研究機関誌「FOOD CULTURE No.1」私の食ルーツ
在日21年、現在アメリカ商工会議所副会頭を務めるシャーロット・ A ・ケネディ高橋さん。
週に一度は寿司屋を訪れるという日本通のシャーロットさんに、故郷ボルチモアやカンザスでの思い出の味をはじめ、世界各国で出会った多彩な食の体験についてうかがいました。

私の食ルーツ
ボルチモアの味カンザスの味そして、世界の味
アメリカ東部メリーランド州の港町、ボルチモアで幼年期を過ごされたシャーロット・A・ケネディ高橋さん。1950年代当時のボルチモアの市場は活気に満ち、世界各国から集まった豊富な食材と、土地の新鮮な魚や野菜に溢れていたといいます。お父様に連れられて歩いた市場は、世界の食文化に初めて触れた、シャーロットさんの思い出の場所です。「当時、弁護士をしていた父は市場でポーランド、ドイツ、イタリア、フランスなど、各国の食材を求めるような食通でしたし、母はアメリカ生まれのドイツ系アメリカ人で、ドイツ料理が得意。毎晩各国の料理を食べて育ちました。ボルチモアはアメリカ一牡蛎が美味しい土地ですから、小さい頃から生牡蛎が大好き。とても恵まれた食生活を体験していたと思います。そして、母の思い出の味といえば、アメリカの夏の家庭料理「サマーミール」です。コールドフライドチキン、コールスロー、茄で立てのコーン、冷製のポテトサラダ、そしてデザートはアイスクリームを添えた焼き立てのカブラー。典型的なアメリカ料理ですね。クリームを使ったジャーマンポルシチやパン生地で包んだドイツ風肉まんじゅうヴィラックスも母の思い出の味。料理に使う野菜や果物はすべて、父が趣味で栽培した家庭菜園のもの。特に、ベリー類などは15種類以上もあり、そのベリーで母がたくさんのパイを焼いてくれました。今思えば、本当に豊かな食の環境でした」。
シャーロットさんが12才の時、お父様が亡くなられ、お母様の故郷カンザスヘ。食文化の違いにフードショックを受けたほどだったと、当時を振り返ります。
「ドイツ系移民が80パーセントを占めるカンザスでは、ドイツ料理とビーフステーキばかり食べていました。新鮮な野菜やフルーツに恵まれ、世界の味に触れることのできたボルチモアでの暮らしとは大違い。おかげで、牛肉を見る目は確かになりましたね」。
シャーロットさんはご自身の食体験を通じて、アメリカを代表する料理がハンバーガーとホットドッグだという意見には異論を唱えています。
「アメリカはもともと移民の国。それぞれの家庭にはそれぞれの国の味があり、移り住んだアメリカ各地の食材と融合しながらアメリカンスタイルの料理が生まれてきたのです。それがアメリカの食のルーツとも言えます。それぞれの家庭で、ヨーロッパ各地やメキシコ、中国の料理など、小さい頃から本当に様々な食文化に出会っているのです」。
大学卒業後、英語教師としてホンジョラスや韓国で数年を過ごし、世界各国を旅したというシャーロットさん。訪れた国は、現在、65ヵ国にのぼるといいます。旅の目的のひとつは各国の料理を食べること。食への好奇心はお父様譲りです。
「世界を旅して、サルの肉以外はすべて食べたかしら。カンザスで食べたガラガラ蛇のバーベキューはあまり美味しくなかったけれど、アメリカ中西部のインディアン料理のバッファローのバーベキューは美味。36時間かけて焼かれたバッファローはコレステロールがなくとてもヘルシー。今アメリカで人気だそうです。日本を訪れた時、寿司屋に入って最初に注文したのは、蛸。美味しかったですよ。ボルチモアで新鮮な魚介に親しんでいたので、鮮度にこだわる日本の味は私の舌に合いましたし、器の使い方や盛り付けがとても素敵でした」。
こうしたグローバルな食体験をお持ちのシャーロットさんにとっても、3年前にご主人とともに訪れたギリシャのロードス島は最も印象的だったといいます。
「その夜の食事は、子羊、新鮮な野菜、ワイン、どれも素晴らしく、私たちのために奏でられたギリシャ音楽としゃれた会話が一層その食事を引き立ててくれました。そして、それは私にとって素晴らしい食文化との出会いの瞬間でした」。
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シャーロット・A・ケネディ高橋
1971年米国コロラド大学卒業。 1976年アメリカ国際経営学大学院卒業。 1981年株式会社オークアソシエイツ設立。同社代表取締役社長就任。外資系企業を中心に経営コンサルティングを行う。 株式会社オークアソシエイツ代表取締役社長。 アメリカ商工会議所副会頭。 東京アメリカンクラブ理事。 |






