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KIKKOMANのおいしい挑戦~アメリカ進出50周年~
日本を代表する調味料・しょうゆの国際化のはじまりは17世紀中頃のこと。独特の豊かな香りを持つしょうゆは、スパイスとして珍重され、東南アジア諸国や遠くヨーロッパにまで送られました。
大豆がヨーロッパに伝わったとき、「しょうゆ用の豆」として訳され、のちにその言葉が英訳されて「Soybean」とよばれるようになりました。
開国後、日本人が海外へ移住するようになると、日本人や東洋系の人々に向けてしょうゆの輸出も行なわれるようになりました。当社もハワイやアメリカの西海岸などに向けて製品を送り出していたのです。しかし、太平洋戦争の勃発で、中断せざるをえなくなったのでした。
戦後、しょうゆの新たな市場の開拓と拡大を進めるために、キッコーマンは1957年(昭和32年)、アメリカで本格的にマーケティング活動を展開することになりました。それは日本料理の調味料として伝えるのではなく、しょうゆを使ったアメリカ人好みの料理を開発して、しょうゆの味を知ってもらうというものでした。
それから半世紀に及ぶ地道な活動を通じ、しょうゆは肉との相性がよく、肉料理はもちろんスープにドレッシングにと、アメリカの家庭になくてはならない調味料として浸透しました。また、現地の原料をもとにアメリカの工場でしょうゆが生産されるようになり、今ではKIKKOMANはナンバーワン・ブランドとして親しまれているのです。
さらにその後、和食はおいしい健康食として世界中から認知され、その中心にしょうゆがあります。今ではヨーロッパ、アジアにもおいしさの輪が広がり、現地の工場も稼動し、市場を大きく拡げています。
アメリカ市場開拓への挑戦を開始して50年を迎え、当センターではしょうゆのアメリカ進出の成功は、まさに食文化の国際交流の例証であると自負し、その軌跡をまとめました。
日本通として知られ、ヨーロッパの生活も経験され、文字通り国際的な味覚を持たれた元米国駐日大使・故ライシャワー博士は、アメリカにおけるしょうゆの成功例を取り上げ、「食の国際交流」が世界中の人々に豊かな食生活をもたらしていることを、当社に寄せられたメッセージの中で述べられています。
一国の食文化が、世界各国の文化に溶け込んで、新しい食文化として芽生え成長するとき、人々のより豊かな食生活が育まれます。
これからも私たちは、日本はもちろん、世界の人々に、おいしさをとおして真の「食の国際交流」と「食育」に寄与できるよう、努めていきたいと考えています。
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T O P
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アメリカの家庭で50年 KIKKOMANのおいしい挑戦
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戦後のしょうゆ事情とアメリカへの輸出再開
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「ALL-PURPOSE SEASONING」(万能調味料)
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デリシャス・オン・ミート!肉によく合うKIKKOMAN
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西海岸からニューヨーク そして全米へ
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MADE IN USAのKIKKOMAN
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全米シェアNO.1に、そしてカリフォルニア工場設立
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シェフも評価 ヨーロッパへおいしさ広がる
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アジア・オセアニアにもいい味と香りのロードが
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世界100か国以上で販売されているグローバル・ブランド
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