研究機関誌「FOOD CULTURE No.21」アメリカに広がる「おいしい革命」

ライフスタイルとしてのカリフォルニア・キュイジーヌ
取材・文・写真=萩原治子 写真=三浦健司

カリフォルニア・キュイジーヌとは?

私が住んでいるアメリカの東海岸では、80年代に流行った「カリフォルニア・キュイジーヌ」について、聞いたことがあっても、どんなものか答えられる人は少ない。日本でも90年代にそれを謳ったレストランがあったので、その存在を知っている人もいるようだが、「ああ、十年くらい前に流行ったわね」くらいの記憶のよう。英語のウィキぺディアで引いてみると、「多人種の料理法を取り入れて、新鮮な地元産で、旬の食材を生かした料理」で、料理の特徴は「今までのアメリカ食のボリュームのある肉中心ではなく、野菜の多いヘルシーでライトなもの」とある。私が考える典型的カリフォルニア・キュイジーヌのメニューは、たとえば次のようなものになる。

  • 温かいゴートチーズが入ったベィビー・アルギュラのサラダ
  • グリルしたマリン郡のオーガニック・ランチ産のラム肉にコリアンダー・ソース、付け合せはレインボー・チャードのしんなり炒めた煮びたしとローストしたフェンネルとセロリー・ルート
  • デザートはプラムのタルトにマルベリー・アイスクリーム

ちょっと解説を入れると、アルギュラはもちろんオーガニックで、その朝、契約農家で摘まれた幼葉。カリフォルニア・キュイジーヌでは葉っぱ類の種類が多く、それにオレンジ、イチゴ、グレープフルーツ、葡萄、イチジク、柿、梨などのフルーツや、アーモンド、クルミ、ピスタチオなどのナッツやチーズを加えるサラダが多い。チーズは、今はソノマ郡の名産品となっているゴートチーズ。マリネーしたものや、温めたものをサラダに入れる食べ方が純カリフォルニア風だ。
また、メインコースのラム肉を仕入れた農場では、もちろん、家畜は放し飼いで牧草を食べさせている。オープン・キッチンの囲炉裏でグリルする料理が多いのもカリフォルニア・キュイジーヌの特徴。付け合せの旬の野菜は全部、やはり契約しているオーガニック農家から仕入れたもの。チャードとフェンネルはともにカリフォルニア・キュイジーヌを代表する野菜。「しんなり炒め煮」とは、ケール、チャードなどの野性味ある青野菜をほんの少しのバターまたはオリーブオイルで炒め、そのまま蓋をして蒸し煮にする料理法。ちょっと苦味のあるこうした濃い緑の野菜は肉料理によく合い、カリフォルニア・キュイジーヌでは欠かせない。
デザートのプラムもオーガニック栽培で、果樹園で完熟してからもぎ取られたもの。タルトもアイスクリームもその日に作ったものだ。

完熟したイチゴがヴィネグレットとよく合う。
無農薬栽培で育っているレインボーチャード。

カリフォルニアの食のトレンド

その名もあまり聞かなくなったカリフォルニア・キュイジーヌだが、最近カリフォルニアに行くことが多くなって、東部ではみられない食文化のトレンドに気づく。
レストランでは地元産の旬のオーガニック農産物、人道的に飼育された家畜の肉、海洋資源の供給が持続可能な範囲を考えて捕った魚介類を使った料理を提供することが定着している。さらにサンフランシスコなどでは、町のあっちこっちで開かれるグリーンマーケットの賑わいと、そこに買い物に来ている老若男女の熱心な様子、空き地を利用したコミュニティーガーデンで菜園の手入れをする家族、評判のベーカリーやアイスクリーム店にできる人の列にも驚かされる。
前述記のウィキペディアには、「カリフォルニア・キュイジーヌの顔」的存在は、バークレー市で1971年から「シェ・パニース」というレストランをやってきたアリス・ウォーターズだ、ともある。彼女の辿ってきた道のりと、カリフォルニア人の「食べ方」の変化を合わせて見るとき、カリフォルニア・キュイジーヌとは、もはや単なる一時的に流行った料理法とか味とかではなく、ライフ・スタイルのひとつとして扱うべき存在なのではないか、と私は考えるようになった。

ご本家「シェ・パニース」の成功

アリス・ウォーターズは、1971年にカリフォルニア大学バークレー校(彼女自身もここの卒業生)の近くに「シェ・パニース」を開き、この8月には40周年を迎える。彼女は、今ではどの旅行ガイドにも載っている全国的に有名なこのレストランの「オーナー・シェフ」と呼ばれるが、シェフとして学校や有名レストランで訓練を受けたことはない。このレストランでは担当のシェフ(ほとんどが料理好きな素人)が沢山の料理書からよさそうなレシピを捜して、料理してきて(少なくとも初期の頃は)、一時はアメリカでナンバーワンにランクされたこともある。出す料理は毎晩ひとセットしかなく、彼女は(自らキッチンに立って料理をした時期もあったが)、その日に入手できた素性のわかる吟味された食材から3コースとサラダのメニューを考え、厳密な指示と味見をすることで、このレストランの「味」を維持してきた。
こうして彼女が創り上げた「味」が、カリフォルニア・キュイジーヌの基礎とイメージを作った。彼女の店が全国から注目を浴び始めると、サンフランシスコやロサンゼルスのシェフたちが同じような新鮮な食材を生かした料理を売り物にして、この地元キュイジーヌを開花させたと言われる。アリス・ウォーターズは自らの成功を省みて、「いい時期にいい場所に居合わせたのよ」と謙虚に言う。確かにそこには、彼女が成功する条件が揃っていた。

豊富な食材

まず、カリフォルニア州は温暖で冬が短いので栽培期間は長く、アメリカ全国の野菜畑といっても過言ではない野菜・果物の大生産地だ。農産物だけではない。海岸線も長いので、新鮮な牡蠣、ムール貝、エビ、カニ、サーモン、イワシなどの魚介類も手に入る。さらにワインの生産地でもある。80年代はカリフォルニア・ワインがプレミアム・ワインとして成熟し、もてはやされるようになった時期で、特に有名なナパとソノマ郡がバークレー市の北1時間の距離だったこともアリスにとっては幸運だった。

ヨーロッパの食文化との出会い

その次がバークレーという大学町の性格。巨大な大学院部門を持つバークレー大学には、料理を含む外国文化に明るい大学教授・研究者の厚い層があった。また、70年代からアメリカでは学生でもヨーロッパに行ける時代になり、ヨーロッパのおいしい食べ物に出会ってグルメになった人も多く、アリスもそのひとりだった。

ヒッピーや移民の協力

3つ目は「シェ・パニース」が良質の食材を探していたとき、それに共感してニーズに応えた元ヒッピーや学業に飽きた自然派インテリや本国の本物料理を知っている移民が、北カリフォルニアには沢山いたこと。彼らと協力体制を敷くことで「シェ・パニース」は毎日の仕入れを確保でき、その持っている味を最大限に引き出すシンプルな料理を作ることができた。これが「シェ・パニース」の「味」となり、カリフォルニア・キュイジーヌの基礎となっていく。

シェ・パニース・カフェのオープンキッチン。その日入荷したフェンネルなどの旬の野菜が、入ってきたお客さんの目に留まるようにディスプレイされている。

よい食材を求めているうちに

しかし、こういった好条件だけで40年も評判レストランを維持して、挙句は「カリフォルニア・キュイジーヌの顔」とか「スローフードの母」と呼ばれるようになれただろうか?もう少し彼女の辿った道を見てみよう。

食料生産工業化の時代

アリス・ウォーターズはレストランを始めてから、よい食材を求めて毎日ポンコツ車でバークレーの辺りを走り回ったようだが、やはりフランスとは食のインフラが違うことに気づく。その頃のアメリカは、冷凍食品と工業化された食料生産の全盛期だった。外食といえばファーストフードかコンティネンタル(フレンチ風)料理を出す格式ばったレストラン、家での食事は肉とポテトが基本、スープはみな缶詰、野菜は冷凍もの、サラダといえばアイスバーグという白っぽいパリパリしたレタスに色だけのトマト、メインディッシュには半調理品から短時間で簡単にできる(そしてキッチンを汚さない)ものばかり。そんな食生活が文明の進歩の象徴として、アメリカの中流家庭に浸透していった時代だった。

有機農家との提携活動とグリーンマーケット

本物の味を知っていた彼女は「おいしい食材」を確保するため、近郊の小規模な農家と提携して、農薬も化学肥料も使わないで有機栽培した味のある多種多彩な野菜、果物、チーズを仕入れるようになる。これは広大な土地と個人主義のアメリカでは簡単なことではなく、最近ではレストラン界で当たり前になりつつあるフォレイジャー(食料探しという仕事を専門とする人)を「シェ・パニース」では正式に雇い、いいものを作っている農家を探し、彼女はレストランと農家の繋がりを説いた記事を書いたりして、このアイディアを提唱した。
もちろん、農家たちは「シェ・パニース」に卸すだけでやっていけるわけではないので、アリスは彼らが定期的に農作物を直接販売できるグリーンマーケットのセットアップにも積極的に協力した。さらに、野菜だけでなく、肉類は残酷な詰め込み式飼育法ではなく、人道的に扱い牧草で飼育された家畜の肉類、魚介類はサスティナブル(供給が持続できる)レベルまでしか捕らない漁師から買うようになる。

ファーマーズマーケットに積まれたグリーンガーリック。球根ができたばかりで緑の葉の部分も一緒に料理する。

「地産地消」の意味

アリス・ウォーターズは、始めから環境や社会問題を意識しながら有機栽培農業をサポートしてきたわけではない。だが、彼女には奥深い信念、フィロソフィーがあったのも事実で、もともと学生の頃から政治・社会問題には敏感で、レストランを始めたのも、行動を起こして住みよいコミュニティーを作ろうと思ったからだった。そしてグリーンマーケットを開いてオーガニックフードを奨励したのも、「消費者一人ひとりの小さな選択がこの世の中を変えて、より住みよい環境になる」と信じていたからだ。
アメリカではすでにオーガニック農業が大規模に行なわれている。「ホール・フード」というオーガニック食品を多く扱っているスーパーマーケットの成功をみても、オーガニック農業が商業ベースに乗っていることがわかる。農薬を使っていない食品を食べる方がよいと考える消費者は増え、2倍~3倍の値段を払っても購入したい、というところまで意識が高まってきている。

さまざまなメリット

しかし、地元産の野菜・果物・魚介類を食べるということは、オーガニックとはまた少し違う。まず、地元産のものを買うことは、地元の農家・漁師、さらに地元経済をサポートすることになる。また長距離運搬のため使うエネルギーが少なく、排出する炭酸ガスも少なく、環境にやさしい。「地産地消」のメリットはここにもある。
もうひとつのメリットは食べ物の種類が豊富になること。近年では小規模農家がなくなり、大企業の作る限られた品種しかマーケットに出回らなくなってきている。味はよいが形または色が悪いとか、傷がつきやすいとか、日持ちがしない品種は忘れられていく。それが何年か続けば、種もなくなってしまう危険がでてきた。それでアメリカだけでなく、日本や世界中で「種の保存」ということが叫ばれ始めた。エアルーム(heirloom)とか在来種とか言われる種である。
2、3年前、東部のファーマーズマーケットにエアルーム・トマトが突然沢山出回ったことがあった。それは、緑や黄色やオレンジや黒に近い赤色があり、不恰好に大きく広がったものからプチトマトのサイズまで形も大きさもまちまちだが、その野趣あるトマトの味に、人々は今まで忘れられていたことに気づき、大人気になった。
「シェ・パニース」、またはカリフォルニア・キュイジーヌが評判になったのは、その変化に富んだ食材のおいしさから、ということを考えれば、アリス・ウォーターズにとって、オーガニック農業支援は当然だったと言える。

さまざまな色と形のエアルーム・トマト。

「おいしい革命」でアメリカの食問題にチャレンジ

アリス・ウォーターズが蒔いた種がオーガニック野菜ブームとなって全国に広がっていっている間に、彼女自身はさらにもっと根本的な問題にチャレンジすることになる。

食べられる校庭プロジェクト

80年代、90年代頃に一人娘を育てながら、彼女は、アメリカの一般家庭では食卓を囲むことが少なくなってきていることに気づく。子供たちは家で冷凍食品を温めたり、ファーストフードで食べたりするのが毎日の食生活として定着していた。子供たちが本物のおいしい味を知らないで育ったら、または食物がどこから来るか知らないようになったら、人類は滅亡の一途を辿るのではないか、と彼女は案じる。そこでまず、子供たちに「食」に興味を持たせることが大事と気づく。近所の荒れた中学校を見た彼女は、学校の校庭のアスファルトを剥がして、そこに野菜畑を作り、ニワトリを飼い、その世話をしながら、キッチンで自分たちの手でおいしいスープやサラダやピッツァを作って、みんなで一緒に食べるカリキュラムを市の教育課と協力して始める。子供たちは自然に触れ、栽培・収穫し、キッチンの生ゴミから堆肥を作り、それが土壌を肥やす、そのサイクルを理解するようになった。それだけでなく、「一緒に食卓を囲む」ことがどんなに彼らの心を和らげたことか?「おいしい革命」が起こったのだ。こうして、これも全国的に有名になった「食べられる校庭プロジェクト」を発足させる。
またクリントン大統領の頃から、アリスはアメリカ人の食べ方を変えるには、ホワイトハウスがお手本を見せなくてはと、象徴となる大統領を巻き込もうと努力してきた。その願いは2009年3月、ミッシェル オバマのホワイトハウスのサウス・ローンに近所の中学校の生徒と共に菜園を造ることで実現している。

「食べられる校庭プロジェクト」で収獲された野菜。
ホワイトハウスのキッチンガーデンで、近所の学童と収獲するオバマ大統領夫人。(ホワイトハウス公式HPより転用)

企業への広がり

21世紀は地球温暖化問題に加え、子供の肥満症が大きな問題になりつつある。ミッシェル オバマは食品生産・販売企業に、もっと健康によい食品の開発を訴えた。
こういった時代の流れに合わせて、マクドナルドではポテトフライを揚げるのにラードを使うことを止め、リンゴを入れたサラダをメニューに加えた。また、世界一の小売り会社・ウォルマートは、もっと生鮮食品を手頃な値段で売ることと、加工食品の塩分、トランス脂肪酸や砂糖の含有量を大幅に減らすことを発表した。

ライフスタイルとなったカリフォルニア発のトレンド

アリス・ウォーターズがレストランを開いたのは、家族や友人と食卓を囲んで、おいしいものを食べながら交流する生活を営む場をみんなに提供したかったからだ。それを目指して奮闘しているうちに、どんどん支持者ができて、そのライフスタイルが定着してきた。
今では全国的になったこのトレンドには、カリフォルニアから始まる必然性があったように思う。東部の体制派だけでなく、古いヨーロッパにいまだに支配されているような陳腐な料理を含む文化に対抗し、自分たち独自の文化を創ろうとする意識が、カリフォルニアにはあった。それが原動力となってカリフォルニア・キュイジーヌを生み、オーガニック野菜ブームを起こしたのだ。70年代の非暴力運動、レタス・ピッカーを支援するためアイスバーグ・レタスをボイコットする運動は、近年のフェア・トレード運動、炭素低下運動などにも繋がったが、その間には、嬉しいことに「おいしい革命」も起こったのだ。
「シェ・パニース」で経験を積んだシェフの数は多く、彼らがまた同じ信念で自分のレストランをやっていく。それがコミュニティーの住民にも広がり、農家はレストランに卸すだけでなく、グリーンマーケットを定期的に開くようになる。いちばん味のいい旬のもの、それも農薬や化学肥料を使わない有機栽培の野菜や果物がスタンダードになり、人々はそれを求めてマーケットに集まる。買ったものを持ち寄って、友人、親戚と一緒に料理して楽しむ。
カリフォルニア・キュイジーヌは、そういう名前で呼ばれることもあまりなくなったが、単なる料理法ではなく、その底流にあったライフスタイルや社会意識が、地産地消、オーガニックフードなどの形で引き継がれ、21世紀に入ってアメリカ全土にじわじわと浸透してきている。

バークレー市で週に2回開かれるファーマーズマーケット。