北米、ヨーロッパ、アジアへ

しょうゆを世界に広めるための挑戦の歴史

キッコーマンのしょうゆは現在、世界100カ国以上で愛用され、海外に8つの生産拠点をもつに至っています。
しょうゆは、世界で愛される調味料になる―。キッコーマンの海外進出を支えたのは、自社のしょうゆへの自信と誇りでした。
海外、特にアジア以外の北米に本格的な輸出が始まったのは第二次世界大戦後。来日した多くのアメリカ人がしょうゆの味に親しんでいる姿に「しょうゆには世界に通用するおいしさがある」との確信を得たのです。
海外における戦略の鍵は、和食を持ち込むことではなく、いかに現地の食材や料理にしょうゆを使ってもらうかという点でした。素材を選ばず、さまざまな料理になじむしょうゆの特徴を活かして、現地の食文化との融合を図ることがしょうゆを普及させるために大切だと考えたからです。
本格的なアメリカ進出を目的として、サンフランシスコに販売会社を設立したのは1957年のことでした。それから半世紀以上が過ぎ、いまではアメリカの半分近い家庭にしょうゆが常備され、「KIKKOMAN」は“Soy Sauce”の代名詞となっています。

人々を魅了したしょうゆの香り

アメリカでのしょうゆの普及は、肉料理としょうゆの相性のよさを伝えたことで飛躍的に広がりました。まず、スーパーマーケットを中心に、しょうゆを肉につけて焼き、試食してもらうデモンストレーションを行いました。さらに家庭料理への取り入れ方については、レシピを開発し新聞や雑誌などのメディアを通して広めていきました。
“Delicious on Meat”というキャッチフレーズで、これらの積極的なプロモーションを行った結果、しょうゆは肉料理にとてもよく合う調味料である、ということが理解されていきました。このしょうゆと肉の組み合わせをより容易にするために生まれたのが「テリヤキソース」です。1961 年の販売開始から現在まで高い人気を維持しており、「TERIYAKI」は、いまではウェブスターの辞書にも記載されています。

現地の力でしょうゆをつくる

地道かつ積極的なマーケティング活動の結果、しょうゆはアメリカの食文化に徐々に浸透していきました。消費量の伸長にともなって、供給体制も製品輸出からコンテナ輸送による現地でのびん詰め、そして現地で生産して販売する段階を迎えます。
アメリカ中西部ウィスコンシン州ウォルワースに初の海外生産拠点を設立し、“Made in USA”のしょうゆが初出荷されたのは、1973年。販売会社設立から16年後のことです。
現地生産が成功した背景にはキッコーマンの海外における経営姿勢に鍵があります。それを一言で表すならば“経営の現地化”であり、企業が現地の“よき企業市民となる”ことです。工場建設にあたっては、地域社会との共存共栄をめざし、できるだけ地元の企業と取り引きし、現地社員の登用も積極的に行いました。また、日本人社員も、進んで地域社会と接点をもち、よき市民たることをめざし実践してきました。日本で培われた技術で、現地の力でしょうゆをつくる。キッコーマンがめざした“世界に通用する味”とは、これら経営の現地化を土台にして育まれた恒久的な定着を意味しています。
1998年には、カリフォルニア州フォルサム市にアメリカ第二工場もオープンし、しょうゆの出荷量も順調に成長を続けています。
海外の食文化と融合しながら新しい価値を生み出し人々の暮らしに貢献する。半世紀以上前、キッコーマンが夢見た光景は北米で現実のものとなったのです。

北米に次ぐ成長市場ヨーロッパ

北米に次いでしょうゆの市場が伸びているのがヨーロッパです。キッコーマンのヨーロッパ進出は1973年、ドイツのデュッセルドルフから始まりました。この地で、鉄板焼きレストランを開店し、お客さまの目の前で調理して、肉や現地の食材としょうゆの相性のよさを五感で味わってもらったのです。これはアメリカで成功したデモンストレーションをレストランという形でビジネスにしたものでした。
その後も日本食の紹介とともに、国別にしょうゆの使い方やレシピを提案し、しょうゆの新しい可能性を拡大し続けています。
ヨーロッパは歴史が古く、国や地方によって多様な食文化が共存するエリアです。自身の食文化への愛着やこだわりも強く、安易に海外の味覚を取り入れない保守的な面もあります。一方、近年の健康志向の高まりや日本食への関心から、ヨーロッパの多くのトップシェフたちが積極的にしょうゆを用いるようになり、しょうゆの存在感は高まっています。
1997年には、オランダに初のヨーロッパ工場が完成し、ヨーロッパ全域への製造と流通の拠点ができました。近年は、ロシアや中東欧への出荷量も増え、しょうゆが世界の調味料として受け入れられつつあるという手応えが強く感じられます。

アメリカで生まれた名コピー
「ALL-PURPOSE SEASONING」

1956(昭和31)年のアメリカの新聞『サンフランシスコ・クロニクル』紙に、「Kikkomanは、All-Purpose Seasoningである」との紹介記事が掲載されました。日本語に訳せば「万能調味料」。
以来、キッコーマンしょうゆのラベルには「ALL-PURPOSE SEASONING」と表記するようになりました。しょうゆは、素材や料理を選ばず、何にでも合う調味料である。半世紀以上前に、アメリカで生まれた名コピーは、世界のKIKKOMANとなった現在を象徴する言葉だったのです。

秘めた成長力を感じさせるアジア市場

アジアはヨーロッパに次ぐ成長市場として期待されています。
1983年には、東南アジア、オセアニアへの輸出を目的として「キッコーマン・シンガポール社」を設立し、翌年にはシンガポール工場を稼働させました。キッコーマンの技術力により、日本よりもはるかに高温多湿な場所でのしょうゆ醸造を可能としたのです。世界のどの土地に行っても、キッコーマンの品質基準をクリアするしょうゆをつくる。これはキッコーマンの誇りであり使命でもあります。
1990年には、台湾最大の食品企業「統一企業グループ」と合弁で「統萬股份有限公司」を台湾に設立。2000年には、同企業グループとともに「昆山統万微生物科技有限公司」を上海近郊の江蘇省昆山市に設立し、2002年より出荷を開始しました。
2008年、キッコーマンは北京および天津地区に本格参入するために、統一企業グループとともに河北省石家庄市に「統万珍極食品有限公司」を設立し、2009年より出荷を開始しています。アジア市場においても、“KIKKOMAN”のしょうゆは、きわめて高品質な調味料として、信頼され支持されています。

今後の発展が期待される南米市場

これまでキッコーマンは、南米各国において、アメリカ産やシンガポール産のキッコーマンしょうゆ等を輸入し、販売を行っていました。特に、南米最大の経済大国であるブラジルは、現地で製造されているブラジル式のしょうゆの味が浸透していたため参入の障壁が高く、長らく存在感を高めることができずにいました。
しかし、キッコーマンは現地の嗜好に合った調味料の開発を進め、2018 年よりキッコーマンブランドのしょうゆ加工品等の委託製造・販売を開始しました。そして、2020年3月、キッコーマンの完全子会社「キッコーマンブラジル商工有限会社」を設立し、ブラジル市場への本格参入を果たしました。
2021年11月からはブラジル工場で生産したキッコーマンしょうゆの出荷を開始しており、ブラジル国内でのキッコーマンブランドの浸透により、南米事業のさらなる発展が期待されています。

グローバルスタンダードな調味料に

1950年代の本格的なアメリカ進出に始まったキッコーマンの国際化は、70年代にはヨーロッパ、80年代にはアジア、そして近年では南米に本格進出するなど、現在に至るまで展開地域を拡大してきました。
しょうゆがこれほどまでに世界の人々に愛用されるに至った理由として、しょうゆのもつオリジナリティも忘れてはなりません。素材を選ばず独特の香りやうまみを与え、それでいて素材のよさを見事に引き出す、その奥ゆかしさとインパクトは他の調味料にはない魅力と言えるでしょう。
これからもキッコーマンは、どの地域においても、その土地の人々の暮らしと食文化を尊重しながら、しょうゆの魅力を伝えていきます。
しょうゆをグローバルスタンダードな調味料にするために、そして、地球をおいしい笑顔で満たすために、キッコーマンの世界戦略は続いていきます。