ここでは、これまでしょうゆ容器として用いられたいろいろな陶磁製・ガラス製しょうゆ容器について、ご紹介します。 |
(1)甕
かめ[陶器] |
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甕は、しょうゆが生まれる以前から、さまざまな用途で用いられてきましたが、発酵食品・発酵調味料の醸造・貯蔵にも用いられてきました。しょうゆが工業的に生産されるようになった江戸時代に入り、大手の醸造元においては、甕はより大型の醸造容器である大桶にその座を明け渡したと考えられます。これは、大桶ほどの容量の大甕は生産不可能であったことによります。一方、農家においては、甕はしょうゆの自家醸造容器・貯蔵容器として、戦後高度経済成長期ごろまで用いられていましたが、現在では、しょうゆを自家醸造する農家がわずかとなり、しょうゆ容器としての甕は若干例見られるだけとなっています。また、一部の料理店の厨房では、現在でも甕がしょうゆ貯蔵容器として活躍しています。 |
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しょうゆ甕
台所で用いられていたしょうゆ貯蔵容器。内容量は約3升(5.4リットル)。(野田市郷土博物館 所蔵) |
(2)徳利 とっくり[陶器] |
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徳利は、樽などの大型貯蔵容器から酒やしょうゆを移し替えて、
小口で購入する際に用いた陶磁器(主に陶器)です。 “通 かよ い徳利”(“貧乏徳利”)
とも呼ばれていました。 江戸時代から昭和初期に至るまで、長い間、広く用いられてきました。 遺跡の発掘成果によると、江戸(東京)の徳利は、ほとんどが美濃 みの
国高田(現在の岐阜県多治見市高田町)産のものでした。 『和漢三才図会 わかんさんさいずえ
』 (1713年 刊行)「庖厨具 ほうちゅうぐ 」 の章に、「・・・(徳利は)民家においては日用に酒瓶として用いられており、
酢やしょうゆを入れる容器としても適している・・・」という記述があります。 また、井原西鶴
いはらさいかく の『西鶴織留 さいかくおりどめ』 (1694年
刊行)にも、しょうゆを入れる容器として描かれている一節があります。 |
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「ところてん売り」の図
喜多川歌麿 画
天保6年(1835年) 黒川真道『絵本江戸爵』挿絵 (『日本風俗図絵』12 柏書房 1983年 所収) 江戸・両国橋のたもとで商うところてん売りの うしろに、しょうゆ徳利が描かれています。 |
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しょうゆ大徳利
約8斗(14.4リットル)入りの大徳利 (野田市郷土博物館 所蔵) |
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通い徳利
5合(900ミリリットル)入りの徳利を中心に、さまざまな 容積の徳利がありました。(野田市郷土博物館 所蔵) |
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