流山白味淋200周年

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2014年6月~2016年6月

1814年(文化11年)、二代堀切紋次郎が下総国流山(現在の千葉県流山市)で「白味淋」の開発に成功し、販売を始めてから2014年で200年になりました。
甘くておいしい「お酒」から、料理に欠かせない「調味料」へと用途を広げてきた「白味淋」の軌跡を江戸時代の料理本からひも解き、あわせて現代に「マンジョウ本みりん」として受け継がれている「万上(マンジョウ)」ブランドの歴史を紹介します。

はじめに

深みのある味わいをもつ和食づくりには、素材のうま味を引き出し、香味を引き立てる調味料が欠かせません。
中でもみりんは、料理をまとめる「隠し味」として長年重宝されてきました。

その歴史をひも解くと、もともとみりんは調味料ではなく、飲み物として人々に愛されていました。
江戸時代では、みりんの価格は上酒(清酒)の2~3倍と高価で、京阪から下り物として江戸へ運ばれ、公家や僧侶、武家など上流階級間の贈答品や献上品として用いられていたようです。

みりんが欠かせない調味料として江戸時代の料理本に登場するようになるのは、江戸後期以降で、次第にいろいろな料理に使われていったことがわかっています。町人文化の隆盛とともに食文化が花開くと、江戸っ子たちは屋台などの外食店で鰻(うなぎ)や蕎麦(そば)を楽しみました。これらの人々を虜(とりこ)にした料理に、こいくちしょうゆや砂糖などとともに、みりんが使われていました。

1814年(文化11年)、二代堀切紋次郎が、下総国流山(現在の千葉県流山市)で「白味淋」の開発に成功し販売を始めてから、今年で200年になります。

甘くておいしい「お酒」から、料理に欠かせない「調味料」へと用途を広げてきた「白味淋」の軌跡を、江戸時代の料理本からひも解き、あわせて、現代に「マンジョウ本みりん」として受け継がれている「万上(マンジョウ)」ブランドの歴史を紹介します。

流山白味淋と万上ブランドの誕生

酒造業で発展した流山は、江戸後期になると下り酒に押され、その出荷量は落ち込み苦境に立たされていました。厳しい状況を打開しようと、下総国流山の酒造業者「相模屋」の二代当主、堀切紋次郎は酒造りで培った知識と技術を活かし、文化11年(1814年)、後に「あずま名物」と言われた「白味淋」を開発します。当時紋次郎は27歳でした。

その頃のみりんは、色が濃く濁りもあったようですが、「白味淋」は色が淡くきれいに澄んでいたといわれています。また味に関しても、上方のみりんが比較的淡泊で薄味だったのに対し、紋次郎の「白味淋」は、甘み・旨み・風味が凝縮され、濃厚で上品な味わい深さがありました。こうした品質を実現できたのは、江戸川のもたらす豊かさ、酒造りで培った精白や濾過技術(ろかぎじゅつ)の応用、江戸までの出荷期間の短縮などの要件が揃ったからと考えられます。

こうして誕生した「流山白味淋」は画期的な商品でしたが、なじみのない新商品ゆえに、江戸っ子に受け入れられるまでに時間が必要でした。紋次郎は自ら草鞋(わらじ)をはいて諸方を巡り、販路の開拓に地道な努力を重ねたといいます。こうした苦節を経て、発売から10年が過ぎる頃には、江戸において「みりんといえば流山」とまでいわれるようになります。

白味淋が「あずま名物」として、江戸だけでなく全国各地へ広がると、紋次郎にとって白味淋を名実ともに「天下一品」とする、またとない機会が訪れました。「流山白味淋」が江戸の名物として、宮中へと献上されることになったのです。紋次郎は、このうえない栄誉を授かった喜びを次のように表現しています。

《おもいきや かもす味淋をかくまでに かしこき方に めさるべしとは》

–さらに

《関東の 誉れはこれぞ一力で 上なき味淋 醸すさがみや》

と詠んでおり、この歌の「一力」を「万」とし、「上なき」の「上」をとって「万上」の名がつけられました。これが現在に受け継がれる「マンジョウ」ブランドの原点です。

幕末の動乱により一時休業のやむなき状況に至った流山の醸造業ですが、五代堀切紋次郎が家業を再開させ新たなスタートを切ると、明治6(1873)年、流山のみりんの復活に追い風となる出来事が起こります。ウィーン万国博覧会に出品した「万上みりん」が有功賞牌を授与されたのです。その後、「万上」ブランドは国内外の博覧会に数多く出展し、営業努力を重ねていきます。好機はさらに続き、明治10(1877)年には「宮内省御用達」を拝命します。こうして「万上」のみりんは、真の意味で「天下一品」と称するにふさわしい功績を積み重ねていきました。

そして、六代堀切紋次郎が大正6(1917)年に設立した「万上味淋株式会社」は、大正14(1925)年に野田醤油株式会社(現キッコーマン株式会社)と合併。「万上味淋部」として同社の一部門となります。こうして「万上」は、キッコーマンと手を携えて食の世界を拡げていくことになります。

白味淋の開発に成功した二代堀切紋次郎とその妻
弘化3(1846)年、相模屋(堀切)紋次郎が醸造した「万上泉」のラベル。現存する流山最古のみりんのラベル(流山市立博物館所蔵)
万上味淋 ポスター(大正6年以前)
大福帳(明治27年7月)
大福帳(明治31年7月)
荷物判取帳(明治38年8月)
「万上白味淋 五樽 横浜市元浜超 古屋商店行 右の通正ニ受取候也」の記述がある
醸造蔵 銅版画(明治25年)
表通りには樽を積んだ大八車や人力車の行き交う様子が描かれ、手前の江戸川にはみりんを積んだ船が三隻見える。

ウィーン万国博覧会で「万上みりん」が有功賞牌

ウィーン万博会場遠景 明治6年(1873)国立国会図書館サイトより転載

万国博覧会は、世界各国の工業社会化の現状を1か所に集中展示する19世紀に生まれた情報伝達の手段でした。明治維新後、日本政府として初めて参加したのが明治6年(1873)のウィーン万国博覧会。この博覧会で堀切紋次郎の「万上みりん」は有功賞牌を授与され、幕末の混乱期からの復興のきっかけとなりました。さらに、明治10年(1877)に開催された第1回内国勧業博覧会では、花紋褒賞を授与されました。明治維新後から昭和初期にかけて、万上みりんは内国勧業博覧会や共進会に積極的に出品し、多くの受賞を重ね、全国的な宣伝と販売に努めました。

主な万上みりんの博覧会受賞歴
博覧会·共進会 ウィーン万国博覧会 第1回内国勧業博覧会 第2回内国勧業博覧会 第3回内国勧業博覧会 第4回内国勧業博覧会 第5回内国勧業博覧会 アラスカ・ユーコン太平洋博覧会 日英博覧会 東京大正博覧会 パナマ太平洋万国博覧会 平和記念東京博覧会
開催年 明治6年
(1873)
明治10年
(1877)
明治14年
(1881)
明治23年
(1890)
明治28年
(1895)
明治36年
(1903)
明治42年
(1909)
明治44年
(1911)
大正3年
(1914)
大正4年
(1915)
大正11年
(1922)
受賞内容 有功賞牌 花紋賞牌 有功賞牌 一等賞牌 一等賞牌 二等賞牌 金牌 金牌 金牌 名誉賞牌 金牌
開催地 オーストリア/ウィーン 東京/上野公園 東京/上野公園 東京/上野公園 京都/岡崎公園 大阪/天王寺 アメリカ/シアトル イギリス/ロンドン 東京/上野公園 アメリカ/サンフランシスコ 東京/上野公園
入場者(万人) 722 45 82 102 114 435 - - 746 1,883 1,103
メダル画像

江戸時代の料理本から見る、甘くておいしい「お酒」から料理に欠かせない「調味料」への道

二代堀切紋次郎が白味淋を発売した江戸後期には、町人文化が爛熟期を迎え、江戸の町中には鰻や蕎麦の屋台が登場し、外食文化が幕を開けます。江戸は「食の都」となり、流行の料理やそれらの作り方を収録した「料理本」が数多く出版され、全国から江戸を訪れた人々の土産物としても人気を集めました。
下の表は、江戸時代に出版された「料理本」(翻刻 江戸時代料理本集成・吉井始子編)のなかに記載されているみりんを使った料理の一覧です(大江隆子ほか著『江戸期におけるみりんの料理への利用-みりんの食文化と変遷-』〈日本調理科学会誌vol.34 No.1〉の表をもとに作成)。この表から、みりんが甘くておいしい「お酒」から、料理に欠かせない「調味料」へ用途を広げていった過程をたどります。

江戸時代の料理本から見る甘くておいしい「お酒」から料理に欠かせない「調味料」への道
〇:料理の解説有り
◆:みりんを使った料理の掲載
※:複数出現
「みりん」を使用した料理 ー翻刻江戸時代料理本集成(50冊中)ー
Ⅰ期 Ⅱ期
年代 1643-1647年
(寛永20年-正保4年)
1689年
(元禄2年)
1730年
(享保15年)
1750年
(寛延3年)
1751-1773年
(宝暦1年-安永2年)
1760年
(宝暦10年)
1764年
(宝暦14年)
1771年
(明和8年)
1773年
(安永2年)
1776年
(安永5年)
調理法 料理本名 料理物語 合類日用料理抄 料理網目調味抄 料理山海郷 当流料理獻立抄 献立筌 料理珍味集 卓袱会席趣向帳 料理分類伊呂波包丁 新撰献立部類集
煮物 和旨煮
炒り煮
甘煮
煮びたし
揚げ煮
あんかけ·葛煮
佃煮
煮物一般
蒸し物 蒸し物
しんじょ
焼き物 焼き物
和え物 和え物
漬物 みりん漬
みりんかけ
調味料 調味酒
調味味噌
調味酢
ひしお
菓子 菓子
飲用・その他
江戸時代の料理本から見る甘くておいしい「お酒」から料理に欠かせない「調味料」への道
〇:料理の解説有り
◆:みりんを使った料理の掲載
※:複数出現
「みりん」を使用した料理 ー翻刻江戸時代料理本集成(50冊中)ー
Ⅲ期 Ⅳ期
年代 1782-1783年
(天明2-3年)
1785-1795年
(天明5年-寛政7年)
1785年
(天明5年)
1785年
(天明5年)
1785年
(天明5年)
1801-1822年
(享和元年-文政5年)
1803-1820年
(享和3年-文政3年)
1819-1824年
(文政2-7年)
調理法 料理本名 豆腐百珍 万宝料理秘密箱 万宝料理献立集 大根一式料理秘密箱 新著料理柚珍秘密箱 料理早指南 素人包丁 精進献立集
煮物 和旨煮
炒り煮
甘煮
煮びたし
揚げ煮
あんかけ·葛煮
佃煮
煮物一般
蒸し物 蒸し物
しんじょ
焼き物 焼き物
和え物 和え物
漬物 みりん漬
みりんかけ
調味料 調味酒
調味味噌
調味酢
ひしお
菓子 菓子
飲用・その他
江戸時代の料理本から見る甘くておいしい「お酒」から料理に欠かせない「調味料」への道
〇:料理の解説有り
◆:みりんを使った料理の掲載
※:複数出現
「みりん」を使用した料理 ー翻刻江戸時代料理本集成(50冊中)ー
Ⅴ期
年代 1822-1835年
(文政5-天保6年)
1834年
(天保5年)
1836年
(天保7年)
1842-1863年
(天明5年)
1785年
(天明5年)
調理法 料理本名 料理通 魚類精進早見献立集 料理調菜四季献立集 四季献立会席料理秘密抄 蒟蒻百珍
煮物 和旨煮
炒り煮
甘煮
煮びたし
揚げ煮
あんかけ·葛煮
佃煮
煮物一般
蒸し物 蒸し物
しんじょ
焼き物 焼き物
和え物 和え物
漬物 みりん漬
みりんかけ
調味料 調味酒
調味味噌
調味酢
ひしお
菓子 菓子
飲用・その他

飲用としてのみりん

酒造業が発達した室町後期の戦国時代には、市場は拡大し、酒の種類も多様化。こうした中、みりんが甘い貴重な酒として登場します。当初は上層階級の間で愛飲されましたが、江戸時代に入ると庶民の間にも広がっていきました。
「料理網目調味抄(りょうりこうもくちょうみしょう)」や「献立筌(こんだてせん)」、「新著料理柚珍秘密箱(しんちょりょうりゆうちんひみつばこ)」に飲用としての記載があり、「献立筌」の献立の中に「初献甘酒 湯次にて 二献目みりん かんなべにて 三献目白さけ 壺にて杓つけて」とあり、甘い酒が並びます。
江戸時代に読まれた川柳「味淋酒が効いたで嫁は琴を出し」からも、甘くて口当たりの良いみりんが女性の楽しみだった様子がうかがえます。

Ⅰ期「料理物語」

江戸時代初期に出版された「料理物語」は、一般的に行われていた料理の調理法を記述した最初の実用的な料理本とされますが、この本にはみりんの記載はまだありません。このころの調味料は主として塩、味噌、酢、煎酒だったようです。

Ⅱ期「合類日用料理抄」から「新撰献立部類集」

上方を中心に町人文化が開花した元禄期は、包丁文化の主体が武家社会から町人社会へ移行する過渡期といえます。この時期に出版された「合類日用料理抄」には「鳥醤」に古酒または味淋酎を使うと、初めてみりんの記述が見られます。

Ⅲ期「豆腐百珍」から「新著料理柚珍秘密箱」

天明期の1782年から1785年の3年間に出版された料理本からみりんを使った料理の出現が増えてきます。なかでも、「万宝料理秘密箱」に出てくる「赤貝和煮」には、「始めにみりん酒にてとろとろとたきのちに醬油と酒とにて煎申候」と調理法が記述されており、みりんの持つ「糖分による味の浸透効果」と「アルコールによる保水性を高め、やわらかくするという調理効果」が巧みに生かされています。この頃に調味料としてのみりんの地位が確立したといえます。

Ⅳ期「料理早指南」から「精進献立集」

寛政の改革によって一時停滞した江戸文化も、享和(1801年)から文化文政期(1804~1829年)にかけて再び隆盛となり、生活水準の向上と共に飲食店や料理屋が急増し、外食文化が幕を開けます。料理本の出版数も最盛期を迎え、みりんを使った料理の幅も大きく広がります。
「素人包丁」は庶民向けに出版され、みりんを使った料理は煮物や焼き物、和え物に出てきます。初編から17年後に出版された第3編になって初めてみりんを使った料理が登場することから、この間に庶民の間にもみりんの利用が広まったと推測されます。「蝋焼豆腐(ろうやきどうふ)」の作り方に「三四へんも付けてあぶれば光出」との記述があり、みりんの「てり」が料理に活かされています。

V期「料理通」から「蒟蒻百珍」

文化文政期には、当時の江戸随一の料理茶屋「八百善(やおぜん)」で提供した料理を記した料理本「江戸流行料理通」を四代目 栗山善四郎が出版。みりんを使った料理が多く見られ、その料理の幅も全調理法に及んでいます。卓袱料理や普茶料理の影響を受けた油を使った揚煮や炒煮料理、葛を使ったあんかけ料理にみりんが使用され、生魚を素材に醤油とみりんを使った照り焼きも出現します。

江戸料理再現

料理制作・解説:江戸懐石近茶流 宗家・柳原一成、嗣家・柳原尚之
料理名:料理本名

<Ⅲ期 1785~1795年(天明5年~寛政7年)
赤貝和煮万宝料理秘密箱
【原文読み下し】赤貝を殻から離してすぐまな板に乗せ、大根でそろそろと叩くと、身が少し平たくなる。これをまずみりんでとろとろと煮る。次に醤油と酒とで煎ると、やわらかくなる。
【料理解説】 現代では刺身として食べることの多い赤貝ですが、この本ではみりんだけで先に煮ることで柔らかく仕上げる和煮(やわらかに)として登場します。本文中でも、「やはらかに成申候」とあることから、みりんのもつアルコールの調理効果に江戸時代の人も気付いていたのです。 再現するにあたって、原文では殻から取り出してそのまま大根でたたいていますが、私は包丁で開いてから、ヒモと内臓を除き蝶のように形よく仕上げました。また前盛りには同じく春が旬のふきのとうの煮浸しと防風(ぼうふう)を添えました。春の一日、日本酒で一献いきたくなる一品となっています。
万宝料理秘密箱「赤貝和煮」


阿蘭陀漬け
万宝料理秘密箱
【原文読み下し】酢一升(1.8ℓ)を煮て、熱いうちに塩三合と粒からしを入れる。漬けるものは、魚なら塩鯖か鰯、野菜なら蓮根・なす・ごぽう・はじかみ・茗荷の子がよい。また、みりん少鼠を梅酢に混ぜて漬けるものもよい。
【料理解説】 阿蘭陀とはオランダのこと。鎖国時代、日本が唯一公式に貿易していたのがオランダです。当時外国の影響を受けた料理、例えば油を使ったり、唐辛子を使ったりする料理には、海外との窓口という意味から阿蘭陀の文字が多くの料理名につけられています。 この料理には粒辛子が使われていますが、元々外国伝来と言われるみりんを使うことも、当時の人々には未だ見ぬ外国の雰囲気をかもしだしているのかもしれません。しめ鯖、蓮根、秋なす、ごばう、茗荷など、秋野菜を一緒に盛り込み、初夏に梅をつけ込んで出来た梅酢にみりんを加えた合わせ酢をかけて、季節を伝える料理になっています。

万宝料理秘密箱「阿蘭陀漬け」


<IV 期 1801~1822年(亨和3年~文政5年)

てりごまめ料理早指南
【原文読み下し】かしらと腹とを切り取って、ほうろくでよく炒り、手でもんで粉をよく振って使うのである。みりんとしょうゆをよく煮つめて、みつのようになったらよく冷まし、右のごまめを入れてかきまぜる。ただし、あたたかみがあれば、ごまめがもどってやわらかくなる。
【料理解説】 正月のおせち料理に必ず入る三ッ肴の一つ「五万米(ごまめ)」。子孫繁栄の数の子、健康長寿の黒豆と共に五穀豊穣を祈って、現代に引き継がれています。 てりごまめは、砂糖としょうゆでつくる場合、火加減やタイミングがなかなか難しい料理です。ごまめ全体がくっついて固まってしまい、お互いが離れなくなることがあります。しかし、みりんを使うと飴にならずに蜜となり、冷めても一尾つまむと、二、三尾ついてくるという、程よい具合となります。ごまめを鍋でから煎りして、冷ますことで、しっかりと水分を飛ばし、時間が経ってもサクッとした食感を保つことが出来ます。

料理早指南「てりごまめ」


じゅんさい梅煮
料理早指南
【原文読み下し】蜜したじのようでまたちがったものである。白砂糖にみりん・焼き塩すこし加えて煮返し、絹どおしでこして、これでじゅんさいを煮たものである。
【料理解説】 じゅんさいを甘味として食すのは、私にとって初めての試みでした。 初夏が旬のじゅんさいですが、日本全国に生息し、万葉集にも「沼縄(ぬわな)」として詠われている歴史ある野菜です。水が澄んだ古い沼に生息するスイレンの仲間で、透明なヌメリに包まれた新芽を食します。一般的にはお吸い物や酢の物として食べられることが多いのですが、みりんでつくったシロップと共に食べてみると、じゅんさいのトロンとした食感とみりんのさっばりとした甘さ、そして、ちぎった梅干しの酸味があいまって、口に広がり、初めてのやわらかな風味を体験することができます。

料理早指南「じゅんさい梅煮」


蝋焼き豆腐
素人包丁
【原文読み下し】豆腐は拍子木形に切り、板にふきんを敷いて並べ、少し斜めにして水気をとり、その後串に差して胡麻油をぬりあぶって焼く。しょうゆに酒を少し加えてそれを塗り、またあぶる。上等のくずをみりんでとき、三~四回つけてあぶる。照りが出てかわけばよい。よくさまして椎たけ、貝割菜などと菓子椀または大平などに使うと一層よい。また、取肴に組み合わせるのもよい。切り方は拍子木にかぎらず、好きなようにしてもよい。あしらいものもその時にあるものを用いる。
【料理解説】 江戸料理本の中には、いくつかの蝋焼(ろうや)きという料理名が登場します。蝋を塗ったように艶のある焼き物ということでしょうか。この料理も艶よく仕上げるのがボイントです。本文では、「極上の葛をみりんにてときゆるめ三四へんもつけてあぶれば光出」とあり、みりんが艶だしの役目を担っているのがわかります。みりんに葛をといて塗り焼き上げると、透明感の中に白濁した模様が見られ、たしかに蝋を塗ったように見えます。現代の料理にも応用できる技術ですね。さらに、みりんは艶以外にも豆腐にほんのりとした甘みを加え、貝割れ大根、椎茸のうま煮を添え、相性が良い胡椒をふってみました。

素人包丁「蝋焼き豆腐」


牛蒡大銭煮
素人包丁
【原文読み下し】ごぽうの皮をこそげおとして三mm幅に皮の際まで切り込み十個続けて、切りはなす。これを飯の取り湯と水を半々にしてよく煮る。後、取り出してごぼうの真中を妻楊枝を刺し、そこへ細いゆばを通してあと先を結ぶ。みりん五分、しょうゆ三分、水二分ほどの割で計り、よく煮つめ蓋ものに入れて出す。これは下品(げぼん)な作り方ではあるが、酒の席には一興あっておもしろい。充分やわらかに煮ること。
【料理解説】 大銭とは、江戸時代に流通した「宝永通宝」のこと。中心に穴があいているので、人々は使い易いようにヒモを通して束にして持ち歩いたそうです。そんな人々の生活の中から考えだされた料理がこの大銭煮です。 太めの牛蒡に包丁で細かい切り込みを入れてから、米の取り湯で茄で、中心に湯葉の細切りを通すことで、束になった大銭の姿に仕立てています。作る時のコツは、湯葉は細く切って乾かすことで硬くなり、牛蒡の中で折らずに通すことができます。また、みりんと共に煮上げることで、使い込んだ大銭のようなこっくりとした艶に煮上がりました。

素人包丁「牛蒡大銭煮」


黒酢膾
素人包丁
【原文読み下し】これは黒豆をよく洗って、みりんまたは酒を、豆一合に二合ほど入れてよく煮、五勺ほどに煮つめ、豆を取りのけ、そこに酢を二合ほど入れて、またよく煮かえす。みそを少しすり鉢ですって、そこへ右の酢をよくさましてからすり合わせ、大根、あげ麩、せり、椎たけ、しょうが、白髪ねぎ、唐がらしなどを一緒にしてまぜ合わせ、和えて小鉢に入れて出す。
【料理解説】今回作った中で、一番びっくりした料理がこの黒酢膾でしょうか。たっぷりのみりんを使って黒豆を煮ると、黒い煮汁となります。豆を取り出し、さらに煮詰めて蜜を作り、酢を加えることで、黒豆のもつ色素アントシアニンが反応して、赤く色が変わり、甘酸っばい蜜となります。料理名では黒酢膾となってはいますが、実際は赤い仕上がりです。今回は焼いた生麩と焼き椎茸、大根、せり、白髪ねぎ、唐辛子と合わせました。この蜜は、梅干しの蜂蜜漬けのような味わいで、果物を思い起こさせる香りと風味で、黒豆を使っているとは到底思いつかないと思います。また、この黒酢は他にも色々な使い方もあり、例えばマンゴーやメロンなどの果物にかけてもおいしいのです。

素人包丁「黒酢膾」


<V 期 1822~1835年(文政5年~天保6年

飛竜丸煮料理通
【原文読み下し】鯉の目に紙を張り付け、体水を乾かし、尾ひれとも入るほどの大鍋に油をたっぷり入れ、料理に使う前夜に、四時間ほどあげておく。さて、宮重大根を厚い輪切りにして、みりんとだしをたくさん入れて鯉と一緒にたっぶりと煮干し、程よい時に醤油をさして煮切る。粉山椒をふりかける。
【料理解説】器から今にも飛び出しそうな鯉。飛竜丸煮は、見た目も味も、そして、作り方も豪快な料理です。鯉は、昔から鯛と並び格の高い魚として、饗宴にも使われて来ました。江戸の高級料亭八百善らしい料理です。本文では「二時ばかり揚げ」とありますが、今の時間に直すと約4時間も揚げていることになります。しかし、これは火の調節の難しい炭や薪だったことから、これだけ時間がかかったのだと思います。実際に作ってみると1時間ほどで揚がり、さらに二度揚げすることでカリカリに仕上がります。宮重(みやしげ)大根とは今の青首大根のことです。長く煮ても痩せない大根として、江戸から現代においても煮物には欠かせない野菜となっています。せん切りにした柚子を添えていただくと、さらに箸が進みます。

料理通「飛竜丸煮」


硯蓋(すずりぶた)
料理通
【原文読み下し】〈水晶こんぶの伝〉菓子こんぶをよくゆで、こんぶの裏表とも庖丁ですきとり、中の白い所を短冊に切り、みりんでよく煮て、仕上げぎわに焼き塩を入れて味付けする。
〈照り煮ゆずの伝(※金柑と同じ)ゆずの皮をむき、そのゆずに六本ほど包丁目を入れ、よくゆでて水にとり、種と肉を去ってよく水を絞り、みりんでまたよく煮つめ、氷おろし(氷砂糖の粉)を入れて、またしばらく煮て、焼き塩を入れて煮上げる。みかんもつくり方は同じであるが、みかんを小口切りにしてから煮る。金柑も同じで、丸煮にする。
〈琥珀くるみ〉飯田くるみを非常に熱い湯につけて渋皮をとり、みりんと焼き塩を煮つめ、味をつける。
【料理解説】硯蓋とは、江戸時代、高級料亭などで口取り(甘い料理)や口代わり(酒肴) などを何種類か盛り込んでだした器のことを言います。古くから贈り物をする時に箱やその蓋に入れて渡していた習慣から、硯の蓋の形を模し、豪華な蒔絵などを施した器に料理を盛るようになったことに由来します。 煮詰めたみりんにしょうゆをたらし、薄皮を丁寧にとったくるみを絡め、琥珀色に仕上げたのが琥珀くるみ。柚子やみかんでも作ることが出来、艶よく仕上げた「照り煮金柑」。みりんで煮ることで煮崩れなく仕上げることが出来きます 昆布を削ってとろろ昆布を作りますが、その芯は竹紙昆布と呼ばれます。みりんで煮てから巻いて、細切り昆布で結べは、巻物に見立てた水晶昆布となります。

料理通「硯蓋」


糸より白みりん蒸し
料理通
【原文読み下し】塩みりん蒸し
【料理解説】この料理は、高級料理屋八百善の料理を集めた料理本「料理通」の中に料理名のみが記されています。江戸時代の料理本は、しばしば作り方や分量が書かれていないものも多く、前後の料理などを参考に私の想像力を働かせて作りました。 今回は、糸よりと何を合わせるかに迷いました。料理は秋の部に記されているので、やはり秋が旬の野菜と思い相性も考えた末、長芋にしました。長芋は、細いせん切りにして、糸よりで巻き,蒸すことで面白い食感が生まれました。 糸よりの下味は、料理名の通り塩とみりんでつけます。現代には酒塩という技術がありますが、その塩みりんというのは、あまり聞いたことがありません。しかし、塩みりんは、おいしさと共にほのかな甘みを与え、身を締めて食感を良くしてくれます。私にとっても新たに掘り出された技術の一つとなりそうです。

料理通「糸より塩みりん蒸し」


ころ煎り
蒟蒻百珍
【原文読み下し】鍋にこんにゃくを入れ、上々の古酒かみりんで煮つめてから、うなぎの蒲焼の上物を入れて煮出す。醤油は[…原文不明…]こんにゃくは中角に切ったのを入れ[…原文不明…]煮にする。
【料理解説】こんにゃくを鰻の蒲焼きのおいしさに。これは江戸の料理人の粋な工夫が感じられる料理だと思います。鰻の蒲焼きをみりんで煮て、鰻のうまみを煮だしたその汁で蒟蒻を煮る。蒲焼きのおいしさを移すという面白い料理です。 この料理を作る上であらためて考えたのは、鰻のかば焼きについてです。本文では椛やきと記されていますが、椛は桜の木の皮のこと。鰻にみりんとしょうゆで作ったタレをつけて焼いた姿が椛に似ていることからこの字をあてています。その姿になったのは江戸の後半。この本が出されたのも幕末であることから、現代とほとんど変わらない蒲焼きを使っていたであろうと推察することができました。 。

蒟蒻百選「ころ煎り」
監修

神戸女子短期大学名誉教授 片寄 眞木子
東京工芸大学講師 川根 正教

料理制作·解説

江戸懐石近茶流
宗家・柳原 一成
嗣家・柳原 尚之

協力

流山市役所
流山市立博物館
石神井公園ふるさと文化館
近茶文庫(器·室礼)

出典・参考文献
  1. 1『小学地理一』文部省(有斐閣/1905年)
  2. 2『千葉県東葛飾郡誌』千葉県東葛飾郡教育会編(千葉県東葛飾郡教育会/1923年)
  3. 3『野田醤油株式会社二十年史』野田醤油株式会社編(野田醤油株式会社/1940年)
  4. 4『味醂の系譜(I)』(日本醸造協会誌第63巻第4号)山下勝著(公益財団法人 日本醸造協会/1974年)
  5. 5『食生活と文化 食のあゆみ』石川寛子編著、石川寛子·市毛弘子·江原絢子共著(弘学出版/1988年)
  6. 6『守貞謾稿』(第一巻·第五巻)朝倉治彦·柏川修一編(東京堂出版/1992年)
  7. 7『近世流山における味醂醸造業の成立にする一考察』(流山市史研究 第13号)松丸明弘著·流山市立博物館編(流山市教育委会/1996年)
  8. 8『太閣記』(新日本古典文学大系60)檜谷昭彦·江本裕校注(岩波書店/1996年)
  9. 9『江戸期におけるみりんの料理への利用-みりんの食文化と変遷-』(日本調理科学会誌vol.34 No.1)大江隆子ほか著(一般財団法人 日本調理科学会/2001年)
  10. 10『近現代の食文化』石川寛子·江原絢子著(弘学出版/2002年)
  11. 11『みりんの知識』森田日出男編著(幸書房/2003年)
  12. 12『江戸の料理史-料理本と料理文化』原田信男著(中公新書/1989年)
  13. 13『流山の醸造業I【資料編】』流山市教育委員会編(流山市教育委員会·流山市立博物館/2004年)
  14. 14『流山の醸造業Ⅱ【本文編】』流山市教育委員会編(流山市教育委員会·流山市立博物館/2005年)
  15. 15『日本料理秘伝集成』(同朋舎出版/1985年)
  16. 16『翻刻 江戸時代料理本集成』吉井始子編(臨川書店/1978年)
  17. 17『江戸時代料理本集成』影印本 吉井始子監修(臨川書店/1977年)キッコーマン国際食文化研究センター