江戸の味覚 ~料理本に見るしょうゆづかいの変遷~
日程 | 2023年9月30日 |
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場所 | キッコーマン株式会社東京本社 KCCホール |
講師 | 学習院女子大学 国際文化交流学部 日本文化学科教授 宇都宮 由佳氏 |
主催 | キッコーマン国際食文化研究センター |
1.はじめに
醤油の原型となる醤(ひしお、広義:食品の塩漬け)が中国大陸から伝来した。奈良時代は宮廷で「醤」が作られ肉醤(ししびしお)、魚醤(うおびしお)、草醤(くさびしお)、穀醤(こくびしお)のうち、麦や大豆を原料にした穀醤が味噌、醤油と発展する。鎌倉時代は、武士の台頭により携帯食なる味噌が隆盛する。室町時代は、垂味噌(たれみそ:味噌に水を加え少し煮詰めて袋に入れ、そこから垂れた汁)や煎り酒(梅干し・かつお削り節を酒で漉した液)などのしょうゆと似た調味料が使用されていた。室町後期になると近畿(堺、湯浅、龍野)で醤油が生産され、上方しょうゆが江戸へ運ばれる。江戸中期以降は野田や銚子での醤油造りが盛んとなり地廻り醤油が普及する。
江戸の味覚はどのように変わっていったのか。江戸期は町人文化が花開き、数多くの料理本が刊行された。そこで料理本からしょうゆづかいの変遷について計量的に紐解いてみたい。
2.研究方法
本研究では、江戸期に刊行された『料理物語』(1643)から『新編異国料理』(1861)まで料理本49冊が収録されている『原典現代語訳日本料理秘伝集成』を用いた。醤油、味噌、酢、煎り酒、たまりなどが明記されている44冊3046の料理を抽出して調理法、調味料、食材で分類した。時代区分について、本研究では前期(1603-1715年)、中期(1716-1800年)、後期(1801-1867年)の3区分とした。
3.『料理物語』で用いられた調味料
『料理物語』は食材や調味料が書かれた江戸初期の代表的な料理書である。醤油を使用した料理は260料理中12料理(4.6%)で、他の調味料は塩(58件)、みそ類(93件)、酢類(54件)、煎り酒(26件)、たまり(13件)、だしたまり(29件)であった。「魚介の刺身(22件)」は醤油ではなく煎り酒(11件)としょうが酢(9件)、「野菜と魚介の汁物」は、50%がみそで味付けされていた。「魚介の煮物」はだしたまりで、「魚介の和え物・なます」は酢と塩で味付けされていた。
4.『原典現代語訳日本料理秘伝集成』における時代比較
時代を3区分すると、醤油の出現率は、前期(16.3%)に対して中期(42.1%)、後期(45.9%)と2倍以上に増加する。醤油へと味付けが変化した料理は、刺身と魚介類の煮物、肉類の煮物であった。 刺身は、醤油(0%→7%→34%)、酢(47%→29%→25%)、煎り酒(38%→29%→14%)となる。中期には、『鯛百珍料理秘密箱』(1785)の「佐渡芋汁鯛(醤油・酒・だしの汁にとろろを溶き、鯛の切り身をその汁に漬けてすぐにあげ、鯛の上にとろろをかけたもの)」で生魚に醤油が初めて使われた。刺身は、酢と煎り酒からの味付けから、醤油へと変化した。煎り酒は後期になると天ぷらに用いられた。
魚介の煮物は、醤油(7%→25%→29%)、味噌(10%変化なし)、酢(13%→6%→2%)、煎り酒(8%→1.5%→4%)であった。味付けは味噌、酢、煎り酒から醤油と味噌に変化した。 肉類の煮物は、醤油(18%→27%→31%)、味噌(16%→14%→9%)、酢(11%→6%→0%)、煎り酒(5%→4%→3%)であった。前期は、鶉など鳥類の肉が多い。中期になると鶏肉に加え猪や豚の内臓などに用いられ、後期には獣肉が醤油と酒で味付けされており、いずれも中国人による料理本であった。 肉類は、魚介類より早い時期から醤油が用いられていた。煮物は、後期になると醤油とみりんの組み合わせが増加していた。
5.「がせちあへ」の再現と考察
『料理物語』にある「がぜちあへ」(鶉肉に醤油をつけてあぶり一口大に切り辛子酢で和える)の再現を試みた。
たまりが最も肉にのりやすく、焦げやすいが苦味も美味しさとなり辛子酢との相性もよかった。