キッコーマン食文化講座

ブラジルにおけるしょうゆ事情 ~日系しょうゆの誕生とその背景~

日程 2023年7月29日
場所 キッコーマン株式会社東京本社 KCCホール
講師 早稲田大学人間総合研究センター 招聘研究員 小嶋 茂氏
主催 キッコーマン国際食文化研究センター
小嶋氏

ブラジルは約190万人と推定される海外で最多の日系人が生活する国である。その歴史は1908年の第1回移民船、笠戸丸による最初の日本人集団移民に始まる。笠戸丸移民の一人、新潟県出身の神田栄太郎はブラジルにおける醤油醸造業の嚆矢とされ、1914年にサントス市で創業している。しかし、移住当初の醤油とは、どのようなものだったのだろうか。その情報はほとんど残されていない。実際のところ、当時の事情を伝え聞く二世や三世の証言によれば、醤油にはたいへん苦労していたようだ。砂糖や塩あるいはトマトを材料として、代用物を作っていたとの話もある。自給自足するのが当たり前の生活の中で、材料は手に入らず、作り方は周りから学んで何とか工夫するしか方法はなかった。こうした伝統は、現在でも引き継がれている地域があり、自宅で味噌などを作る人たちは一定数存在する。
その一方で現在では、ブラジルの一定規模のスーパーマーケットに入れば、ほとんど間違いなく多種多様なブラジル産醤油が販売されている。そのほとんどは日系醬油メーカーであり、少なくとも5社による多様な製品が所狭しとばかりに並んでいる。こうした会社の創業者は、日本で醤油製造の仕事に最初から携わっていたわけではなく、ブラジルへ移住したのちに、様々なきっかけでこの道に入っている。しかし日本人移民の食の需要に応えるために始めたことは共通している。

そうした環境で、当初直面した困難も共通しており、第一に、小麦やその他良質な原材料の入手が難しかったこと。第二に、品質管理が困難だったこと。第三に、麹づくりに苦労したこと。第四に、流通網の不在で販路の拡大が難しかったことなどがあげられる。どの会社も時代を経るとともに、日本の会社や専門家からの助言を受けて経営を進めてきたが、ブラジル産醤油は日本の醤油とは明らかに風味が異なっている。その違いを現社長の方々に尋ねてみると、以下のような回答が得られた。第一に、小麦の代わりにトウモロコシを使った原材料の違い。第二に、食べ方や使い方の違いである。日本人は醤油を垂らすか、ちょっとつけるだけなのに対して、ブラジル人はたっぷりの醤油に浸して、醤油の味で飲み込むような食べ方をする、との指摘である。また、消費者であるブラジル人からの要望や依頼があり、色を付けるために醤油を使っていることが分かり、カラメルを入れることにしたというエピソードも報告された。

全体

日本食が健康食としての評価を得て、ブラジル人一般に広がるようになると、醤油の消費も増えてきた。さらに食べることによる消費だけではなく、自分で作る人が増えてきたことも、その消費拡大に貢献してきた。この過程で、味のローカリゼーションつまりブラジル化が始まった。このブラジル化した醤油が、日系人をはじめとしてブラジル人の味覚を獲得したことから、日系醤油はブラジルにおける醤油の標準となっていったと考えられる。そのため、日本産の醤油がブラジルの市場に出回るようになった現在も、日本産がブラジル産に入れ替わるということは起こっていない。いわば、ブラジル産醤油はすでに一定の市民権を得ており、生活の一部となっている。ブラジル醤油市場の7割以上を占めるサクラという日系ブランドが、醤油の代名詞として知られていることは、その事実を物語っている。世界標準となりつつある日本産醤油が、今後は、ブラジルでも他国と同様に広くスタンダードとして受け入れられていくのか、あるいはいわばワインのように、醤油の多様化が進み、それぞれ個性のある醤油として共存していくのか。食文化の多様性と共存の未来はブラジルで試されている。