世界に広がるキッコーマンしょうゆ
グローバル・スタンダードへの挑戦

キッコーマンのしょうゆは現在、世界100カ国以上で親しまれ、海外に9つの生産拠点を有しています。
“しょうゆは国際的な調味料になり得る”。キッコーマンの海外展開を支えてきたのは、自社のしょうゆへの自信と誇りです。
グローバルなコミュニケーションで使用しているコーポレートスローガン「seasoning your life」。“season”は「季節」だけでなく、「時間を重ねさせる」「趣を添える」「味付けをする」という意味を持つ言葉であることから、“seasoning”という言葉を通じて、「あなたの人生をより味わい深く、ゆたかにする」という想いが込められています。
「キッコーマンしょうゆをグローバル・スタンダードの調味料にする」―そのために大切なのは、単にキッコーマンしょうゆを日本食の調味料として広めるのではなく、世界各国の食文化との融合を図ること。素材を選ばず、どんな料理にも合うというしょうゆの特徴を活かした海外展開によって、世界中の人々から「キッコーマンがあってよかった」と思われる企業であり続けることをめざしています。
アメリカ市場への本格進出

(1964年ごろ)
キッコーマンの本格的な海外展開は、戦後のアメリカ市場から始まりました。戦前、しょうゆの輸出は主に日系人向けで、太平洋戦争により途絶していた輸出は1949年に再開されました。しかし、当時のアメリカ市場には現地産のいわゆる「化学しょうゆ」が普及していました。
それでも、戦後に来日した多くのアメリカ人がしょうゆの味に親しむ様子から、アメリカでは日本のしょうゆを使う人々が増えるに違いないと確信したキッコーマンは、アメリカの一般家庭への浸透をめざし、1957年にサンフランシスコに販売会社を設立し、本格的にマーケティングを開始しました。
しょうゆの味も使い方も知らないアメリカの消費者に実際に買ってもらうため、スーパーマーケットを中心に、しょうゆを肉につけて焼き、試食してもらうデモンストレーションを行い、“Delicious on Meat”をキャッチフレーズに、肉としょうゆの相性のよさを伝えていきました。さらに、開発したレシピを新聞や雑誌などのメディアを通して広めたことで、アメリカの食卓にしょうゆが浸透していきました。
「ALL-PURPOSE SEASONING」

と記載したラベル
1956年のアメリカの新聞『サンフランシスコ・クロニクル』紙に、「KIKKOMANは、ALL-PURPOSE SEASONINGである」との紹介記事が掲載されました。日本語に訳せば「万能調味料」。
以来、キッコーマンしょうゆのラベルには「ALL-PURPOSE SEASONING」と表記するようになりました。しょうゆは、素材や料理を選ばず、何にでも合う調味料である。半世紀以上前にアメリカで生まれたこのコピーは、世界に広がるKIKKOMANを象徴する言葉だったのです。
現地生産への決断

地道かつ積極的なマーケティング活動により、しょうゆはアメリカの食文化に徐々に浸透していきました。しかし、輸送コストの増大などにより慢性的に赤字が続いていました。現地生産の検討が始まりますが、大規模な投資を回収できるほどの市場規模にはなっていないとの判断から、工場建設は見送られます。そこで採用されたのが、しょうゆを大型容器で輸出し、現地でボトリングする方式でした。
1968年にアメリカでの本格的なボトリングが始まると、しょうゆの輸出量は予想を上回るペースで増加し、専用コンテナの不足など新たな課題が生じました。そこで1970年より、再び工場建設が検討されます。当時の資本金を上回る投資額となる事業に対し、取締役会の討議では結論が出ず、最終判断を委ねられた社長は「良い商品、良い品物は国境を越えていろいろな国の人たちに絶対の支持を受けるという事実がある」という考えのもと、アメリカ工場の建設を決断しました。
アメリカ中西部ウィスコンシン州ウォルワースに初の海外生産拠点を建設し、アメリカで一貫生産されたしょうゆが初出荷されたのは1973年、販売会社設立から16年後のことでした。

現地生産の成功を支えたのはキッコーマンの海外における経営姿勢でした。グランドオープニングの社長挨拶で「今日より、良きコミュニティーの一員、良きウィスコンシン州の一員、良きアメリカ経済の一員として、社会に貢献したいと存じます」と述べた通り、“アメリカのキッコーマン工場”として “経営の現地化”を徹底し、企業が現地の“良き企業市民となる”ことを実践しました。地域社会との共存共栄をめざし、できるだけ地元の企業と取り引きし、現地社員の登用も積極的に行いました。また、日本から出向した社員も、進んで地域社会と接点をもち、良き市民たることをめざしたのです。
競合する化学しょうゆとの大きな価格差があったものの、キッコーマンしょうゆの品質の高さを「Quality Difference」と地道かつ粘り強く訴え続けました。こうした努力がシェアの拡大につながり、1978年時点で南カリフォルニアでの家庭用シェア69%を獲得するなど、各地区で存在感を高めていきました。1994年にはアメリカの家庭用市場で50%以上のシェアを達成し、「KIKKOMAN」がしょうゆの代名詞となりました。1998年にはカリフォルニア州フォルサムにアメリカ第二工場を、2026年にはウィスコンシン州ジェファーソンにアメリカ第三工場をオープンさせるなど、出荷量は順調に成長を続けています。

(1964年ごろ)
キッコーマンは現地の食材や食文化に合わせた商品開発を重視してきました。その代表が1961年に発売されたテリヤキソース「Teriyaki Barbecue Marinade」です。現地社員の意見などを取り入れて開発された、しょうゆにワインや香辛料をブレンドしたこのソースは、バーベキューが盛んなアメリカで急速に普及しました。1970年にはウェブスター辞典に“Teriyaki”が収録されるほどアメリカ社会に定着し、半世紀を超えて愛されるロングセラーとなっています。現在では、グルテンフリー・減塩タイプや多彩な風味の商品などを幅広く展開し、多様化するニーズに応えています。
ヨーロッパの食文化との融合

ヨーロッパ市場への挑戦は、1973年、当時の西ドイツのデュッセルドルフにオープンした鉄板焼きレストランから始まりました。お客さまの目の前で肉や魚介、野菜を焼き、しょうゆで味付けするスタイルで、しょうゆの味と香りを楽しんでもらったのです。これは、店頭デモンストレーションでしょうゆの風味を体験してもらうというアメリカ市場で成功した手法を、ヨーロッパではレストランという形でビジネスにしたものでした。1979年にはドイツに販売会社を設立し、ドイツから北欧諸国、そしてヨーロッパ各国へと市場を広げていきます。
ヨーロッパは歴史が古く、国や地方によって多様な食文化が共存する地域。自身の食文化への愛着やこだわりも強く、海外の味覚を容易には受け入れない面もありましたが、日本のしょうゆは日本食だけのものではなく、それぞれの国の料理を引き立てるものであることを、料理界のオピニオンリーダーやメディアなどを通して粘り強く訴求したことで、しょうゆが徐々に浸透していったのです。
1997年には、オランダのホーヘザンド・サッペメアにヨーロッパ工場が竣工し、ヨーロッパ全域への製造と流通の拠点ができました。竣工式の社長挨拶では、18世紀にオランダ人が日本から運んだしょうゆがフランス宮廷の食卓にも供されたと伝わる歴史に触れ、この地で現地生産を開始することについて「感慨無量なるものがあります」と語っています。
ヨーロッパでの市場拡大は容易ではありませんでしたが、現地の嗜好に合わせたしょうゆ関連調味料を各国で発売するとともに、食文化や食のトレンドに沿った具体的なしょうゆの使い方を発信して浸透を図りました。その結果、ヨーロッパは北米に次ぐ成長市場となっています。
アジア・オセアニアに広がるしょうゆ

(2016年)
牛肉や羊肉をよく食べ、バーベキューも盛んなオーストラリアでは、アメリカと同様に、肉としょうゆの相性の良さを訴求することが有効でした。広大な国土に対応するため、店頭デモンストレーションの展開に加え、マスメディアによる宣伝広告も積極的に活用しました。1970年代後半にしょうゆ市場が急成長したオーストラリアでは1980年に販売会社を設立し、その後も順調に販売量を拡大させていきました。
オーストラリアでの販売拡大を受け、オセアニアやアジア各国への輸出拠点となる新工場建設の動きが具体化しました。アジア諸国で立地を選定した結果、シンガポールへの工場建設を決定しました。建設工事と並行して、熱帯性気候に適合する生産条件の研究を進め、日本と同等の品質をシンガポールで実現することに成功し、1984年に出荷を開始しました。
台湾では、1990年に現地食品業界最大手の統一企業と合弁で「統萬股份有限公司」を設立し、現地生産を開始。消費者調査に基づいて開発した甘口の「甘醇醤油」がヒット商品となり、生産量を順調に伸ばしました。
中国大陸においても、2000年に統一企業とともに「昆山統万微生物科技有限公司」を上海近郊の江蘇省昆山に設立し、2002年より出荷を開始しました。さらなる販売拡大をめざし、統一企業および現地の調味料メーカー珍極との合弁により、「統万珍極食品有限公司」を河北省石家庄に設立し、2009年より出荷を開始。ブランドの育成に注力しながら、各地域の販売網の整備も進め、中国市場の開拓・深耕を推進しています。
アジア各国には、魚介類を発酵させた魚醤のほか、大豆を主原料とする発酵調味料も数多く存在し、それぞれの風味がその国の料理を特徴付けています。こうした市場特性に合わせた商品開発や販売活動を展開しながら、日本の本醸造しょうゆが持つ高品質な価値を伝えることで、キッコーマンしょうゆの浸透を図っています。
新たな市場の開拓

「2020年代に南米を成長ステージへ」という目標を掲げ、その足掛かりの地を、南米最大の経済大国ブラジルに定めます。世界で最も多くの日系人が居住するブラジルは、しょうゆ自体の認知度は高いものの、日本とは異なる風味の、「大豆と小麦」ではなく、「大豆とトウモロコシ」を原料としたしょうゆが定着していました。ブラジルでは新たな価値となる日本の本醸造しょうゆの提案と、ブラジル特有のしょうゆ文化に合わせた調味料の開発を両輪としてキッコーマンブランドの浸透を図りました。2020年に「キッコーマンブラジル商工有限会社」を設立し、2021年11月からはブラジル工場で生産したキッコーマンしょうゆの出荷が始まりました。
約14億人を抱えるインドは、今後の成長が期待される巨大市場です。2020年に現地法人「キッコーマン・インディア社」を設立し、翌2021年から本格的な営業活動を開始しました。独自の香辛料文化が根付くインドにおいても、世界各地の多様な食文化との融合を実現してきた「万能調味料」としてのキッコーマンしょうゆの価値を伝え、新たな市場の開拓に取り組んでいます。
さらには、「2030年代以降に成長ステージに入れるよう市場の足場固めをする」地域と位置付けたアフリカ。所得水準が向上しているケニアでは、現地法人Kikkoman East Africa Ltd.を設立し、テスト販売を行っています。

インドでは、長年にわたり現地で独自に発展してきた「インド中華」がレストランで広く親しまれ、家庭料理にも普及しています。この食文化に着目し、商品展開を進めてきました。
インド中華では、ローカルブランドなどが販売するインド独自の調味料“ダークソイソース”が多く使われます。ローカルのダークソイソースとは異なる、日本の本醸造しょうゆならではの豊かな味と香りがインド中華に合うことを訴求し、外食産業からの普及をめざしています。
また、インド中華でしょうゆと組み合わせて使われることの多いオイスターソースに注目し、ベジタリアンの多いインド向け商品として、通常のオイスターソースと遜色ない風味をもちながら、動物性原材料を使用していない「オイスター・フレーバード・ソース」を開発。さらに、インド中華では色が濃いほどおいしそうに感じる傾向への対応として、独自技術によって着色料などを使わずに深い色を実現した「ダークソイソース」を2024年に発売しました。
キッコーマンしょうゆをグローバルスタンダードな調味料に
1950年代の本格的なアメリカ進出に始まったキッコーマンの国際化は、70年代にはヨーロッパ、80年代にはアジア、そして近年ではブラジルやインド、アフリカでの市場開拓を図るなど、現在に至るまで展開地域を拡大してきました。
しょうゆが世界の人々に親しまれている背景には、そのオリジナリティがあります。素材を選ばず独特の香りやうま味を与えながら、素材の持ち味を引き立てることは、しょうゆならではの魅力です。
これからもキッコーマンは、どの地域においても、その土地の人々の暮らしと食文化を尊重しながら、しょうゆの魅力を伝えていきます。
しょうゆをグローバル・スタンダードの調味料にするために、そして、地球をおいしい笑顔で満たすために、キッコーマンの挑戦は続きます。




