アメリカへの輸出が増大するにつれ、輸送コストの合理化が切実な問題になってきました。原料の小麦と大豆はアメリカ、カナダから輸入していたため、加工して輸出すると運賃が二重にかかることになるのです。現地生産も検討されましたが、まずは大型容器に詰めたしょうゆをコンテナ船で運び、現地で壜詰めを行なう部分的現地生産方式を採用することにしました。
カリフォルニア州オークランドにある製塩会社「レスリー・ソルト」社と1967年(昭和42年)に業務提携を結び、翌年から部分生産を開始。レスリー・ソルト社ではしょうゆのボトリングと共に、アメリカで開発され、市場規模を伸ばしていた「テリヤキ・ソース」の調合・壜詰めも行ないました。その製品には「Product of USA」のラベルが貼られ、「アメリカで製造された商品」と認定されることになりました。
これにより輸送費の削減と関税の引き下げ、さらにアメリカ政府機関への納入の道も開かれました。