研究機関誌「FOOD CULTURE No.9」世界の食文化雑学講座 第1話
豆腐百珍の旨さを誌上で試食してみる
豆腐といえば、いまや日本を代表する健康食品として海外でも人気のある食材だが、その原形は前漢の高祖の孫(淮南国王)劉安(紀元前179~前122)の発明とされている。諸説あるが、鎌倉時代(1192~1333)に中国から禅僧によりその製法がわが国へと伝えられた説が有力であろう。
わが国で「豆腐」を意味する文字がはじめて出現したのは鎌倉時代の奈良・春日神社の供物帖に記された「唐符」であるといわれている。そして、大坂で「豆腐百珍」がおよそ500年後の天明2年(1782年)に発刊された。
食材の豊富さに目を奪われがちな今日では、身近な存在である豆腐の利用方法について、せいぜい湯豆腐・味噌汁の具・冷奴・おでん・麻婆豆腐程度しか想像が及ばないものだ。しかし「豆腐百珍」によれば江戸中期には百を数える豆腐の料理が開発され、当時の食生活をささやかながらも潤していた事実がある。わが国の食文化を理解するためにも、先人達の工夫や知恵を徹底解明したいものである。
江戸・大坂を席巻した珍書
「豆腐百珍」は、その名のごとく豆腐を使った100の料理とその調理法を紹介した本である。
著者は醒狂道人何必醇(せいきょうどうじんかひつじゅん)、版元は大坂高麗橋壱町目の春星堂 藤原善七郎。身近にある豆腐という食材で100通りの料理をつくる遊び精神が、当時の人々に受け入れられた。
著者名はペンネームで、料理人ではなく、文人が趣味で著したものといわれている。その内容は、豆腐料理を尋常品通品・佳品・奇品・妙品・絶品の6等級に分け、和漢の文献や詩歌などを並べ、料理を知的興味の対象と捉えている。
この新しい編集・構成が好評を博し、翌年には「豆腐百珍続篇」、さらには明治になって「豆腐百珍餘録」が出版された。以来、江戸・大坂では「百珍もの」と呼ばれる料理本が出版界を席巻して大根、甘藷、鯛、海鰻(はも)、玉子などの百珍追随書を次々と生み出し百珍時代を築いた。
尋常品・薬味がきめて「飛龍頭(ひりょうず)」
関東でいう「がんもどき」。現在では豆腐全体に薬味を混ぜて揚げるが、当時は饅頭のあんのように薬味を豆腐で包んで揚げた。口の中で野菜の味と揚げた豆腐の衣が混ざり、昔の味のほうが格段によい。手間を省くために現在のような料理法になってしまったのだろう。
「尋常品は、どこの家庭でも常に料理するものだが、その中にも料理人の秘伝といったものがあればすべて書き記した」と、26品を紹介している。
通品・素朴な味わい「葛田楽(祇園豆腐)」
豆腐を田楽用に下ごしらえをし、串に刺して旨味をつけるために醤油をかけ、両面とも軽くあぶる。片面に葛あんをかけ、粗く砕いた麩を散らし、再度こんがり焼く。あぶられた麩が香ばしく、おもしろい味を醸し出している。通品は一般に知られているものばかりが10品目紹介されている。
①焼豆腐、②揚げ豆腐、③おぼろ豆腐、④絹ごし豆腐、⑤竹輪豆腐、⑥青豆豆腐、以上は単に豆腐製品。
料理としては⑦揚げ田楽、⑧やっこ豆腐、⑨葛田楽、⑩赤味噌の敷き味噌豆腐がある。
佳品・白味噌がミソ「なじみ豆腐」
「佳品は、風味が尋常品にくらべややすぐれ、見た目の形のきれいな料理の類である」とされ、26品紹介されている。料理法の点ではそれぞれに違いがあるかどうかは明瞭ではないが、名称にひと工夫している。たとえば、なじみ豆腐、雲かけ豆腐、なでしこ豆腐、叩き豆腐など。
これらは白味噌を使う料理で、白味噌になじみのない関東人にとっては不得手なものだろう。
江戸時代から現代の東京に続く代表的な料理に甘鯛や鰆の西京焼がある。白味噌漬けにした魚を焼いたものだが、江戸では白味噌が料理屋などだけで使われる特別なものだったようだ。
奇品・現在のスイーツ風「玲瓏(こおり)豆腐」
料理で奇品といえば、ひときわ変わったものを想像するだろう。「豆腐百珍」の説明でも「奇品は、ひときわ変わったもので、人の意表をついた料理である」とされ、19品が紹介されている。
なかでも、こおり豆腐は料理というよりデザートの類だ。絹ごし豆腐と寒天の組み合わせで、豆腐は好みの形に切るか崩すかして流し箱に入れ、そこに煮溶かした寒天を流し込んで冷蔵庫で冷やす。原文では木綿豆腐だが、絹ごしで酢醤油より黒蜜のほうが美味しく食べられるという。長年こおり豆腐をデザートとして出している料理店も多いようだ。
妙品・ステーキのような「石焼豆腐」
この分類の料理は、美味しさと見た目のバランスが取れているものらしい。その多くが油の力による。本文には、「妙品は、少し奇品にまさるものである。奇品は形は珍しいが、うまさの点で妙品に及ばない。妙品は形、味ともに備わったものである」と説明されている。その中で「豆腐百珍」のベスト3に入るといわれるのが、石焼豆腐。豆腐ステーキのようなもので、焼きながら食べるところにうまさがある。
- 1①一口大に切った豆腐の水気を切る。
- 2②焼き鍋(またはホットプレート)に少し多めの油を入れて焼き過ぎないように色よく焼く。
- 3③大根おろしと醤油で食べる。
絶品・極めれば「湯やっこ」
絶品は豆腐料理究極の7品。「ひたすら豆腐の持ち味を知り得る、絶妙の調味加減を書き記した。豆腐好きの人ならば、必ず食すべきものである」と記し、奇品や妙品をへて、豆腐自体の味を単純に味わう考え方で作ったことを伝えている。
現代でいえば、冷奴や湯豆腐といったところだろう。それを一工夫しているのが、豆腐を葛湯の中で煮る「湯やっこ」。湯豆腐は煮すぎないのがポイントで、「湯やっこ」も煮立った葛湯の中に豆腐を入れ、浮き上がろうとするところをすくい上げる。葛湯で煮ると上品な口当たりを味わえる。
豆腐は庶民はもちろん、大名にとっても大切な栄養源だった
江戸時代には、農民や町民が米をろくに食べることができない時期が頻繁にあったことは歴史を振り返ると納得させられる。特に江戸後期になると各藩も深刻な財政難に陥り、武士など支配階級の者でさえ想像以上の倹約を余儀なくされたようだ。そのときに多くの大名の献立にのぼったのが豆腐だったようである。
越後長岡藩主・牧野忠敬は、藩の財政を建て直すために厳しい倹約を実行した。自ら進んで木綿を着用し、豆腐半丁をおかずとして5年間を過ごす。主君が質素にすれば家臣もそれにならい、効果は絶大で財政も建て直すことができたと伝えられている。
また、現存する下野壬生藩・鳥居家の食事記録によると、献立は一汁一菜、菜は月に一日を除きすべて豆腐料理だった。同じ頃、江戸の職人は一汁三菜との記録がある、庶民は百珍ブームをうまく取り入れていたに相違ない。
- 1「日本食物文化の起源」(安達巌著 自由国民社)
- 2「豆腐百珍」(新潮社)
- 料理写真 松藤床平





