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KIKKOMANのおいしい挑戦~アメリカ進出50周年~
アメリカの家庭用しょうゆ市場で販売額トップに
1974年(昭和49年)から通年生産をはじめたKFIウィスコンシン工場は、5年後の1979年(昭和54年)には2倍以上の生産量となりました。
1983年(昭和58年)、キッコーマンしょうゆは家庭用市場で、現地の化学しょうゆ「La Choy」を抜き、市場シェア46.8%で全米ナンバーワンとなりました。
(SAMIREPORT調査)
元駐日大使で、当時ハーバード大学教授を務めていた故エドウィン・O・ライシャワー博士は、1980年(昭和55年)の年頭、当社に寄せたメッセージの中で食文化の国際交流について歴史的見地と自らの経験を語り、近年、日本食とキッコーマンしょうゆがいかにアメリカの市民の間で根付いているかに言及しました。
その文の一部をご紹介します。
『いずれにしても、アメリカにおけるキッコーマンの成功は、「食文化の国際交流」の顕著な例証であると、私には思えるのです』
「・・・日本料理は、なぜか、アメリカ人にとって、健康食品のイメージがつよいようです。おそらく低脂肪だからでしょう。脂肪のとりすぎは、西洋人にとって健康上もっとも気になる点なのです。(略)日本料理からしょうゆを取ったら、それはちょうど自動車からエンジンを取りさるようなものです。(略)
近年になって、キッコーマンの台頭により、しょうゆの評価は大きく変わりました。今や、どこのスーパーマーケットの棚にも、キッコーマンが見られるようになり、しかも中国料理店ですら、テーブルにキッコーマンの卓上びんが置かれるようになりました。さらに、もっとも注目すべきことは、アメリカ人が「キッコーマン」という固有名詞を、ソイソースに代わる、いわば普通名詞として、口にするようになってきたことです。(もちろんキッコーマンのアクセントに関しては、日本とは若干違っているようですが)
今や、しょうゆを筆頭に、豆腐その他の日本食品が、アメリカ料理の主流に加わりつつあります。このことは、アメリカの食生活に重大な変化が起こる前触れにほかなりません。いずれにしても、アメリカにおけるキッコーマンの成功は、〈食文化の国際交流〉の顕著な例証であると、私には思えるのです。」
(抄訳 國弘正雄)
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故エドウィン・O・ライシャワー博士(ハーバード大学内研究室にて1979年11月)
減塩タイプなど健康志向商品を開発 シェアも50%以上に
1980年代後半になると、アメリカでの健康志向を受け、減塩タイプの「ライト・ソイソース」「ライト・テリヤキソース」や、野菜炒め用の「ステアフライ・ソース」、中華料理に適した「スイート&サワーソース」など多くの商品をラインナップ。キッコーマンはいっそう身近なブランドとなりました。
1994年(平成6年)には、アメリカの家庭用しょうゆ市場でキッコーマンは50%のシェアを超えるようになりました。
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1980年当時のKFIの諸製品
カリフォルニアに大口ユーザー向け第2工場を設立
1995年(平成7年)になって第2工場の建設を計画。翌年、アメリカ西部のカリフォルニア州フォルサム市の敷地約21万m
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の地に新工場「カリフォルニア工場」(CAP)を設立することを決定しました。1998年(平成10年)10月には年産1万キロリットルの能力を持つCAPが完成。これでKFIはウィスコンシン州の「ウィスコンシン工場」 (WIP)とあわせて2大生産拠点となり、両工場合わせて約9万キロリットルの生産能力を持つことになりました。
CAPでは、主に西部地区の大口ユーザー向けのしょうゆを製造することになりました。これは、1990年代に入り、人々の外食頻度が増し、調理済み食品を利用する家庭が増えたことが要因です。
KFIでは主にレストラン、加工業者のニーズに応えることにしたのです。
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1998年に完成した米国第2の生産拠点カリフォルニア工場(CAP)
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1980年代の米国のレストランの厨房風景。米国産のキッコーマンしょうゆが活躍している
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T O P
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アメリカの家庭で50年 KIKKOMANのおいしい挑戦
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戦後のしょうゆ事情とアメリカへの輸出再開
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「ALL-PURPOSE SEASONING」(万能調味料)
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デリシャス・オン・ミート!肉によく合うKIKKOMAN
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西海岸からニューヨーク そして全米へ
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MADE IN USAのKIKKOMAN
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全米シェアNO.1に、そしてカリフォルニア工場設立
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シェフも評価 ヨーロッパへおいしさ広がる
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アジア・オセアニアにもいい味と香りのロードが
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世界100か国以上で販売されているグローバル・ブランド
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