房総の年中行事と行事食 ~東京との比較を交えて~
日程 | 2016年11月26日 |
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場所 | 東京本社 |
講師 | 龍崎英子先生 |
主催 | キッコーマン国際食文化研究センター |
1. 集落と守護の寺社と食
- 高家(たかべ)神社(千倉町)と和食
日本で唯一の料理の神様として国内の料理人の信仰を集めている。昭和中頃に勝山沖の浮島で四条流の包丁式が行われて以来継続され、現在は地元千倉の調理師達により年3回の包丁式が奉納されている。一方、醤油の神様として崇められ、境内には新旧二基の包丁塚がある。料理関係者の参詣が多い。
- 八坂神社(勝浦市鵜原)と鮑腸餅
小麦粉、きな粉、砂糖、よもぎが原料で、大名行列(大多喜城)に因む奉納食として6月7日につくられる。白と緑の「こね粉」を腹合わせし、白は鮑の身、緑色は腸に見立てた素朴なもので、きな粉をつけて食べる。
- 浅間(せんげん)神社(千葉市稲毛町)と小麦まんじゅう
子供の守護神として千葉市近郊から多くの子供連れが参詣に来る。特に7月15日は浅間祭りが催され、当日は裏山の松林まで人が溢れる。この辺は小麦の収穫と合わせて「小麦まんじゅう」をつくるため、まんじゅうづくりの名人が多かった。氏子はコハダ(コノシロの幼名)を子の肌に通じるところから食べない。
以上の他、寺社と食の結びつきは多く、香取神社と香取だんご、成田不動と不動まんじゅう等、県内各地にみられる。いずれも信仰の厚いことを物語るものである。
2. 人生の節目の行事食
地域により異なるが、昔はそれぞれの集落に「バンコ」と称される「料理人」の家系が居て、七五三、結婚式、葬式等を慣例に従って行ってきたため地方独自の料理が継承されて今日に至っている。
- 例①
出産の際、大きな三つ目のぼた餅を配る。母乳への期待が込められている。
- 例②
米は貴重な食糧で年間を通して各種の行事と関わりが多く、加えて東京湾の海苔の生産と共に大きな海苔巻きづくりが盛んになり、現在では県を挙げて米消費拡大に貢献している。この県の代表とも言われる郷土料理に「太巻き祭りずし」があり、東葛地域を除く県内各地で古くからつくられてきた。まさに海と陸の合作で優れた技術である。(「この太巻きは米をつくっている農民の手から生まれたところに価値がある。」と評された故樋口清之先生に心から感謝申し上げる。)
3. 東京の行事食
私の生まれた東京下町出身の両親(昭和初期に現在の浅草橋付近から船橋市に移った。)は、古巣が恋しく、酉の市、初詣(明治神宮か浅草寺)に出掛け、菊人形見物で市松人形を買い、花見は「向島、花咲き、団子の横食い、茹で卵」などと唄いながら桜の下を歩き、花火は両国橋の袂にあったビルの屋上で観るのが慣例(屋形船はその頃の花形)であった。食べるものはおでん、焼き鳥、茹で卵にお稲荷さんなど。10月は大伝馬町の「べったら市」へ。子供のころ船橋には無かったので東京の味だった。人は誰でも長年住み慣れた土地の風習とは離れられず、古き良き時代の思い出と共に生きるようである。子供のくせに10枚もそばを平らげて「もう連れてこないぞ。」と言われたことも今となっては懐かしい。