮賞ノンフィクション部門」最優秀賞受賞)、『江戸の繁盛しぐさ』などがある。

セオドール・ベスター
ハーバード大学 ライシャワー日本研究インスティチュート 社会人類学大学院ディレクター人類学教授。
1967年に初来日。日本の鮮魚取扱いと築地魚市場の調査研究を実施。最初の著書『Neighbourhood Tokyo』(東京の近郊)では、東京の中流家庭の暮らしを描き、現在、執筆中の『Global Sushi』(仮題)では、グローバル化しつつある鮮魚を使った料理と料理法の流れをまとめている。