キッコーマン食文化講座

しょうゆ再発見 ~意外と知らないしょうゆの話~

日程 2023年1月13日
場所 東京国立博物館 平成館 大講堂
講師 山下弘太郎
主催 キッコーマン国際食文化研究センター
全景

私たちの日々の食卓に欠かせない調味料「しょうゆ」。
欠かせないというよりも、当たり前のように食卓にある、料理の味付けに使われている、と言った方が正しいかもしれません。海外から帰ってきた人が、まずそばを食べた、寿司を食べたという話をよく聞きますが、これもまた無意識にしょうゆの風味に安心感を求めているのかもしれません。しかしながら、しょうゆとは何か、いつ頃、どのように生まれ、どのように日本の食に浸透してきたかを明確に答えられる人はいないのではないでしょうか。企業として100年以上しょうゆづくりを続けてきているキッコーマンでさえ、その答えは持ち合わせていませんでした。伝説や伝承、それら断片的で不確かな情報で語られて来たにすぎません。

しょうゆの祖は醤(ひしお) であるということは昔から知られていることです。その醤はどのようなものであったか、正確には分かりません。平安時代には宮廷の儀式料理の調味料として律令に定められたくらいですからおそらくは当時の都にも普及していたのでしょう。醤というと一般的には、少しゆるめ のみそというイメージで語られることが多いのです。しかし、「延喜式」に登場する醤の記述からは液状の調味料であったとの解釈もできます。そこである仮説が浮かんできました。古文書に記述された名称は必ずしも現代のそれと同じものではないのではないかということです。例えば「たまり」を挙げてみましょう。現代の「たまり」はしょうゆの1分類としてしょうゆの日本農林規格(JAS)で規定され、大豆を主体に極少量の小麦を原料につくられるものとされています。しかし、様々な古文書に登場する「たまり」は醤、あるいはみその醸造で得られる上澄み液です。つまり、あくまでにじみ 出る液体の状態を表す言葉なのであり、製法や原料の規定はありません。たまり=(現代でいうところの)しょうゆであった時代もあるのです。このように考えると、従来の「醤油」という文字が文献に登場する室町時代がしょうゆ誕生時期だとする説の論拠は少々心もとなくなってきます。言葉というのはあくまでも記号であるという見地からもう一度歴史を眺めてみれば、新しい景色が見えてくるかもしれません。

山下C長

それでは、しょうゆの未来はどのようなものなのでしょうか。不幸にして昭和時代の初期に戦禍による物不足の中でしょうゆづくりは危機に直面します。しょうゆの旨味を構成する主成分がグルタミン酸であることから、当時工業化が実現したアミノ酸液をしょうゆの増量、代替として使用することがおこなわれました。しかし、本来は麹菌(こうじきん) の酵素による原料のたんぱく質、でんぷんの分解と乳酸菌、酵母による複合的な発酵から来る複雑で繊細な味と香りを再現するには至りませんでした。必須アミノ酸のほとんどを含み、有機酸やアルコールなど多様な成分が織りなす本醸造しょうゆの風味。日本食が世界中で受け入れられている背景には、この本醸造しょうゆの複雑さがインターフェースとなって様々な食材、嗜好をつなぐ役割をしているのではないかとも考えています。今後、人類が月面に、さらには火星にその生活圏を広げた時、たんぱく源としての大豆、エネルギー源としての小麦が重要な役割を演じるはずです。本醸造しょうゆの原料は大豆と小麦ですから、宇宙開拓のスタンダード調味料はしょうゆという日が来るかもしれません。