しょうゆ

麹菌ゲノム解読

麹菌の電子顕微鏡写真

麹菌は、清酒、味噌、しょうゆなどの日本の伝統的な醸造食品の製造に利用されている微生物であり、日本醸造協会により日本の「国菌」に認定されています1)。代表的な麹菌として、Aspergillus oryzae(アスペルギルス オリゼ)とAspergillus sojae(アスペルギルス ソーヤ)が挙げられます。キッコーマンは産官学コンソーシアムによりA. oryzaeのゲノムを2)、東京大学、東京工業大学、野田産業科学研究所との共同でA. sojaeのゲノムを3)解読しました。A. oryzaeは、清酒、味噌、しょうゆなど幅広い食品の製造に利用されています。一方、A. sojaeの利用は味噌としょうゆの製造に限られています。清酒製造では、原料である米のでんぷんを、味噌・しょうゆ製造では原料である大豆のたんぱく質を分解する能力が高い麹菌がそれぞれ求められます。そのため、麹菌は目的に応じて使い分けられています。清酒製造では高いでんぷん分解能をもったA. oryzaeが使用され、味噌・しょうゆ製造ではA. sojaeあるいはA. oryzaeの中でも高いたんぱく質分解能をもつ株が使用されています。

※1は醸造食品の品質や生産性に大きく影響することが知られています。そのため、優良な麹菌の獲得は重要な課題です。古くは、製麹したものの中から優秀な麹の一部を取り、次の種(たね)とする「友麹」といわれる技術が用いられていました。1950年頃からは、紫外線などで麹菌に突然変異を起こし優秀な株を育種することが行われてきました。しかし、これらの技術による育種は膨大な手間と時間がかかってしまいます。そこで2000年頃からは、優良な性質がどんな遺伝子に依存しているのかをゲノム情報から読み取り、それを用いることで効率的に優良株を得る技術開発が進められています。

また、ゲノム情報は優良株の育種だけでなく、安全性の証明にも寄与しています。麹菌が安全であることは、その長い食経験により知られています。しかし、A. oryzaeA. sojaeはマイコトキシン※2(カビ毒)であるアフラトキシン※3やシクロピアゾン酸※4などを生産する微生物と分類学上近縁であると考えられています4-6)A. oryzae RIB40とA. sojae NBRC4239のゲノム解読の結果、遺伝子レベルでの非生産性も証明され2,4-7)、安全性について高い確証を得ることができました。

麹菌A. oryzae

2005年、キッコーマンは産官学コンソーシアムに参画し、麹菌A. oryzaeの全ゲノム解読を実施し、産業上の特性の解明や安全性についての解析を行いました2)。ゲノム解読の結果、A. oryzaeのゲノムサイズは約37Mbで、そこには約12,000個の遺伝子があると予測されました。でんぷんを分解する酵素であるα-アミラーゼ遺伝子、α-グルコシダーゼ遺伝子は複数個存在することが分かり、このことがA. oryzaeの清酒醸造で必要な高アミラーゼ生産の理由のひとつと考えられます。同時に多数のタンパク質分解酵素(プロテアーゼ)の遺伝子をもつことも明らかになりました。安全性については、アフラトキシン以外のマイコトキシンとしてシクロピアゾン酸が知られておりますが、A. oryzaeはシクロピアゾン酸を合成するための遺伝子が欠損しているため、生産しないことがゲノム情報から遺伝子レベルで明らかになりました7)

麹菌A. sojae

2011年、キッコーマンは東京大学、東京工業大学、野田産業科学研究所と共同でA. sojaeの全ゲノム解読を実施し、A. sojaeの産業有用性や安全性について遺伝子レベルで解析しました3)。その結果、A. sojaeのゲノムサイズは約39.5Mbと他のAspergillus属糸状菌のゲノムと比較して最も大きく、そこには約13,000個の遺伝子が予測されました。A. sojaeA. oryzaeのゲノムを比較したところ、A. sojaeA. oryzaeと同様に多数のタンパク質分解酵素をもつこと、また、A. sojaeに固有のタンパク質分解酵素遺伝子も複数個存在することが明らかになりました。しょうゆ醸造では、主原料である大豆たんぱく質を分解するために、麹菌には高いプロテアーゼ活性が求められます。A. sojaeA. oryzae以上にプロテアーゼ遺伝子を多数もつことは、A. sojaeがしょうゆ醸造で利用されている理由の1つであると考えられます。また、A. oryzaeはゲノム中に3つのα-アミラーゼ遺伝子をもちますが、A. sojaeは1つだけでした。α-アミラーゼ活性の高い麹菌は一般的に麹製造時の糖消費が多く、原料の糖分が少なくなる傾向にあります。一般に、清酒醸造では全原料を麹にしません。そのため、清酒醸造用の麹菌の高いα-アミラーゼ活性は醸造中の糖分の増加に寄与します。一方、しょうゆ醸造の場合は全原料を麹にします。しょうゆ醸造では、製麹中の糖消費が多いと後の乳酸発酵、酵母発酵を低調にしてしまうため、麹菌の高すぎるα-アミラーゼ活性は好ましくありません。そのため、しょうゆ醸造に適したA. sojaeはα-アミラーゼ活性が低い傾向にありますが、その原因はα-アミラーゼ遺伝子を1つしかもたないことによると分かりました。さらに、シクロピアゾン酸生産性についても解析した結果、A. oryzaeと同様にA. sojaeもシクロピアゾン酸を合成するために必要な遺伝子を欠失しており、A. sojaeがシクロピアゾン酸非生産であることを遺伝子レベルで確認しました。

キッコーマンはA. oryzaeA. sojaeのゲノム情報を利用した研究により、高品質なしょうゆの製造、高い安全性を証明し、醸造産業の発展に貢献してまいります。

引用文献
  1. 1公益財団法人日本醸造協会, 1986, 東京
  2. 2Machida M, et al. 2005. Genome sequencing and analysis of Aspergillus oryzae. Nature 438: 1157-1161.
  3. 3Sato A, et al. 2011. Draft genome sequencing and comparative analysis of Aspergillus sojae NBRC 4239. DNA Res 18: 165-176.
  4. 4Matsushima K, et al. 2001. Pre-termination in aflR of Aspergillus sojae inhibits aflatoxin biosynthesis. Appl Microbiol Biotechnol 55: 585-589.
  5. 5Matsushima K, et al. 2001. Absence of aflatoxin biosynthesis in koji mold ( Aspergillus sojae). Appl Microbiol Biotechnol 55: 771-776.
  6. 6Takahashi T, et al. 2002. Nonfunctionality of Aspergillus sojae aflR in a strain of Aspergillus parasiticus with a disrupted aflR gene. Appl Environ Microbiol 68: 3737-3743.
  7. 7Tokuoka M, et al. 2008. Identification of a novel polyketide synthase-nonribosomal peptide synthetase (PKS-NRPS) gene required for the biosynthesis of cyclopiazonic acid in Aspergillus oryzae. Fungal Genet Biol. 45: 1608-1615.
語句の説明
  1. ※1麹:米・麦・豆・ふすま・糠などに麹菌を繁殖させたもの
  2. ※2マイコトキシン:カビが産生する、人または家畜の健康をそこなう毒のこと
  3. ※3アフラトキシン:強い毒性と発がん性を有しているマイコトキシンのひとつ
  4. ※4シクロピアゾン酸:食欲不振、嘔吐、下痢、発熱、中枢神経系の抑制などの中毒症状を引き起こすマイコトキシンのひとつ