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「握り寿司」の源流は、「熟鮓(なれずし)」で、稲作発祥の地としても知られている中国西南部からラオス、タイ東北部の東南アジアで生まれといわれています。 中国の古典には、「鮨(キ)は魚の塩辛で、鮓(サ)は魚の貯蔵形態である(『説文解字』25〜220)」、「鮓は塩と米とで醸すと葅(ショ)となり、馴れたら食べる(『釈名』220〜265)」とありますが、日本には鮨と鮓は同一のもの(『令義解』794〜1192)として伝わり、平安時代の『延喜式』(905〜930)には鮨とあり、さらに江戸末期には縁起かつぎでしょうか、当て字で寿司も加わり、今でも混同されて使われています。 「熟鮓」ほど十分に熟してはいないが、ほんのり酸っぱい「生成れ」が室町時代に生まれました。 江戸時代に入ると、さらに画期的な変化が起こり、「早ずし」が生まれました。造り始めてから食べるまでの時間は「生成れ」で短くなりましたが、それさえを待てない人が出てきました。 押した「早ずし」が、箱ずしや押しずしを経て、握るという手法に変わり「握り寿司」が登場します。それは、文化文政期(1804〜30)のことで、「握り寿司」の創始者は、両国の「華(花)屋与兵衛」や深川安宅の「松の寿司(松が寿司)」という説があります。 ![]() きわめて簡単な手法で米と魚や貝類の絶妙なコンビネーションをつくり出した江戸の「握り寿司」は日本料理の傑作として、いまや、世界中で「SUSHI」の愛称でさらなる進化をとげています。
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