日本のおもてなし文化
日程 | 2010年11月9日 |
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場所 | 野田本社 |
講師 | 熊倉功夫先生 |
主催 | キッコーマン国際食文化研究センター |
1.茶の湯で一番大切なのは飲食
茶の湯は来客に満足していただくための仕掛けで、人が最も親しみを感じ合えるのは飲食を共にすることである。本来は4~5人で、狭い部屋で前後4時間という長い時間をかけて懐石を食べ、濃茶、薄茶を飲む。
2.茶の湯の歴史
奈良時代、遣唐使の永忠(えいちゅう)が嵯峨天皇に中国の茶を献上した最初の記録はあるが、鎌倉時代の栄西(えいさい)が緑茶を中国から日本にもたらしたのが茶の始まりである。今から450年前、千利休と豊臣秀吉が茶の湯の文化を作り出した。戦国時代は、優れた個人により茶の湯が発展したが、安定した江戸時代に入ると組織維持のために家が重視され、家元が生まれ、茶の湯が洗練されていった。そして日本の代表的文化となった。
3.茶の湯の茶事
茶事には日本の文化の全てが込められている。茶事は茶会の準備、水打ち、席入り、炭点前、懐石、菓子を構成する第一部と中立という休憩を挟んで濃茶、薄茶の第二部からなる。
客は神様であることからケガレを清めるため水打ちした露地口から世俗の世界から隔たれた露地を通り茶室に向かう。そして、「つくばい」と呼ばれる手水鉢(ちょうずばち)で手を洗いみそぎをする。いよいよ高さ60cm程度と低く、入ることを拒否するような狭い「にじり口」から茶室に席入りする。そして「おつめ」という掛け金をかけ密室にする。ここでは世俗の話題(神、仏、戦い、婿舅や家族の愚痴など)は一切禁じられる。茶室には客へのメッセージが込められた床飾りがあり、客はそれを感じ取らなくてはならない。もてなしはサービスではなく、両者で互いを高め合うものである。
そして懐石が始まる。千利休は、室町時代から始まった豪華で食べきれない本膳料理は非人間的と考え、(1)その場で食べきれる、(2)できたてを直ぐ食べる、(3)お祝いや季節のメッセージがある懐石を考えた。懐石は一汁三菜を基本とし、飯・汁・向付、煮物、焼物、そして酒の肴である吸物、八寸と最後に主菓子で構成される。これが一番贅沢と言われている懐石の基本形である。
濃茶はポタージュのような濃い茶のことをいい、亭主と客同士がひざを接し、一つの茶碗で廻し飲みをする。一人あたり3口半で、最後の人も同様に飲みきれるように配慮する。続いて干菓子、薄茶と移り、全てを終了する。濃茶は酒の儀式の真似ごとで、一つの茶碗で飲むことで他人ではなくなることを意味する。「もてなす」とは客と亭主が心を一つにすることである。
4.もてなしに説明は不要
説明しないとわからないものはもてなしではない。あの人はこれを喜んでくれるだろうと人と物の取り合わせを考え、この床飾りにはこの茶碗が合うだろうと物と物の関係を考え、心地よく居られる場所としての「間」、つまり距離感も大切になる。
5.もてなしには間の取り方が大切
「いき」の構造は、上品、地味、渋いから成るが、そればかりでは「いき」とは言えない。ちょっと下品で、ちょっと派手で、ちょっと甘いのが「いき」の条件である。では、どの辺が良いかは、その時の時処位(じしょい;時と処とくらい)により変わる。時処位の中で、「間(ま)」の取り方が大切になる。「間」は日本文化の大切な要素である。自分と相手の「間」を感じ、自分の立ち位置が見つけられて初めてもてなしができる。無理に相手に合わせようとするのではなく、自分と相手との「間」を少しずつ薄めていくのが良いのである。