研究機関誌「FOOD CULTURE No.29」濃口しょうゆが主体の関東地方
濃口しょうゆが主体の関東地方
室町時代に味噌の溜りからたまりしょうゆが誕生し、当時、京の周辺には180軒ものたまりしょうゆ屋があったと聞いた。一般に濃口しょうゆは、小麦の産地に近いことから関東で生まれ、京とは違い海に面した江戸において魚の臭みをとる効果がある濃口しょうゆが広まったと言われているが、今回の調査で銚子のヤマサ醤油では創業時から本場紀州の大豆と小麦を原料とするしょうゆを醸造していると聞いた。銚子にしょうゆの製造法が伝わる前に、すでに紀州では大豆と小麦を原料とするしょうゆが造られていたことになる。濃口しょうゆの誕生については謎ではあるが、濃口しょうゆと同じ原料を使う製造法が銚子に伝わり独自の進化を遂げて、銚子の濃口しょうゆが大消費地である江戸に運ばれ、定着したのである。さらに濃口しょうゆは、その香りの良さと旨味の強さにより全国に広まり、現在では日本のしょうゆ生産量の80%以上を占めている。
関東地方の濃口しょうゆは、甘味料を添加しない塩味の強い本醸造しょうゆが主体で、混合醸造しょうゆや混合しょうゆは殆どない。かつて第二次世界大戦後の戦中から戦後の原料難の時代には、現在の大手メーカーも混合醸造しょうゆ(新式醸造しょうゆを含む)および混合しょうゆを製造していた。会社によっては、ヒゲタ醤油株式会社のように本醸造しょうゆのブランドを守るために別会社を作って販売を行ったり、キノエネ醤油株式会社のように混合醸造しょうゆはフクネしょうゆという別ブランドにして本醸造しょうゆと差異化を図った会社もあった。ちば醤油株式会社では、戦時中の原料難の時代に、代用醤油としてシジミの煮汁に食塩を加えカラメルで色を付けて販売していたと聞いた。関東地方には大手メーカーが多く財力もあったことから、原料事情の回復に伴って混合しょうゆは製造されなくなり、本醸造しょうゆが主体に戻ったと考えている。
関東地方には大手メーカーが集中していることもあって、本醸造の濃口しょうゆの生産量が多く、本醸造の濃口しょうゆの全国における生産量の比率を押し上げているのではないかと考えている。また関東地方では大手メーカーのみならず中小メーカーもしょうゆの県外出荷比率が多い事から、まさに関東地方全体が日本におけるしょうゆの産地の様相を呈していると言える。
関東地方の中小のしょうゆメーカーは同地域内の大手メーカーと違う独自性を出すことにより生き残りを図っている。前述のキノエネ醤油株式会社は、しょうゆ業界のトップ企業であるキッコーマン株式会社のお膝元である野田市において白しょうゆを製造するなど独自路線で頑張っている。その他にも関東には中小しょうゆメーカーが存続しており、その設立の経緯は様々である。
群馬県みどり市の株式会社岡直三郎商店大間々工場は、本社は町田市にある近江商人が設立した会社だが、近くに足尾銅山がある宿場町だったことから、しょうゆのニーズを見込み創業したとのことであった。本社工場は小田急町田駅に隣接していたことから、都市計画により立ち退きを余儀なくされ、二度の移転を経て現在は町田市には本社機能しかない。かつての町田工場の名残はほとんどないが、工場跡地には株式会社岡直三郎商店が所有するホンタマビル(岡直三郎商店のしょうゆの商標はホンタマ醤油である)がある。現在の株式会社岡直三郎商店大間々工場は、木桶仕込みの天然醸造丸大豆しょうゆに特化した蔵になっている。
茨城県の株式会社大橋醤油は、日光街道(裏街道)の宿場町として栄えた街道筋に江戸時代末期に創業した蔵である(木桶に弘化2年(1845年)の記載がある)。江戸時代は、江戸川を利用して船でしょうゆを江戸まで出荷していたそうである。現在、木桶仕込みの天然醸造濃口しょうゆが主力のしょうゆ蔵である。
土浦にかつて、現在の大手食品問屋である国分が経営するしょうゆ蔵があった(まちのしるし、土浦市立博物館発行、p72、2016)。国分のオーナーが日光詣での途中、神様のお告げにより土浦にしょうゆ蔵を建設したとされる。時代の変遷で仕方ない事ではあるが、土浦に国分のしょうゆ蔵が現存していたら、しょうゆ業界の様相も一変していたかも知れない。

■研究分野
醸造学、応用微生物学
■学歴
東京農業大学大学院農学研究科農芸化学専攻博士前期課程修了、博士(農芸化学)
■現在の役職
東京農業大学名誉教授、日本醤油技術センター理事、日本醸造協会理事、みりん研究会副代表幹事、日本健康医学会副理事長、他多数
■受賞歴
平成9年度日本醸造協会技術賞受賞、平成20年度、平成22年度および平成24年度日本健康医学会論文賞受賞、平成21年度および令和元年度醤油技術賞受賞、平成22年度日本醤油協会功労賞受賞


















