キッコーマン食文化講座

台所から見た 世界の家庭料理

日程 2025年9月6日
場所 キッコーマン株式会社東京本社 KCCホール
講師 自炊料理家 山口 祐加先生
主催 キッコーマン国際食文化研究センター
会場の様子

1. はじめに
私は「自炊料理家」という肩書で活動しています。私が運営する料理教室では、買い物の仕方など自炊の基本から教えており、2019年から現在まで、700名ほどに自炊の基本を伝えてきました。 私自身シンプルな料理が好きですし、それは自分にとっても食材にとっても負担が少ないと考えています。しかし、周りの人たちが料理にコンプレックスやハードルの高さを感じている現状を見て、料理が嫌いになってしまうのではないか、と危機感を持ちました。そこで、執筆活動や料理教室の運営などを通じて、自炊をする人を増やしたいと思い活動を続けています。  

山口先生


2. 旅に出た理由
20代のころ、キューバで家庭料理とキッチンについて取材をしました。8家庭の取材をしましたが、どの家庭もほぼ同じ料理を食べていました。黒豆をご飯と一緒に炊いた豆ごはん、焼いた肉、サラダをA定食とすれば、B定食は、豆のスープ、焼いた肉か魚とご飯。そのどちらかを毎日食べていて、献立を考えることがありません。当時のキューバの社会情勢では食材が限られており、そうせざるを得ない環境もあったとは思いますが、彼らは何も困っていませんでした。「献立を考える必要がない国もある」ということに驚きました。
私が主宰する自炊レッスンでは、「献立づくりが苦痛」「いつも同じ料理ばかりでマンネリ」「スーパーで途方に暮れる」といった悩みをよく聞きます。「献立に困るのは日本特有なのではないか」「世界の人たちは、日々の自炊についてこんなに悩んでいるのか」、そうした疑問を自分で確かめたいと思い、2024年の1年間をかけて、世界の自炊を巡る旅に出ました。  
あらゆるツテをたどり、12か国、38家庭を取材しました。夫婦ともに料理をする家庭なども含めると、取材対象者は合計48名(女性33名<69%>、男性15名<31%>)に上りました。 世界的な調査会社であるギャラップとクックパッド社が共同で実施した、2022年の世界的な料理頻度の調査によると、昼・夜の1日2回×週7日=14回を最大値とした場合、女性は週平均8.7回、男性は4回料理をしており、女性の方が2倍多く料理をしています。この数値は私の肌感覚とも一致しており、今回の取材対象者にも、世界調査と共通する傾向が見られました。 今回は私が取材した中から、3か国を紹介します。


韓国 
韓国の食堂にて

3. 韓国
韓国では料理本の編集をしている女性と知り合いました。彼女は次のように話していました。
  ・プルコギなど手間がかかるものは、家ではつくらない
  ・都会で忙しく働く人たちは、外食か総菜のデリバリーを頼むことが多い
  ・忙しい家庭だと台所に立つ余裕がないことを、みんなが分かっているので、外食生活は普通
  ・冷凍食品や惣菜に頼ることを気に掛ける家庭がないわけではないが、利用することに「罪悪感」を抱く     
   人は少ないはず
  ・20年前までは花嫁修業の価値観があったが、最近では「好きな人が好きなことをやる」風潮が高まり、
  「料理=女性」という考え方もタブー
韓国では外食すると、ナムルやキムチなどの副菜がたくさんついてきます。例えば釜山(プサン)の食堂では、日本円にして1000円ほどで、魚の煮つけ、太刀魚の塩焼き、ナムル、キムチ、スープ2種、韓国のりなどたくさんの皿が並びました。市場の食堂で、肉体労働の人が食べる場所だったこともあるかもしれませんが、とても食べきれないほどの量でした。1000円でこれが食べられる社会で、自炊する意味とは、と考えてしまいました。

混ぜごはん
混ぜて食べるのも特徴的

ソウル郊外では、観光牧場を経営している一家にホームステイをしました。奥様は野菜ソムリエの資格を持ち、料理本の著書もある料理上手です。到着した日は、山菜がたくさん入ったナムルに自家製ダレをのせた混ぜご飯とスープを食べました。翌日には前日の残りのスープにご飯をいれ、クッパにしたものが提供されました。前日の残り物を活用した、とても合理的な工夫が見られました。日本でも鍋料理の翌日、余った汁にご飯を入れて食べることがありますが、同じような食べ方を韓国でも体験できてうれしく思いました。

サンチュと焼き肉
焼き肉の翌日はチャーハンに

また、別の日にはサンチュに甘辛く炒めた肉をのせて食べました。野菜、肉、ご飯と栄養バランスが整った食事です。翌日は余ったプルコギをチャーハンにしていました。食事にもやしスープがでたとき、夜は温かいスープをいただきましたが、次の日の朝は冷たいままで提供されました。韓国では暑い時期は冷たいスープを食べる習慣があるそうです。冷たいスープはキムチの酸味がより際立ち、パンチの強さが活かされておいしかったです。そのほかに、自家製のキムチが何種類も並びます。これだけで他におかずがなくても、立派な食事になるほどです。
韓国と日本の自炊は、ご飯、おかず、汁物という構成は似ていますが、一つひとつの構成要素の強さが異なります。韓国料理はにんにく、キムチ、ごま油、唐辛子など、建築物でいえば太い柱が立っているイメージです。逆に日本料理はしょうゆやだしなど、柱が細く繊細なイメージ。だからバランスをとることが難しいと感じます。
また、韓国料理は器自体を火にかけ、グツグツと熱い状態で提供されるのも特徴的です。食べ手が食卓でニラやキムチを入れ、好きにアレンジできる自由度があります。食べ手が調理に携わることができるところがおもしろいと感じました。
いろいろな料理を混ぜて食べることも特徴的です。キムチもナムルも使っている調味料に親和性があり、混ぜてもおいしいのです。日本の料理はそれぞれの料理で取り皿を使い、お弁当も味が混ざらない工夫をしたり、味を分けたいと考える文化なのだと思いました。
 

サルモレホ
固くなったパンをスープに活用

4. スペイン
スペインでは、セビリアで一人暮らしをしている女性に料理を習いました。いかにもスペイン人という明るく楽しい方で、おしゃべりをしているとあっという間に時間が過ぎていきます。私が一番印象的だったのは、鶏肉のスープに冷蔵庫にあるさまざまな野菜をいれたスープです。家にあるものをなんでも入れたスープは、世界中にあるのだと感じました。
アンダルシア地方はとても乾燥した地域です。パンが主食ですが、翌日になると固くなってしまう。それを水に浸してやわらかくし、トマトとあわせてスープにした「サルモレホ」は家庭でもレストランでも食べられるメニューです。加熱する必要もなく、暑い時期にぴったりです。ポイントはオリーブオイルをケチらないこと。オリーブオイルとにんにくが入ることで、とてもおいしくなります。また、現地ではお酢はいれないのですが、現地のトマトは日本のものより酸味が強いので、私はお酢で味を調整しています。パンは全粒粉などではなく、白いパンであればなんでも大丈夫です。パンが入ることで、全体がもったりとしたペースト状になります。

バルセロナでお世話になった家庭は、奥様がとても料理上手で、キッチンもピカピカ。こちらではスペイン風オムレツを教わりました。日本ではいろいろな野菜を入れてつくりますが、現地ではじゃがいもと玉ねぎのみ。それも多めの油でしっかりと火を入れ、卵液を入れてつくる、とてもボリュームのある料理です。これはどこのバルに行っても必ずあります。レンズマメの煮込みは、にんにくを丸ごといれてつくっていました。
スペインでは自炊でも外食でも同じようなものを食べていて、自炊は味に保守的だと感じました。最初に紹介した家庭では、毎週同じメニューを食べているそうです。今日と明日のメニューは違うが、来週はまた同じメニューを食べる。バラエティはそれほどないが、それに不満を抱くことはなく、マンネリと思ってもいませんでした。また、料理の味そのものより、家族や友人とゆっくり話をしながら食事をとることに重点を置いていました。おいしい、飽きない料理を求めすぎない距離感が、心地よく感じました。料理雑誌に掲載されているのも、スペイン料理ばかりでした。
 

さまざまな野菜を入れたスープ(左)
スペイン風オムレツ(左)とレンズマメの煮込み(右)

5.ラオス
ラオスでは北部にある都市、ルアンパバーンで取材をしましたが、男性が料理をしていました。奥様も夫の方が料理が得意だからと、当然のこととして受け止めていました。ラオスは発展の度合いでいえば発展途上です。自炊は当たり前のことで、みんなが料理をできるのだと感じました。
ラオスでは都会も田舎も関係なく、炭火で料理をします。まな板を床に置き、しゃがんで料理をするのが独特でした。主食はもち米です。左手にご飯を持ち、右手で一口取っておかずをつけて食べます。左手がお茶碗がわりのようで、市場でもこのように食べている人をたくさん見かけました。
ラオスは仏教国で托鉢(たくはつ)の文化があり、朝はお坊さんにもち米をお供えする姿が見られました。最近は忙しい人が増え、インスタントラーメンなどをお供えする人が増えた結果、お坊さんが太ったという話を聞きました。社会の状況がそのようなところに現れることが、とても興味深かったです。
炭火は、火が小さいときは野菜をあぶり、火が大きくなったらスープを煮るなど、上手に活用していました。炭と七輪のほか、ガスとカセットコンロなども売っているのですが、高い。長期的に見ればガスの方が安いのですが、身近な炭を使う人がまだまだ大多数です。先進国で炭火レストランが流行っている中、日常で炭火料理をしているラオス。料理に時間と手間をかけるのが当たり前の文化がこれからも残ることを願い、経済的合理性や豊かさとは何かを考えさせられました。
 

毎日、炭火で料理をする
主食はもち米


6. 世界の自炊を巡って疑問に思ったこと

 私たち日本人は、毎食違うものを食べたいと思っていますが、世界を見ると、そうした考えの方が珍しいということに気付きました。献立という概念が通じないと感じたことも多くありました。また、自炊巡りの旅で出会った人々は、みんな自国の料理を作っていました。伝統的な料理に対する愛着も強く、それが今でもしっかりと受け継がれていることがすばらしいと感じました。
私たちはなぜ味に飽きるのか、他の国の料理をつくろうとするのか。これまでは当たり前すぎて、そんなことを考えたことがありませんでした。日本人は真面目で、栄養バランスや献立に対するプレッシャーが強いと感じます。でも、毎食、栄養バランスの整った食事をする必要はないし、献立という概念を手放してもよいのではと感じました。