しょうゆの地域特性とその形成要因
しょうゆの歴史的展開
江戸時代~
古くから、しょうゆ製造には大豆や麦、食塩の主原料に加え、粥、酒粕、あめ(大豆の煮汁)などが使われているが、幕末の金沢大野醤油に関する資料には砂糖の記述がある。しかし、それは甘味をつけるというより、塩角を取り、しょうゆの品質を高めるための調整であったと考えられる。
昭和15年~
戦時体制が進行すると原料の高騰や不足が生じた。食料統制が始まる1940年以降には、しょうゆ原料としての配給は脱脂大豆のみとなり、伝統的な大豆と小麦による醸造しょうゆはほとんど姿を消すことになる。一方この頃、小麦の麩質、脱脂大豆などを塩酸等で分解した調味料の分解残液から精製したアミノ酸液が開発され、しょうゆの代替として利用さ れたり、醸造しょうゆに混合されるようになった。
昭和25年~
1950年に入り、大豆、小麦の統制が解除され、N.K式タンパク質原料処理法という新しい技術が開発、公開されると、伝統的な本醸造によるしょうゆづくりが再興した。しかし、戦中戦後の原料不足や、たびたび改定された規格等の影響から醸造設備を無くした生産者もあり、アミノ酸液を原料としたしょうゆをつくり続けるところや、だししょうゆなどの加工品を含めた多様なしょうゆづくりを工夫することで、戦後の経営を維持発展させてきたところも多かったと考えられる。