ハワイにおけるしょうゆ事情~日系しょうゆの起源と現在~
日程 | 2024年6月8日 |
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場所 | キッコーマン株式会社東京本社 KCCホール |
講師 | 早稲田大学人間総合研究センター 招聘研究員 小嶋 茂氏 |
主催 | キッコーマン国際食文化研究センター |

ハワイにおける日系醤油の歴史は、ブラジルの場合とはかなり様相が異なります。その背景には、他の移住先国と比べると日本から近い距離にあることから、輸入が早くから行われていたこと。さらに、戦前には日本人が全人口の約4割を占めていたことから、日本食品の需要が高かったことが考えられます。
ハワイにおける日本からの食品雑貨輸入は、すでに1890年代から始まっています。その中で日本の醤油も、キッコーマンしょうゆをはじめとして輸入された記録が残っています。こうした事実は、地球の反対側に位置するブラジルとは明らかに異なります。それとともに、ほぼ同時期からハワイでは日本人移民による醤油醸造が始められており、様々な需要があったことが伺えます。日本醤油の輸入はもとより、原材料の入手も難しかったブラジルとは、明らかに状況が異なります。

いくらか現存する輸入記録を見ると、1910年代から1930年代にかけて9升入りの醤油樽が年間5万から9万樽程度ハワイへ輸入されています。人口調査に基づくその当時の日本人人口から概算してみると、一人当たり月間0.875ℓほど消費していたことになります。また現在の物価に換算すると、月あたり約300円になる計算です。日系醤油の銘柄は、過去の邦字新聞・雑誌などを調べてみるとハワイだけでおよそ20の醸造会社があったことが分かります。ただし、それぞれの銘柄の広告が掲載されているのみで、会社がいつ誰によって設立されたかについて、その歴史までは記録が見当たりません。過去の先行研究によれば、1890年代からハワイにおいては醤油会社が設立されていることや、その多くがホノルルにおいて創業していることが分かっています。しかしこれらの会社は、会社名・創業者・銘柄のすべてが必ずしも明らかではありません。

1978年時点で行われた調査では、キング醤油・アロハ醤油・ダイヤモンド醤油・クラブ醤油の4社が存在していました。そして現在、その中で残っているのは、アロハ醤油とクラブ醤油のみです。興味深いことに、ハワイ島のヒロで創業された池田醤油や国粋醤油そしてクラブ醤油は、現在ホノルルでもほとんど知られていません。日系醤油の社長や会長が、ブラジルではまだ二世で、その歴史を覚えているのに対して、ハワイではすでに三世以降の世代に移っています。それゆえと思われますが、初期の歴史がほとんど忘れ去られているのが現状です。また、ハワイでは島ごとにそれぞれ独自の食文化圏があったことも可能性として考えられ、今後もさらに詳しく調査を続けていきたいと思います。