研究機関誌「FOOD CULTURE No.27」レシピ集から見る日系人の食の変遷について(ブラジル)

早稲田大学移民・エスニック文化研究所 招聘研究員 小嶋 茂

レシピ集から見る日系人の食の変遷について(ブラジル)

はじめに

海外に渡った日本人移民は、その移住先国において様々な貢献を果たしてきている。農業・教育・文化・スポーツなどの分野で、著名な日系人は多数見出せる。しかしその一方で、無名の日系人一般による貢献も忘れることができない。ブラジルにおける「ジャポネース・ガランチード(japonês garantido)」という言葉は、まさにその典型である。特定の個人に象徴される貢献ではなく、普通のおおぜいの一般人が、おしなべて勤勉かつ正直で信頼に値する人物であることが、周りの人々そしてコミュニティにおいて認知された、その評価である。それはいわば、コミュニティの集合遺産である。この名もない普通の人々による貢献で、今まであまり注意が向けられてこなかったのが、家庭における女性の役割である。
女性の役割には、家事・子育てのほか仕事の手伝い、そして「婦人会」という日本語が各地で残っているように、婦人会によるコミュニティ活動がある。その婦人、各家庭のお母さんによる貢献とは何かと考えた時、最初に思い浮かぶのがレシピである。異郷の地におけるお母さん方の様々な工夫と努力、それはレシピの一つひとつに、個人名こそ記されていないものの、その深い想いが込められているのではないか。それがレシピ集の収集を始めたきっかけである。
そしていざレシピ集を集め始めると、想像以上にいたるところで出版物や印刷物、類する記録が残されていることが分かった。実際のところ、一定数のレシピ集が集まったものの、各地の日系婦人に尋ねてみると、過去にはたくさん作られていたようで、引き続き収集を継続している。本稿はその経過報告である。

レシピ集の調査

集まってくるレシピ集を調べていくと、以下の4点に注目することが重要だと思われる。そこでこの4点に焦点をあて内容を紹介する。

-レシピ集の分類、どのようなレシピ集が残されているか。
-レシピ集の製作者と目的、レシピ集は誰がなぜ作るか。
-作成の経緯と時代、どのような機会に出版されているか。
-レシピ集の中身、レシピ集の内容はどのようなものか。とくに日本人の食がどのような変化をとげているか。

レシピ集の分類、どのようなレシピ集が残されているか。

本報告で紹介するレシピ集は、最後に参考文献として一覧を掲載している。何らかのかたちで日系人や外国に渡った日本人が関わっているものに限定していることから、外国で出版企画されたレシピ集に限られている。そして、それらのレシピ集の分類を試みると以下のようにまとめることができる。

1)日系婦人による日系人のために書かれたレシピ
2)移民文化紹介の一環として食を紹介したレシピ
3)健康食、ローカル食の紹介として書かれたレシピ
4)日本食、日本料理をブラジル人に紹介するために書かれたレシピ

以上の4分類は必ずしも明確ではないが、一つの目安となる。但し本稿では、すべてを紹介する余裕がないため、優先順として1)と2)についてのみ、その内容を紹介する。

1)日系婦人による日系人のために書かれたレシピ


①佐藤初江『実用的なブラジル式日伯料理と製菓の友』1940年

このカテゴリーに該当するレシピ集は①~⑦である。これらのレシピ集の著者は日系人の一世あるいは二世・三世、後には非日系人も含まれてくる。
その最初の著作は『実用的なブラジル式日伯料理と製菓の友』①である。著者の佐藤初江は1901年生まれで1924年にブラジルへ渡っている。そして10年後の1934年に初版を発行している。1983年第十三版(日葡両語版第四版)によれば、1963年には第八版としてポルトガル語第一版が、1971年には第十版として日葡両語版第一版が出版されており、ロングセラーとなっている。ブラジルで生活していく上での食に関する生活一般の指南書であり、いわば“食生活バイブル”ともいうべきものである。日系婦人の多くがお世話になってきた本であるらしい。著者の佐藤自身が移民であり、その生活体験から得た広範な知識と技を日系婦人に伝授している。前書きには「文化の基は栄養から」「ブラジルの土地で安価に手に入る材料で誰にでも出来易い料理の本」という紹介がある。大項目による分類では、「食事の際の心得」から始まり「マナーやエチケット」「ブラジル料理編」「菓子編」「日本料理編」などに分けられるが、それぞれがさらに細かく分けられ、主な項目を拾い上げると以下のとおりである。

「食材の見分け方や買い方」「肉類の処理法」「スープの部」「ソースの部」「サラダ類とゼラチンの部」「魚貝類の部」「パスタの部」「ライスの部」「肉類の部」「内臓の部」「玉子の部」「パンの部」「豆類の部」「野菜の部」「サンドイッチの部」「キャンディの部」「ビスケットの部」「クリームの部」「ケーキの部」「スイーツの部」「だしの取り方」「蒲鉾の部」「煮物の部」「寿司の部」「酢ものと刺身の部」「揚げ物類」「焼き物の部」「日本菓子」「コーヒー、茶類」「保存食の部」「典型的な一週間のメニュー」「ブラジルでの日本食献立(客式・日常式)」「結婚式用献立」

まさに微に入り細をうがった内容である。第十三版は厚さにして3センチ、432頁に及ぶ大著である。そのはしがき(1940年第二版)には、「邦人のコジニエイラ(調理人)又はドオセーラ(菓子職人)を志し当国外人の上流階級へ這入られる方々の指針ともならば…」とあるように、ブラジル人家庭に入っても十分通用する現地の食文化に関する詳細な内容が含まれている。その当時の言語・社会状況など諸条件を考えると、ブラジルに渡って10年でこのような大著をまとめていることには驚かされる。
この著作にはいくつか特徴がある。第一に、1934年の初版から版を重ねるごとに少しずつ改訂はあるようだが、基本的には大きな変化がなくその大筋は変わっていないこと。第二に、その日本語がいわゆるコロニア語(ブラジルの日系人が使っていた、日本語とポルトガル語が入り混じった独特の言語表現)で書かれていることである。
第一の特徴からは、その当時の食に関する様々な状況を知ることができる。例えば、一読して最初に思い浮かぶ疑問もある。調理法の説明で言及される食材や調味料に関することである。しょうゆ・酒・味の素をはじめ、わさび・ごぼう・大根・れんこん・しいたけ・かまぼこ・コンニャク・油揚げ・昆布・かんぴょうなどの食材が頻繁に現れるが、これらの食材がどの程度日常的に入手できたかの疑問である。この本が広く読まれていたことを考えると、入手困難であったとは考えにくい。手に入りにくい材料に満ちた料理の本を買うはずはないからである。ブラジルにおけるしょうゆの商業的醸造開始は1913-14年頃、1920‐1930年代にはしょうゆ醸造会社をはじめとして豆腐やうどんの店も次々とできていたことから、しょうゆや味噌については簡単に入手できたと推測される。味の素はブラジルで駐在員事務所が開設されるのが1954年である。輸入販売会社が設立されるのが1956年であることから、戦前には広くは出回っていないはずである。しかし、一般ルートには乗らなくとも、日系人のあいだでは容易に入手できたことも考えられる。食材に関しては、斎藤広志著⑧がその背景を説明している。

「『郷愁の食べ物』シソ・ゴボウ・ミョウガ・クワイ・ウド・サンショウ・れんこんなどは毎週一回開かれる朝市に行けば手に入る。ブラジル人のあいだにはまだ伝播していない。フェイラと呼ばれる朝市は、サンパウロ市内の50~60か所で毎週1回開かれている。」(165頁)
「モウソウチクの筍やラッキョウはもうブラジル人家庭やドライブイン風食堂でサラダになっているし、白菜などもサラダとして評判がいい。」(166頁)

斎藤のこの記述は1982年のものであるが、日系人のあいだでは、かなり前からそうした状況にあったと考えて差支えないのではないか。筆者も1980年から1993年までのブラジル滞在の間、毎週朝市や公営市場を利用したが、日系人の店では見える場所には置かれていないものの、尋ねて見れば、「郷愁の食べ物」が後ろに取り置かれていることが多かった。知人の日系人には、自宅でシソやミョウガを栽培する人も多く、豆腐の巡回販売をする人もいた。つまり、家庭で栽培したり、近くの日系人が作っていたり、あるいは朝市などでは比較的容易に手に入ったと推測される。現在でも、味噌やコンニャク、シソやミョウガなどを家庭で作っている婦人が少なからずいることは、そのことを証明している。
第二の特徴、コロニア語で書かれていることは、社会言語学的研究資料としても興味深い。日系人家庭では食に関して、どのような語彙が使われ会話が行われていたか、その貴重な記録となっている。例えば、以下のような表現が見られる。

「最初にアルマ・メーザ(食卓の準備)をせねばなりません。」
「まずガリンニャ(鶏)1羽分をリンパ(要らない部位を取り除ききれいに)します。」
「ポン(パン)にマンティガ(バター)を塗ります。」
「フリジデイラ(フライパン)にアスカル(砂糖)と水を入れて混ぜます。」

といった類である。日本語ではなくポルトガル語で音表記され、頻繁に現れる食材や食器等は以下のとおりである。

「アーリョ(ニンニク)」「アロース(米)」「ケイジョ(チーズ)」「ソブレメーザ(デザート)」「レイテ(ミルク)」「レポーリョ(キャベツ)」「セボーラ(玉ねぎ)」「バタチンニャ(ジャガイモ)」「フランゴ(鶏肉)」「フルッタ(フルーツ)」「プレズント(ハム)」「マッサ(パスタ)」「マンテイガ(バター)」「ヴェルヅーラ(野菜)」「アルマ・メーザ(食卓準備)」「プラート(皿)」「クリエール(スプーン)」「ガルフォ(フォーク)」「ファッカ(ナイフ)」「フリジデイラ(フライパン)」

これらの食材・食器は、日々の生活でほとんど毎日のようにして使われるものと考えて間違いないだろう。ここに食生活の基本が見られると言えるかもしれない。また、こうした日常会話で実際に使われている言葉で表現していることは、実地を重視し次の世代に伝えようという思いや、新来移民に対する配慮でもあるだろう。バイリンガル版のポルトガル語タイトルは『日伯調理法(Arte Culinária Nipo-Brasileira)』で、内容から判断すると、まさにブラジル日系社会における食文化生活記録ともいうべきものである。現在でも使い続けられていることは、その内容に現在でも通用する普遍性が残されているからであろう。確かに、食材の選び方や保存の仕方といった内容は現在においてもそのまま役に立つ。
収集できた本書の3つの版(1940年第二版①、1955年第五版②、1983年第十三版③)を比較すると、いくつかの変化が分かる。その第一は、例えば以下のようなポルトガル語語彙の表記の変化である。

②佐藤初江『実用的なブラジル式日伯料理と製菓の友』1955年
③佐藤初江『実用的なブラジル式日伯料理と製菓の友』1997年

サンドウヰツチ → サンドウイツチ → サンドウィッチ(サンドイッチ)
フエジョン → フエジョン → フェジョン(フェイジョン豆)
ベルヅウラ → ヴエルヅーラ → ヴェルヅーラ(ヴェルドゥーラ、野菜)
ベリンジエーラ → ベリンゼーラ → ベリンゼーラ(ベリンジェーラ、茄子)
バカリヤヲ → バカリヤオ → バカリヤオ(バカリャオ、干しダラ)
【左から1940年表記 → 1955年表記 → 1983年表記(現在の表記、意味)】

こうした言語表記変化が何を意味するのかは、いわゆる「コロニア語」との関係でたいへん興味をひかれる。音声学の視点からも貴重なデータであると思う。
第二には、漬物類のレシピの変化である。1940年には福神漬と塩漬しかなかったレシピが、1955年にはそれに加えて、粕漬・茄子漬・巻漬・沢庵漬・ラッキョの酢漬など多数の漬物類の記載が見られることである。そのほか、豆腐や油揚げ、コンニャクやブラジル式江戸味噌の作り方まで紹介されている。このうちとくに興味深いと思われる「ブラジル式江戸味噌の作り方」は以下のとおりである。

大豆を十八リットル水洗いして一日水に浸し、鍋に入れて火にかけて極く軟かく煮ます。(約七時間-九時間位)パネーラ・プレッソン(→圧力鍋)なれば約五〇分位煮た大豆を暖気のある内にうち上げ、肉挽器にかける。又はもち臼でついてもよろしい。塩八キロ分をよくほぐし、麹、豆、塩とをバツシヤ(→容器)に合す。豆を煮た汁を五リットル程混入れる。斯して、よく消毒したキント(→kit?不明)に移し詰め、上面平たくし、塩をふりかけキチンと紙や布を覆います。この場合の仕込み混合全量は約六三キロ内外でありますから、約七割増しとなります。仕込んだ月から月一回位混ぜ返し、七ケ月後から食用してもよいのですが、十ケ月以上置くと成熟します。気候の暖寒または塩分の強弱に依って早造りや、また十ケ月おく場合もあります。以上仕込み材料は米九キロ分より作った麹約十八リットル、塩八キロ分です。」(→以下は著者補足、『実用的なブラジル式日伯料理と製菓の友』1955年版、326頁)

しかし、この漬物類の紹介は1983年版では、再び福神漬とラッキョの酢漬などだけに戻ってしまっている。これは何を意味しているのか。一つには、時代に関係なく福神漬とラッキョの酢漬の需要が高い、あるいは人気があるということであろう。北米でも、戦前から続く福神漬の缶詰がいまだに出回っていることを考えると、頷けることである。もう一点は、第二次大戦が終わり少しずつ自分たち本来の生活を取り戻していく中で、各家庭でできることに取り組んでいったのが、50年代から60年代であったのだろう。あるいは新来移民が自分でいろいろと試行錯誤した時期と重なる。そしてその後は、産業としての日本食食品製造が盛んになり、たくさん流通するようになる。また一世から二世へと世代が交代する中で、家庭で手間をかけて作る食品が次第に限られてきたということだと思われる。一世を中心とした日系コミュニティが息づいていたのは1970年代までで、それ以降は二世の時代となっていったのである。

『おふくろの味』(原語はポルトガル語Delícias da Mamãe〈おかあさんのごちそう〉)④は、アデスキ(ADESC)によるレシピ集である。アデスキという言葉は、ブラジルの日系コミュニティではよく知られている。ブラジル農協婦人部連合会(Associação dos Departamentos de Senhoras Cooperativistas)の頭文字をとった略称である。その始まりはコチア産業組合婦人部であった。コチア産業組合は1927年ブラジルで日本人移民が設立した農業協同組合で、同国最大の農協であった。しかし残念ながら、1994年に解散へと追いやられた。同婦人部は、当時75支部で2000人に及ぶ会員がいた。その多くは現在二世であるが、一世会員もいる。そして、この婦人部はコチア産業組合の意思を引き継ぎ、ブラジル農協婦人部連合会として、活動を続けている。このアデスキが1994年の第1巻④から2010年の第4巻⑦まで、過去に4回レシピ集を発行している。
このレシピ集第1巻は、まだコチア産業組合時代に発行されたわけだが、その序文に出版の趣旨が記載されている。つまり、組合所有の病院用救急車取得とコミュニティ教育資金獲得を目的として始められた。具体的には、地元生産物を活用して調理技術を競うコンクールを実施した。その結果、500を超えるレシピが集まり、その成果をまとめたものが、レシピ集第一巻となった。会員たちは農業者の妻として、いつも旬のモノ地元のモノを最大限に生かすことを考え工夫してきた実践者であり、何よりもそれは思いやりの心に満ちたものであった。そこでその日々の生活の知恵を一冊の本にまとめることになった。お母さんのご飯の味を、子どもたちが深い愛情とともに思い出してほしいとの願いのもと、タイトルは「おふくろの味」に決まった。「引き出しに入ったまま忘れられてしまうことの多いレシピを出版することで、お世話になった人たちへの恩に報い、使いやすく簡単なレシピを目指した」と前書きには記載されている。
第1巻の内容は以下の12項目に分けられており、299のレシピが公開されている。

「サラダと漬物」「鶏肉」「豚肉」「魚」「玉子」「野菜、青物」「ジャガイモ」「大豆」「米、パスタ」「スイーツ」「デザート」「ケーキ、パイ、パン、ビスケット」

各レシピには、そのレシピが考案された地名が入っており、基本パターンとしては、材料と作り方が1頁に収まるように工夫されている。バインダー綴じで厚さ2センチ、全392頁である。

④コチア産業組合婦人部『おふくろの味』1994年

『おふくろの味』第2巻⑤は1998年、ブラジルへの日本人移民90周年記念の年に刊行された。母体であるコチア産業組合が解散したにもかかわらず、その婦人部の人たちがコチアの協同精神を引き継ぎ地道に活動を行っていることは、まさにその熱意と底力を示すもので敬服に値する。その第2巻序文には以下のような記述がある。
「90年間のブラジル日本人移民により提供された食卓を記録すること。文化や習慣そして味付けが混じり合う中で、日本料理の本質を失わずに世代から世代へと引き継がれた食卓を記録する。」
この第2巻、日本人移民90周年を記念した刊行により、「食卓(家庭の食文化)を記録する」ことが確認され、以後この事業が継続して行われていくことになる。そして、「食事こそが家族や友人を強く結びつける」もので、「母親の仕事を楽にして、その義務を喜びや技へと変えること」を目指したのである。このようにして、資金獲得から始まったレシピ集が記念事業となり、さらに継続されていく道が開かれていった。

⑤ADESC『おふくろの味』第2巻、1998年

第2巻の内容は、分類が少し変わり以下のように17項目に分けてある。

「サラダ」「漬物」「鶏肉」「肉:豚肉、牛肉」「魚」「玉子」「野菜、青物、ジャガイモ」「米」「パスタ」「ブラジル風スナック」「大豆」「スイーツ」「デザート」「ケーキ、パイ、パン、ビスケット」「動物性タンパク質の代替食物」「薬効に注目した健康メニュー」「裏技やヒント」

肉類に新しく「牛肉」が加わり、「ブラジル風スナック」や「動物性タンパク質の代替食物」、「薬効に注目した健康メニュー」が追加されている。ブラジル人の食生活で一番馴染みのある牛肉やスナックが加わった一方で、健康食への関心が広がったことが伺える。第1巻と同様に、バインダー綴じで厚さは2.5センチに増え、全442頁からなり281のレシピが公開されている。

2004年に刊行された『おふくろの味』第3巻⑥は、この少し前の時代から急速に広がっていった日本食ブームの影響を読み取れる。そのため、最初の2巻との違いが顕著で、会員からも「日本料理に関する記録を残したいとの希望がたくさんあった」という。そして、「日本各地様々な県に起源をもつ」レシピが集まり、「ちょっと甘くて塩気が少なく、しょうゆが多くて、砂糖が少ない」レシピになっているという。この「ちょっと甘くて塩気が少なく、しょうゆが多く」とは、まさにブラジル人から見た日本食のことである。日本の料理では、ブラジルと異なり砂糖を使うことが多く、またブラジル人のようにはたくさん塩を使わず控えめである。ブラジルと比べてしょうゆが多いのも日本ならではのことだ。
「砂糖が少ない」のはスイーツの甘味がブラジルよりは少ないことを指している。日系人自身がすでに、当然のことながら、ブラジル人の味覚に慣れていることを示している。

⑥ADESC『おふくろの味』第3巻、2004年

第3巻の内容は、以下のように19項目に増えている。

「サラダ」「肉:鶏肉、豚肉、牛肉」「魚」「玉子とパスタ」「野菜、青物、ジャガイモ」「パスタとブラジル風スナック」「パン、ロールパン」「ケーキとパイ」「プリン、ゼリー、クリーム」「スイーツとビスケット」「パスタ、パテ、ソース、薬味」「動物性タンパク質の代替食物」「和風サラダ」「簡易保存食と漬物」「米」「カレー味ヤキソバ」「大豆」「だし汁、スープ」「日本料理に関する情報とヒント」

新たに「ロールパン」「プリン、ゼリー、クリーム」「和風サラダ」「簡易保存食と漬物」「だし汁、スープ」「日本料理に関する情報とヒント」が追加されている。バインダー綴じで厚さは2.8センチ、全497頁からなり308のレシピが紹介されている。また日本料理で使われる食材や台所用品の紹介に、8頁57項目をあてている。料理の名称そのものに日本語名(音訳)があてられているものも多数見られる。例えば、「Ma-Bo-Dôfu」(マーボー豆腐)「Nasu no Missôni」(ナスの味噌煮)「Satoimo no Buta Soboro ni」(里芋の豚そぼろ煮)などである。この時期は日本食ブームとともに、食材はもとより料理名もブラジル人にそのまま日本語で提示するようなっていったことが分かる。

『おふくろの味』第4巻⑦は、2010年に刊行されている。それまでの3巻と異なる点として、ブラジル以外の日本やボリビアからのレシピの提供を受けていることが挙げられる。第3巻で出された「日本料理に関する記録を残したいとの希望」をさらに進めているかたちである。アデスキが交流を進めていた日本の「家の光協会」そしてボリビアのオキナワ移住地農牧総合共同組合からのレシピである。こうしたことを反映して、日本料理の項では、米の調理・だし汁・寿司・どんぶり、その他和風のおかずの作り方について、詳細に紹介している。レシピの半分以上が日本料理となっており、料理名も日本語名がそのまま音訳されている。

⑦ADESC『おふくろの味』第4巻、2010年

第4巻の内容は、以下のように22項目になっている。

「サラダ」「ライス・パスタ」「肉:鶏肉、豚肉、牛肉」「魚と玉子」「ジャガイモ、野菜、青物」「ブラジル風スナック」「大豆」「スープ」「パン、ロールパン」「ケーキとパイ」「ゼリー、プリン、ビスケット」「ジュース、飲料」「パスタ、パテ、ソース、薬味」「日本料理」「うどん・ヤキソバ・そうめん」「天ぷら」「日本のおかず」「漬物」「豆腐」「味噌汁」「和菓子」「日本料理に関する情報とヒント」

新しく増えているのは、「飲料」と「日本料理」以下の日本食に関する項目である。
日本料理の項では、料理名はそのまま日本語が使われており、音訳のオンパレードである。さらに特筆すべきことは、このレシピ集作成者の中に非日系人が初めて含まれていることである。日系人以外の人の中にも、日本料理を食する側から作り提供する側へと進化している人たちが現れていることである。この時点に至り、まさに日本食の広がりが新たな段階に入ったことを示す顕著な事例だといえる。この第4巻も、バインダー綴じで厚さは2.8センチに増え、全496頁からなり300のレシピが公開されている。

2)移民文化紹介の一環として食を紹介したレシピ

このカテゴリーに該当するレシピ集は⑧~⑫である。これらのレシピ集の著者は日系人の一世あるいは二世で、場合によっては非日系人も含まれている。

「ブラジル日系人の食事」『世界の食べ物56、南アメリカ1、アマゾニア、ブラジル』⑧では、『世界の食べ物』シリーズでブラジルの食事を紹介する中で、とくに日系人の食事を取り上げている。海外最大の日系コミュニティがブラジルに存在するからこそ組まれた特集であろう。1982年の発行である。執筆者は幼い頃にブラジルへ移住した一世で、日系ブラジル人を代表する社会学者の斎藤広志(故人)である。とくに具体的なレシピが紹介されているわけではないが、日系人の食の変遷を理解する上で貴重な情報にあふれている。もうずいぶん前から、おそらく1970年代頃から海外駐在員のあいだでは、日本食に困らない都市としてサンパウロは知られている。斎藤も以下のように書いている。

⑧斎藤広志「ブラジル日系人の食事」『世界の食べ物56、南アメリカ1、アマゾニア、ブラジル』1982年

「日本の食品でブラジルにないものは、マツタケ・ハマグリ・ウナギだといわれたが、ウナギは欧州から稚魚を輸入して養殖に成功した。マツタケは何とかマッシュルームで代用され、ちょっと変わった味の土瓶蒸しが味わえると言ってよい。野菜・果物にいたっては、日本にあるものはなんでもブラジルにある。」(165頁)

「郷愁の食べ物」については、すでに上で述べた。そのほか、現地で材料が手に入らない場合の工夫を、以下のように述べている。

「日本人の集団移住地ができると、農村出身の経験者がまず自家製の味噌としょうゆを造った。それも原料のダイズが手に入らないときは、トウモロコシを代用した。もうひとつ、日本食に欠かせない漬け物にしても、糠が入手できないときは、フバー(トウモロコシ粉)漬けを作った。初期には野菜も不足したので、スベリヒエ、イヌビユ、カボチャの花芽、ワラビなどの野草を手当たり次第に食べた。とくに好評だったのはパパイヤの青果の漬け物で、今でもこれを賞味する人が少なくない。」(164頁)

斎藤はさらに、日系家庭の食卓に見られる二重構造について述べている。

「ブラジル食が多いか、日本食が多いかはさておき、日系家庭の食卓は二重構造になっている。サラダ皿の隣に漬け物があり、味噌汁といっしょに豆(フェイジョン)汁が出る。
年老いた移民あがりの両親は、お茶碗と箸で食べ、その隣の席では子どもが大皿に盛りあわせた米飯とおかずを、ナイフとフォークで食べる。福神漬けだの、塩辛だの小瓶が並ぶのは、もちろん両親の前である。」(168頁)

「このような二重構造は、お祭りや結婚式の宴会でも同様である。日本人の感覚では、御馳走といえば、刺し身、海苔巻き、いなりずしのほかに、こぶ巻きなどの煮しめがないとさびしい。だが、これだけでは二世三世にはもの足りないから、若鶏の丸焼き、ときには豪奢な子豚の丸焼き、大ぶりな肉の串焼き(シュラスコ風のもの)が登場する。マヨネーズをドレッシングしたサラダや、つまみものとして鶏肉入りのコロッケ、ひと口パイも欠かせない。」(168頁)

日系人の家庭やブラジル人の中で定着し伝承される日本食としては何が残るか。斎藤はこの問いに対し、以下のように記している。

「日系家庭に限って言えば、どこの家庭でも二世三世に好まれて根強く食卓に残っているのは、漬け物、味噌汁、めん類、やきとり、串カツなどであろうか。家庭によってはオリーブの実で湯漬けを食べたりして、案外奇抜なアイデアのお茶漬けが残る可能性もある。」(168頁)

斎藤の分析は、アデスキの婦人たちのレシピと見事に符合すると思うが、それから30年を越える歳月が経っている現在はどうだろう。

『レシピ 移民90』(Receitas Imin 90)⑨は、1998年ブラジルへの日本人移民90周年を記念して、パラナ州ロンドリーナで日系人女性が中心となって刊行されたものである。序言では、なぜ90周年記念で「レシピ」なのかが説明されている。つまり、「日本とブラジル両国文化の統合を象徴する好例の一つがまさに料理だから」だという。そして、その統合の精神を示すべく、日本料理のほかブラジルやイタリア、ポルトガルの料理のレシピも集めている。残念ながら、入手できたのはコピーで、この刊行物の一部「東洋料理」の項のみであるため、全体に関するコメントはできない。しかしこの部分に関しての特徴を取り上げる。

⑨Kimiko Yoshii『レシピ 移民90』1998年

この「東洋料理」とは、ほとんど「日本料理」のことと捉えて間違いない。なぜならばブラジルにおける東洋系とはその9割以上が日系人だからであると同時に、レシピの9割方は日本料理で、一部中華風や韓国風が含まれているのみだからである。そのことをふまえてこのレシピを確認すると、以下のことが分かる。

  1. 153のレシピが紹介され、それぞれ考案者名が記載されている。氏名から判断すると、そのほとんどが日系人であるが、一部非日系と思われる人も含まれている。
  2. 253のレシピのうち日本語(音訳)のレシピが、以下のように約4割に相当する21件ある。
    Conhacu(コンニャク), Uri no Tsukemono(瓜の漬物), Raiscarê(ライスカレー), Ankô(あんこ), Dorayaki(どら焼き), Okará(おから), Fukudinzuê(福神漬), Gomoku-mushi(五目蒸し), Hiya-yako(冷ややっこ), Kantem(寒天), Karashi-zukê(辛子漬け), Mandiu no vapor(蒸し饅頭), Moti(餅), Mitsu Mame(みつ豆), Motigome Gohan(もち米ごはん), Okowa(おこわ), Ossushi(お寿司), Shabu-Shabu(しゃぶしゃぶ), Sashimi(刺し身), Sukiyaki(スキヤキ), Tiawan Mushi(茶碗蒸し)
  3. 3日本以外の東洋系の名称が冠せられているレシピは以下の3件のみである。
    Guioza – Trouxinha chinesa(中華餃子), Lombo chinês(中華風豚肉), Tofu ao estilo coreano(韓国風豆腐)
  4. 4上記を除いた残りの29件約55%は、ブラジル料理あるいはそれをアレンジしたものである。
  5. 5甘味やデザートのレシピ8件およびコンニャク・餅などを除き、43件中31件のレシピで、しょうゆあるいは味噌が使われている。つまり、その7割にしょうゆや味噌が使われており、「東洋(日本)料理」としての特徴がそこに表れている。

こうした特徴が、まさに日本文化とブラジル文化の統合を表わしているということになるだろう。

『クリチバ市営市場』(Mercado Minicipal de Curitiba)⑩、『世界の香りと味覚』(Aromas e Sabores do Mundo)⑪、『パラナ州の料理』(Culinária Paranaense)⑫は、ともに多様な移民文化を紹介する目的で書かれた書籍で、その一部に日本人移民が取り上げられている。レシピの紹介が中心ではないものも含まれるが、食との関わりを考える上で参考となるので、順にその内容を紹介していく。

『クリチバ市営市場』(Mercado Minicipal de Curitiba)⑩は、ブラジル人ジャーナリストがパラナ州の州都クリチバ市営市場の歴史とそこに働く人々を紹介し、2005年に出版したものである。その歴史は様々な移民の歴史とともに、まさに食文化に彩られている。「人種のラボラトリー」と呼ばれたクリチバに様々な移民が集まってきた中で、市営市場における日系人はその中心的な役割を担ってきた。現在も市場の商人組合会長は日系人が務めている。著者は市場で働くおおぜいの商人をインタビューし記録しているが、その中には15人の日系人が含まれている。エスニック別ではもちろん最大グループである。また同市場の中央フードコートには日本人移民の壁画が描かれており、市場に多大な貢献を果たした日本人移民に対する顕彰であると伝えている。
ブラジルでは1980年代中頃から始まった日本へのいわゆる「デカセギ」現象のあと、市場等で働く日系人は激減したと伝えられる。しかしクリチバの同市場では、現在もおおぜいの日系人の姿を目にすることができる。上記日系人15人のうち2名はレストランを開いている。一人は日本料理で、寿司・刺し身に始まりヤキソバ・鉄板焼き、うどん・シイタケ蒸しを提供している。老舗のもう一軒はすでに三代目の三世が経営し、日本的なアレンジを加えたブラジル食を提供している。ブラジル人の目から見ると、その色彩の美しさと味覚の繊細さが日本料理に通じているのだという。

⑩Eduardo Sganzerla『クリチバ市営市場』2005年
⑪Eliana Fachim『世界の香りと味覚』2008年

『世界の香りと味覚』(Aromas e Sabores do Mundo)⑪は、前著と同じくクリチバ市営市場に関するもので、設立50周年記念として関係者が2008年に出版したものである。その内容はたいへん洒落た趣向になっており、32のレシピを紹介することで、移民の出身地の世界を巡り、食という行為を祝祭や人生の賛歌にしている。その32のレシピの中に4人の日系人によるレシピ、および日本食材を使ったレシピ1件が紹介されている。その5つのレシピのタイトルは以下のとおりである。

クリチバ市営市場中央フードコートの壁画

「Yakimeshi(焼き飯)」「Udon(うどん)」「Bolo de nozes sem glúten(グルテンフリー・クルミのケーキ)」 Macadâmia Nuts à moda Le Caffés(Le Caffés風マカダミアナッツ・アイスコーヒー)」「Quinoa com shiitake, shimeji, nirá e gengibre(シイタケ・シメジ・ニラ・ショウガ添えキヌア)」

このうち最初の2つは、上記日系人経営のレストラン提供によるレシピである。
Yakimeshi(焼き飯)は、「最初にニンニクを油で炒めたあと、ニンジン・インゲン豆・ピーマンを炒め、塩で味付けする。そのあと、ご飯といっしょに混ぜて、しょうゆを少々加える。そして、色添えに錦糸玉子や香草をのせる。」とある。
Udon(うどん)は、素うどんではなく、油揚げやかまぼこ、天ぷらがのせてある。つゆには酒・しょうゆ・干ししいたけ・昆布・ほんだしが、天ぷらには、インゲン豆・ニンジン・タマネギとキャッサバ(マンジョカ)といった材料が使われている。
ニンニクを油で炒めることや、キャッサバを使うことで、ブラジル風にアレンジされていることが分かる。「グルテンフリー」や「アイスコーヒー」そして「シイタケ・シメジ・ニラ」は健康志向の流行とともに、日本からの影響を伺えるものであろう。

『パラナ州の料理』(Culinária Paranaense)⑫は、『クリチバ市営市場』の著者が2011年に出版したもので、パラナ州の料理に及ぼした移民の影響、とくにドイツ人・イタリア人・ポーランド人・ウクライナ人をはじめとした貢献について述べている。それぞれの移民による料理とそのレシピを紹介している。残念ながら日本人移民に関しては、レシピが記載されていない。しかしその概要について言及がある。

⑫Eduardo Sganzerla『パラナ州の料理』2011年

パラナ州には、とくに1930年代に多くの日本人移民が北パラナを中心に渡ってきた。果樹栽培の分野で大きな変革をもたらし、州内生産の8割を日系人が占めていることなどに触れている。そのほか、上掲書で見たように、露店市場や公設市場における日系人の存在とその食習慣を紹介し、典型的な料理が「Sushi(寿司)」「Sashimi(刺し身)」「Yakissoba(ヤキソバ)」「Sukiaki(スキヤキ)」「Tempurá(天ぷら)」「peixes grelhados(焼き魚)」であると述べている。より正確には、歴史的な順序に従えば、スキヤキ→天ぷら→ヤキソバ、そして寿司・刺し身である。しかし、この典型的な料理とは、日本食レストランのメニューに見られる典型である。すでに多くのブラジル人が、「典型」以外の日本食を探し求めている。
2017年の現在、あるいはこれから先、この「典型的」料理は崩れていくのではないかと思う。そして、日本の日本食とは異なるブラジルらしい日本食(日系食)も多々現われるのではないかと期待している。

おわりに

幼少期の想い出は、母親が作ってくれたごちそうの想い出と確かに結びついている。我が家でも、母親が大根を干しタクワンを漬けていたし、かき揚げやカキフライをいっしょに作った想い出がある。そうした想い出を甦らせてくれたのが、このレシピ集調査だ。本稿を執筆するにあたり、数多くの日系人の方々にお世話になった。もう手元に一部しか残っていない本を寄贈して下さる方もおり、調査中に体調を崩した際に薬を下さった方もいる。感謝に耐えない。個々のお名前を掲載することは控えるが、優しくて心暖かい皆さんに心から御礼申し上げる。
ありがとう!そしてMuito obrigado!

参考文献
  1. 1佐藤初江『実用的なブラジル式日伯料理と製菓の友』サンタ・セシリア割烹学校、1940年
  2. 2佐藤初江『実用的なブラジル式日伯料理と製菓の友』日伯料理製菓研究所、1955年
  3. 3佐藤初江『実用的なブラジル式日伯料理と製菓の友 Arte Culinária NipoBrasileira』宮本書店、1997年
  4. 4Departamento de Senhoras C.A.C., Delícias da Mamãe, , 1994
  5. 5Associação dos Departamentos de Senhoras Cooperativistas, Delícias da Mamãe, 1998
  6. 6Associação dos Departamentos de Senhoras Cooperativistas, Delícias da Mamãe, 2004
  7. 7Associação dos Departamentos de Senhoras Cooperativistas, Delícias da Mamãe, 2010
  8. 8斎藤広志「ブラジル日系人の食事」『世界の食べ物56、南アメリカ1、アマゾニア、ブラジル』朝日新聞社、1982年
  9. 9Kimiko Yoshii, Receitas Imin 90, Coordenadoria da Comissção de Recepção-Imin 90, 1998
  10. 10Eduardo Sganzerla, Mercado Minicipal de Curitiba, Editora Esplendor, 2005
  11. 11Eliana Fachim, Aromas e Sabores do Mundo, Prefeitura Municipal de Curitiba, 2008
  12. 12Eduardo Sganzerla, Culinária Paranaense, Editora Esplendor, 2011
  13. 13Yukiko Moriyama, Cozinha Light receitas fáceis e práticas Tofu, Editora JBC, 1982
  14. 14森シメ『長崎の味 日本の味 Delícias de Nagasaki Sabor do Japão』辻真佐、1988年
  15. 15Estúdio Sonia Robatto, O Gosto Brasileiro As Melhores Receitas da Cozinha Japonesa - os segredos da cozinha das nossas avós -, Editora Globo, 1993
  16. 16Eiko M. Kina, A Cozinha Japonesa, Companhia Melhoramentos, 1996
  17. 17Carlos Ribeiro, Culinária Japonesa para Brasileiros, PubliFolha, 2009