研究機関誌「FOOD CULTURE No.3」オランダからの食文化便り③
オランダにおける日本食―世界トレンドの普及―
西方へゆく日本料理
20世紀は日本の食文化史にとって変化の激しい時代だった。西洋からの影響を強く受けながら、日本の政治、経済、そして生活習慣に至るまで、大きな変化を遂げたのである。衣食住のあらゆる面において、西洋のものが取り入れられ、日本の食文化にとって洋風化の時代となった。歴史的視点から見れば比較的に短期間である百年間に、西洋の食文化が日本に与えた影響は、非常に大きい。これは、奈良時代から何世紀にもわたり続いた中国の食文化の影響に匹敵するであろう。
20世紀の最も顕著な食の変化として、日本食の洋風化をあげることができるが、ここ数十年、逆のプロセスが始まったことも指摘すべきものである。つまり、西洋における日本料理の普及というプロセスである。日本料理が西洋の食文化に影響を与え始めたのは、日本経済の海外進出が始まった1970年代であるが、明治時代以降多数の日本人が北・南米へ移住したことも深く関わっている。日本食ブームがカリフォルニア州で発生したということと、日本人移住者の外食施設がそこで繁栄していたことには、つながりがあるに違いない。
アジア以外で日本料理店が最初にオープンしたのは1887年、サンフランシスコにおいてであるが、やがてアメリカ合衆国の日本食文化の中心となったのはロスアンジェルスである。すでに1920年代には、ロスアンジェルスのチャイナ・タウンの一部が「リトル・トーキョー」と名づけられるほど日本人移住者が多かった。銭湯から八百屋にいたるまで、移民が日本的な生活を営むために必要とした施設が整えられ、日本料理店の数は40軒を超えていた。このようなインフラストラクチャーは、ロスアンジェルスに限られたことでなく、スケールや時期はやや異なるが、ブラジルやハワイなど日本人移住者が集まった地域で同様に見られるものである。
1960年代までは、日本以外で食される日本食というのは、日系人のなかでのみ消費される文化であったが、1970年代以降西海岸のロスアンジェルスを中心に寿司が人気を博し、そのトレンドがすぐさま東海岸やヨーロッパへと広がった。現在では、カリフォルニア巻のようなアメリカ風の寿司が世界中で(日本においても)有名になっている。
寿司ブームが発生した重要な要因のひとつは、寿司の健康的だというイメージだった。1970年代のアメリカというのは健康志向の時代で、アメリカにおける肥満の問題も注目されるようになり、アメリカ人の食生活を改善しようという動きが始まった時期だった。そこで、日本食が低脂肪で健康的な食物として、栄養学者や国民健康政策関係者によって薦められた。それと同時に、当時高度経済成長期にあった日本の電化製品、カメラ、自動車などがアメリカで好評となり、日本の食文化のイメージ向上にも貢献したのである。
ヨーロッパにおける日本食の普及は、基本的にアメリカと同様の動機に基づいていたが、その普及を推進させる大切な誘因がもう一つあった。それは日本食ブームがアメリカの食トレンドであるというイメージであった。日本食がアメリカのファッションであるという付加価値がヨーロッパにおける日本料理の人気を高めたと考えられる。例えば、1998年の調査によると、日本食経験者の多くが、アメリカへ旅行に行った際にはじめて日本食と出会ったという。つまり、アメリカで日本料理が一般化したことが、オランダ人と日本食の出会いをもたらしたのである。
オランダにおける日本食ブーム
日本とオランダが日蘭交流400周年記念を祝った2000年は、両国にとって特別な年であった。1600年4月19日、豊後国(現在の大分県)の臼杵湾に「リーフデ号」というオランダ船が漂着したことが、現在まで続く日蘭関係の起こりとなっている。このように長年日本の文化とつながりをもったオランダ人であるが、食の面においてほとんどお互いを感化しなかったのは不思議である。ポルトガルの食文化が日本料理に与えた影響は広く知られているが、オランダのインパクトはほとんど見られない。長年の交流にも関わらず、日本の食文化もオランダの方には伝わらなかった。他の西洋の諸国と比べ、オランダにおける日本食の普及が極めて遅かったことも事実である。アメリカ合衆国、イギリス、フランスなどの国々において日本食ブームが1970、1980年代にすでに起こっていたにも関わらず、オランダでの本格的な日本料理の普及は1990年代の後半になってからである(注1)。
数年前まで、アムステルダムの日本料理店の利用者の過半数は日本人であり、日本料理は、一般にオランダ人の間ではあまり知られていないエスニック料理(注2)の一つのように思われていた。今では、ロスアンジェルス、ニューヨーク、香港、ロンドンに続き、寿司ブームの真っ最中である。寿司がスーパーや駅のスタンドで販売され、大都市ではインターネットで注文して家まで届けてくれる寿司サービスもある。このブームが発生したのはここ1、2年のことである。
アムステルダムで最初の日本料理店ができたのはおよそ30年前のことである。1970年代前半は、ホテルオークラが経営している「やまざと」、そして、日本人の個人経営の「とが」と「きよ」の計3軒のみだった。「きよ」は2、3年で閉店したが、「とが」のほうは、新しいオーナーの名前をもらい「与一」となり、現在でも営業を続けている。「やまざと」「とが」「きよ」の3軒が、1970年代はじめに開店したということは、日本の経済成長に伴い日本に対する好奇心が高まったことと、日本人のビジネスマンや駐在員が世界各国へ派遣されるようになったという状況が、強く関係していると思われる。オランダにおける日本食レストランの利用者の約8割は日本人であったが、その割合が少しずつ変りはじめたのは80年代後半から90年代にかけてのことである。その頃から日本料理店の数も次第に増えていった。
「与一」は「やまざと」と並んで最も歴史の古い店であるが、残念なことに「与一」のオーナーであった原さんは、今年の2月12日にこの世を去った(注3)。伝統的な日本の雰囲気をお客さんに感じてもらえるように、原さんは様々な工夫をしていた。のれんや盆栽、赤ちょうちん、そして、原さんご自身の着物姿は地元の人の間で大人気であった(写真1)。
日本食ブームのここ1、2年、原さんが20年以上表していたエスニック料理的な日本食というイメージは徐々に弱くなっている。むしろ、寿司を中心に、日本食がモダンな国際都市のシンボルの一つとなり、日本料理を食べることが最先端をいくという認識が生まれているように思われる。世界中に日本料理が徐々に普及していくうちに、日本料理は洋風化され、西洋人の間で愛用されるようになる。と同時に、日本料理が普及するとともに西洋人の嗜好も和風の味に近づいていくと言えよう。



スシ・バーという世界トレンド
お寿司が、オランダ人の間で、いま最も流行している食べ物の一つであることは否定できない。特に流行っているのは、お寿司が目の前でぐるぐる回る回転寿司、「寿司バー」と呼ばれるレストランである。寿司バーがヨーロッパで最初に流行しだしたのは1990年代前半のロンドンであり、すぐにパリなど欧州の大都市へと広まった。オランダにおける回転寿司ブームも少し遅れているが、現在、3軒の回転寿司のお店がアムステルダムで営業している。
1999年の夏にオープンした「スシ・タイム」という店はアムステルダムで初めて開店した寿司バーである(写真2)。「スシ・タイム」はアムステルダム市の南にあるワールド・トレード・センターというオフィス街にあり、食事の時間をあまりとれないビジネスマンを対象にランチを中心に営業している。「スシ・タイム」の支配人は、30才にもなっていないビンセントさんで、この仕事を始める前、ホテルのレストランで数年間働き、その後、オリーブオイルなど高級食品をシンガポールへ輸出する事業に携わった。しかし、アジアでの不況が厳しかったため、新しい仕事を探していた時に目をつけたのが、シンガポールに滞在していた際、シンガポール人の間で人気となっていた「寿司バー」だった。ホテルオークラで働いたこともあったので日本料理についても多少の知識があり、オランダでこのような寿司バーがないことも分かっていた。そして、ビンセントさんは、ランチにこのお寿司を食べさせることを思いつき、オランダでの日本料理の普及に一役買った。つまり、シンガポールにおける回転寿司ブームがきっかけとなって、アムステルダムに初めて回転寿司レストランがオープンしたわけである。
午後1時から3時までのあいだ、ビンセントさんの小さな店は人で混雑する。注文せずに、自分で好きなお寿司を気楽にとることができるというのは、回転寿司の大きなセールス・ポイントだ。また、お皿の色によって食べたものの値段が分かるということも、お金の節約に熱心なオランダ人には大好評である。
ここで指摘しておかなくてはならないのは、お寿司というのは、やはり安いものではないということである。日本では1皿最低100円から150円までという回転寿司が多いが、オランダでは最も値段が安いところでも、少なくともこの2倍はする。したがって、回転寿司に行くお客さんのほとんどは、中流以上の裕福な人たちに限られる。30代と40代のサラリーマンが利用者の過半数を占めている。
ヨーロッパの回転寿司の雰囲気は、日本でのお店とは全く違う。上述した「与一」のような日本料理店と比べ、寿司バーは伝統的な日本文化とは関係が薄く、日本料理を提供しているお店というよりも、モダンな無国籍料理のレストランというイメージの方が強い。インテリアも、日本ののれんや赤ちょうちんなどはなく、どちらかといえば、トレンディなバーを連想させるところである。このモダンなイメージは、「ズシ」という寿司バーが宣伝のために製作したポスターを見るとよく伝わってくる(写真4)。
「ズシ」はオランダの寿司バーのなかで、最もしゃれたところである。オーナーが人気歌手のライオネル・リッチーのマネージャーで、イギリス人である。お店自体もロンドンの回転寿司店を手本にしており、バーの雰囲気を感じさせる場所である。ここで出される寿司は日本の食べ物であるというよりも、ロンドン、パリ、ニューヨークなど世界中で好まれているトレンディな料理というイメージである。


終わりに
オランダにおける日本料理の普及を考察してみると、それを支えているものは日本食ブームが始まったアメリカ合衆国と同様であることが目につく。まず、日本経済の世界進出がオランダ人の間で日本の文化への好奇心を高め、そして日本料理のイメージを向上させた。それと同時に、日本料理が低コレステロール、低カロリーであることが、現在オランダで非常に注目を集めている健康趣向に重なった。ここまではアメリカと同様であるが、オランダでの日本食ブームがアメリカのように日本人移住者の食文化から発生せず、すでに流行している世界トレンドとしてオランダに入ったということは注目に値する点である。
第二次世界大戦以降、西欧はアメリカ合衆国の影響を受け続けた。技術や経済面だけでなく、文化の面においてもヨーロッパはここ数十年アメリカ化が進んでいるのである。この現象は食文化において特に著しく現れている。マクドナルドなどのファーストフードからソフトドリンク、ベーグルなど、パリからモスクワまで、欧州の若者がアメリカから取り入れられたものを食べている。日本料理の流行も欧州文化のアメリカ化との繋がりが強い。
日本における洋食は、19世紀末西洋文化の象徴として入り、時間とともに和風化され、日本独自のものとなった。カレーライス、カツ丼、あんパンなどのように、日本的だと思われている食べ物は、もともと西洋から輸入された料理を元に出来上がったものだという認識がほとんどなくなってきている。これと同様に、現在、日本以外の国で、寿司が食生活の一部となる過程にあると言えよう。ロスアンジェルス、ロンドン、シンガポールなどで見られるように、世界の大都市では、国際都市の一つのシンボルとして寿司が普及していくのだが、その間、寿司が日本の食であるという認識が薄れていっている。そして、日本の食というよりもアメリカから出発した世界トレンド食として広まっていくのである。
- 1本論文の基盤となったフィールドワークは、アサヒビール財団(平成九年度)および文部省(10041094号)による助成を受けている。
- 2ここでいう「エスニック料理」は、一般的に日本で通用している「東南アジアの料理」ではなく、「あらゆる民族のそれぞれの料理」という意味で使っている。
- 3この場を借りてお悔やみ申し上げます。
- 1Bestor, Theodore “How Sushi Went Global” Foreign Policy Nov./Dec. (2000): 54-62.
- 2Ellwood, David et. al. “Questions of Cultural Exchange: The NIAS Statement on the European Reception of American Mass Culture” Cultural Transmissions and Receptions: American Mass Culture in Europe. Amsterdam: VU University Press. (1993): 321-333.
- 3小山修三「日本料理店の成立と展開」(『ロス・アンジェルスの日本料理店:その文化人類学研究』ドメス出版 1985年所収)
- 4森幸一「ふるさとの味を求めて:日系社会の食文化」(『海外移住』591号 2000年1月所収)
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カタジーナ・チフィエルトカ(Katarzyna J. Cwiertka)
ライデン大学文学部日韓研究所研究員。1990年ワルシャワ大学東洋学院日本学科、修士号取得。1994年筑波大学地域研究研究科、修士号取得。1999年ライデン大学文学部日韓研究所、博士号取得。著作に「調理文化学」(共著:『21世紀の調理学』第1巻 建帛社)、「異文化との接触と受容」(共著:『全集日本の食文化』第8巻 雄山閣)がある。 |






