江戸の居酒屋文化(1) ~江戸の居酒屋の生い立ちと賑わい~
日程 | 2015年9月12日 |
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場所 | 野田本社 |
講師 | 飯野亮一先生 |
主催 | キッコーマン国際食文化研究センター |
1.江戸の町は男性社会
慶長8年(1603)に徳川家康が将軍になり江戸に幕府が開かれると、江戸は急速に大都市に発展した。江戸には出稼ぎ人・人夫、江戸店(えどだな)の奉公人などが集まってきたが、これらの多くは男性だった。
江戸は男性社会で、享保6年(1721)に行なわれた江戸の町人の人口調査によると、江戸の人口は501,414人で、その内男性は323,285人、女性は178,129人となっている。江戸の町人の約3分の2は男性で、江戸中期頃までこうした傾向が続いていた。
また、参勤交代制により江戸には単身赴任の武士が多くいた。
2.居酒屋の誕生
江戸には早くから酒屋があって、こうした人々を対象に居酒をさせていたが、やがて居酒をさせることを本業とする酒屋が現われてきた。それが居酒屋で、18世紀中頃のことになる。
宝暦2年(1752)の記録によると、「深川の三十三間堂(富岡八幡宮の東側)が、享保十五年(一七三〇)八月の風雨によって吹き倒され、再建されないままになっていたのを、寛延二年(一七四九)秋頃、二人の人物が、堂の周りの地面を借地し、煮売茶屋・居酒屋などを建て、その収益金で三年以内に三十三間堂を造立したいと奉行所に願い出て、許可され、今年の夏(宝暦二年)に堂が出来上がった」(『正保事録』二九七四)とあって、居酒屋の名がみえ、○「居酒屋に人がら捨て呑んでいる」(雲鼓評万句合 宝暦元年)といった句も詠まれている。
居酒屋が出現すると、江戸市民の人気を得て発展し、文化8年(1811)に町年寄が「食類商売人」の数を調査して奉行所に提出した史料によると、居酒屋の数が一番多くて1808軒にのぼっている。このときの「食類商売人」の総数は7604軒となっているので、飲食店のうち、23.8%を居酒屋が占めていたことになる(『類集撰要』四四)。
3.江戸時代の居酒屋
江戸時代の居酒屋は今の居酒屋とは違った様子がみられるが、その主な点は以下の通りである。
- (1)居酒屋の店構え
居酒屋では縄暖簾を下げてなく、店先に商品となる魚を吊るして、客の目を惹いていた。居酒屋が縄暖簾を下げるようになるのは幕末頃になる。
- (2)居酒屋の客
振売(ふりうり)(棒手振(ぼてふり))、日傭取(ひようとり)(日雇)、駕籠かき、車力(しゃりき)(車引き)、武家奉公人、下級武士といった肉体労働者や低所得層の人たちが主な客層だった。
- (3)居酒屋で飲む酒
清酒、中汲み、にごり酒(どぶろく)といった酒が置いてあり、予算に応じて酒が飲め、客は酒の値段と量を言って注文している。
- (4)居酒屋の酒飲み風景
居酒屋では徳利を使わず、銅壺の湯でチロリの酒を燗して、客はチロリの酒を猪口で飲んでいたが、グループで酒を飲むとき、一つの猪口を廻し飲みすることがよく行われている。居酒屋には椅子やテーブルはなく、客は床几(長椅子)に腰かけるか、座敷に上がって酒を飲み、酒の肴の食器やチロリを載せた盆は直接床几や座敷の上に置かれていた。