研究機関誌「FOOD CULTURE No.2」
講演② 東西の食のパターン
Food Patterns East & West

シドニー・ミンツ(ジョンズホプキンス大学人類学部名誉教授)

東と西の定義

東西の食パターンの比較を本格的に行うには、それに必要な要素や条件を明確に定義しなければなりません。しかし、そのすべてがほとんど定義不可能な事柄なのです。過去半世紀の間に、世界の食物市場は著しい変容を遂げ、そして今日もその変化は止まることはありません。この変容は、コロンブスの新大陸発見後のヨーロッパ勢力の拡大と、それに伴うヨーロッパの食物や嗜好の広がりという、過去500年間の構図を変えようとさえしています。
世界の人々の食生活は変化しつつあり、また、世界の東西という言葉の使い方も変わりつつあります。かつては、西の終わりと東の始まりがどこかという観念が予め存在していました。しかし、東西の区分は次第に曖昧になっており、従来の観念はますます見当違いなものになっています。それでも、私たちはあくまで、分かっているような顔をして、東と西を論じているのです。
かりに西の終わりと東の始まりを特定できたとします。もしそうならば東を一般化するために、「東の料理あるいは東の食べ物とは何か」を明確にする必要があります。しかし明らかに、中国料理もインド料理も日本料理も東の料理を構成する膨大な食物や調理技術や料理形態を代表することはできません。ましてや、それぞれの料理のバラエティの豊富さに、その試みは即刻頓挫するでしょう。また、私がこれから論じる方法は、フォークと箸、肉の大小、食卓と畳、食卓用ナイフの有無、料理皿の位置、すべての料理が同時に出されるか出されないかという事実、ごはんとおかず、食の美学の違いなど、この種の数限りない相違点を列挙する方法ではありません。別の視点から論じてみたいと思います。

シドニー・ミンツ氏

食物の相互依存へ

500年前の外洋航海時代の到来まで、人間社会の食習慣は、その地域で認知された資源、その地域の気候や季節と密接に繋(つな)がっていました。「認知された資源」、つまり人々は摂取可能なものをすべて食べるわけではありません。料理は、それを生み出し後世に残した共同体の生活や習慣を表していました。料理は、植物、鳥、魚、哺乳動物の種類を表し、伝統的な調理法、保存方法、儀式の供物を表し、食べる資格の有無という社会的地位の差異を表していました。
しかし、こうした地域に深く根ざした伝統料理ばかりを強調してはなりません。大洋横断が当たり前になる以前から、たとえば塩を求めて、人々は何百マイルも移動しました。甘藷は太平洋の両側に見られ、ヤムイモ類はオセアニアから西アフリカまで分布されています。ココナッツ、ひょうたんなどの水に浮く食用植物は、栽培地からはるか遠い場所まで運ばれました。
このように、一方では地域に深く根差した伝統的な食習慣があり、他方では、外洋航海が始まる以前でさえも食物の広がりが見られます。とはいえ、少なくとも19世紀の中頃まで、大多数の人々が、居住地を中心に半径2、3マイルのエリアからほとんどの食糧を得ていたと思われます。「大多数の人々」「ほとんどの食糧」という言い方に注目してください。富裕階級や権力者は、外国の蜂蜜や新鮮な海産物、氷河の氷や、あらゆる珍しい嗜好品を楽しんできたのです。それは、新石器時代が終わって以来、階層社会が存在する限り見られてきた現象なのです。
何千年もの昔、栽培植物と家畜が人類の主要な食糧供給源として出現して以来、家族が自らの食物を自ら生産するという行為は、人類の日常生活における重要な営みの一つでした。こうした営みが、収穫の期待の念を抱きながら、永続的に踏襲されてきたことは素晴らしいことです。私ぐらいの年齢でヨーロッパやアメリカで育った人は、家族が食べる野菜を裏庭で栽培していた時代を思い出されることでしょう。家庭で消費する野菜の4分の1から5分の1程度はまかなっていたでしょう。こうした食物生産は、ごく最近まで人々の食生活に重要な役割を果たしていたのです。現在では当然のように思われる世界規模での食物の相互依存は、世界の大都市以外では、比較的最近起きたことなのです。

東西の食体系

さて、時代は遡り、2、3千年前もの昔、世界の食べ物には共通の特徴が存在していたと仮定してみましょう。私が論じたい東西の相違とは、このあらゆる古代農耕社会に共通する基層的な食体系から発生しているものです。これには一つの仮説が伴います。すなわち、世界各地で起きた大規模農耕社会の成立には、農耕民たちが構造的に類似した食体系を形成していくプロセスを伴っていたと考えられるのです。ただし、これは推論の域を出ないものであり、確たる歴史的な研究に裏付けられたものではありません。仮説に基づく試論として考えてください。
東でも西でも、あらゆる大規模農耕社会がもつ基本的食体系は、次の3つの要素で構成されています。第一に、主食として1種類以上の複合炭水化物、第二に、副食として豆類、第三に、補助食として香味食品(flavors)および強化食品(enhancing foods)に分類されます。この食物構造は、栄養学で用いる図式とは似ていませんが、栄養学的な意味、あるいは歴史的な、政治的な意味を含むものです(Mintz 1985,1992,Schlettwein-Gsell1992)。また、人々の五感を通じて形成されていく食の価値観(aesthetic)の意味をも含みます。カロリーは主に第一の主食から摂取されます。小麦、米、とうもろこし、稷などの穀類、あるいはジャガイモ、タロイモ、甘藷などの塊茎作物からです。たんぱく質と脂肪は主に複数の豆類から摂取されます。アジア原産の大豆、緑豆。ヨーロッパと南西アジア原産のヒヨコマメ、ヒラマメ、アフリカ原産のササゲ、グランドナッツ、新大陸原産の多種類の豆、落花生などからです。
第三番目の香味食品および強化食品は、残りの食物をすべて含むため、多種多様であり、栄養補給のほかに、二つの機能を果たします。一つは、その強い風味によって主食の炭水化物の大量摂取を促します。もう一つは、この栄養補給と大量摂取の結果、動物性たんぱく質の必要性と欲求を低下させます(もちろん、強化食品には動物性たんぱく質も含まれています)。
補助食、すなわち強化食品には、もう一つの重要な役割があります。人間には本質的に、微細な感覚的領域を精巧に作り上げる性質があるように思われます。味の微妙な違いは、食の価値を測る対象であり、調理技術の優秀性を測る尺度となります。
シングルモルトスコッチやストレートコーヒーの種類や様々なニシンの漬け汁を考えてください。味噌、醤油などの大豆発酵食品、茶、ピクルス、マスタードなどの食品に対して、人間はその叡知と卓越した技能を集中的に投入し、微細な領域の、微妙な違いを創造してきたのです。それらは味を高める強化食品として、複合炭水化物や風味に乏しい食品、たとえば米、小麦、ソバ、大麦、麺、春雨、シラタキなどの淡白な味に対して、鮮明な味を効果的に与えているのです。人間はこの小さな違いを創造、発見、工夫をすることに誇りを感じ、その違いを重んじます。忘れてはならないのは、文化的に特有な食べ物であっても、たとえば味噌や茶など、それらの食の価値を形づくる構造は、他の固有文化の食べ物、たとえばマスタード、コーヒー、ワインのそれと対応しているという点です。
農耕社会の日常的な食事には、動物性たんぱく質の割合が少なかったと考えられます(たとえ支配階級は飽食に耽っていたとしても)。日本人の場合、海産物の役割が大きいため、その点では例外といえます。しかし、一般的な農耕社会では、人々の日常食には動物性の食物は不足しており、その理由は、そうした食べ物を社会の上層部へと吸い上げていく、究極的には力に基づく搾取的な社会体制によるものだと考えられます。こうした食物連鎖の上位で生活する者たちを、アメリカ南部の方言では、“high on the hog”(裕福に暮らす)と言ったものです。
しかし、こうした食のアンバランスは、人々が日常食に価値を見出していくことにより、ある程度バランスを取っていたのではないかと考えられます。日常食が人々に対して一定の満足感を与え、期待感をもたせるようになることで社会的な支持を得ます。それに伴い、日常食を構成するでん粉やたんぱく質や他の成分の割合が慣習的に固定され、さらには、祝祭、儀式といったハレの場のために改変されていく。言い換えれば、たとえ栄養面で最適な食事ではなくても、人々は自分たちの食べ物に馴化していくのです。
こうしたプロセスが世界中の農耕社会で起きたと考えられます。富裕階級や権力者にとっては、肉のない食事を取ることは、庶民と同一視されることの象徴なのかも知れません。

東西の食パターンの分岐

主食、副食、補助食という3つのカテゴリーについて論じてきましたが、今度は3つのカテゴリーに対応する食物について考えたいと思います。世界中の大規模農耕社会の食事には、もう一つの共通の特徴が見られます。それは米、稷(きび)、大麦といった主食の複合炭水化物から作られる穀物粥です。パンは粥食のステップアップした段階の食べ物だと思います。西洋では、主食といえばパンを連想し、それに対して東洋では米を連想します。しかし東も西も、間違いなく、粥食はパン食よりもはるか以前に遡ります。東西共通の特徴である主食、副食、補助食という食パターンは、パンが日常食となる以前の粥食をベースにしています。この粥食文化は、東西の食パターンの相違性よりも、類似性を表すもう一つの特徴なのです。
私は中国や日本の食パターンと西欧の食パターンの差異を過小評価したり、無視したりするつもりはありません。最初に共通の特徴を考察したうえで、どのような力が働いて著しく相違するようになったかを論じる方が理解しやすいと思ったからです。
それでは、西洋で起きた途方もなく重大な変化について考察したいと思います。それはコロンブスの新大陸発見時代に始まり、その後の数百年間にわたり西洋社会に深く浸透していきました。
500年前、西の食パターン正確に言えば、西ヨーロッパの一般の人々の食習慣は、少なくとも4つの主要な変化によって食の変容が始まりました。

(1)他の食物が利用可能になるにつれて、主食のでん粉質と植物性たんぱくの消費量が徐々に低下したこと
(2)肉、酪農製品、特に動物性脂肪など、動物性食品の消費量が増大したこと
(3)糖分の消費量が増大したこと
(4)茶、コーヒー、チョコレートが移入されたこと

が挙げられます。
(2)から(4)の3つの変化は、(1)の変化と相関関係にあります。つまり、主食の摂取量が減り、補助食の摂取量が増えたわけです。これはきわめて重大な変化でした。変化は国や地域によって、そのペース、度合いは様々でしたが、西洋の食習慣を徐々に、そして深く変えていきました。初めに西ヨーロッパと米国で起こり、やがてヨーロッパ周辺諸国と植民地に波及しました。
しかし東アジアでは、変化はこれと同じようには起こりませんでしたし、ペースも違っていました。西洋で起きた現実が、明らかに東西の食パターンの分岐を加速しました。こうした出来事を考慮すると、かつての人々の食習慣、あるいは東洋と西洋の食パターンには、構造的な違いはほとんど無かったことがわかります。もちろん、東と西の人々が同じ食べ物を食べていたとか、同じ方法で調理していたというわけではありません。

東西の際立つ相違とは

主食、副食、補助食という食の構造は、暗黙のうちに、植物性たんぱく質の重要な政治的役割を示しています。多くの農耕社会では、植物性たんぱく質の存在が支配階級による動物性たんぱく質の搾取を可能にし、庶民の許容範囲での栄養的犠牲を可能にしているからです。特に東アジアではそれが顕著に見られます。東アジアでは、大豆や緑豆から作られた食品が栄養的にも、文化的にも、極めて重要な役割を担い、土地固有の、創造性に満ちた膨大な種類の豆食品が生み出されました。そして多くの大豆派生食品が、動物性たんぱく質に似るように工夫されているのは極めて示唆的です。
世界中の安定的な農耕社会では、豆類は栄養と料理の両面で重要な役割を果たしていますが、アジアでの役割は格別重要です。アジアでは、豆類は風味を与える手段として広く使用され、副食であると同時に、味を高めるための補助食でもあるのです。とくに注目すべきは、豆が塩味や甘味に味付けされている点です。蒸し物や焼き物の詰め物として、肉や野菜のソースとして、汁や汁物のデザートとして、そして焼き物のデザートとして、濃く味付けされた豆が、ありとあらゆる方法で利用され、アジア料理には欠かせない食材になっています。(注)
パンが日常食となる以前の時代、つまり粥食という古代の共通性について考察しましたが、次に、同じアジアでも地域によって生じている差異について指摘したいと思います。たとえば動物性食品であり、特にミルクや、チーズ、バター、クリーム、カード、ヨーグルトなどの乳製品および様々な発酵食品についてです。インド大陸およびアジア境界地域の多くでは、牧畜によるミルクや乳製品の利用は、経済的にも、文化的にも、重要な役割を果たしています。正確に言えば、インド大陸や中国国境沿いの北方向に延びる地域です。Simoons氏の論文(1970)によれば、「東アジアにおける酪農民と非酪農民の伝統的境界は、おおよそインド、チベット、モンゴル(西方の酪農地域)と、ビルマ、中国、韓国(東方の非酪農地域)の間を走っていた」とあります。乳製品は、西の大半の地域で親しまれ、またアジアでも、インドでは重要視されていますが、アジアの極東地域ではあまり馴染みがなく、摂取されることもなく、しばしば不快感、嫌悪感を催す食べ物として見なされていました。
酪農食品を例に挙げたのは、動物性食品に対する人々の感じ方に際立つ相違があると同時に、乳製品が西洋の食パターンの発展に絶対的な役割を果たし、いわゆる西洋料理(haute cuisine)の基礎となっているためです。実際、東西の食習慣に一線を画すものとして、西洋の唯一の特徴を問われれば、私は迷わず、クリーム、バター、チーズなどの利用を挙げるでしょう。
私の試論はここでとどめるべきでしょう。私が論じた方法は、たとえば共通のテーマで変化の度合いを示すようなアジア料理全体を分類する方法としては限界があるでしょうが、この試論から何か学び取るものがあると確信します。また、アジア料理の多様性を詳細に考察することにより、もっと多くのことを論じることもできたでしょう。また、私は東西の相違点を数え上げる試みはしませんでした。そうした試みを永遠に続けても、より深い知識を得ることはないでしょう。その代わりに、古代農耕社会の食生活の構造的な類似性を指摘し、そこから食パターンの相違が発生したことを明らかにし、そして、それらの基本的な相違についても若干触れました。(抄録)

(注)頁数に制限があるので、特定の食品に関する調理法については言及しない。JosephNeedham氏の研究の続編「科学と中国文明」第6巻で、黄興宗博士は発酵と食の科学に関する注目すべき論文を発表し、中華料理中国の食事の基本的な分析として、「蒸す」と「焼く」の違いを示している。