食文化に見るしょうゆの包装・容器 その2

- 展示期間
- (2001年10月~2002年6月展示)
「容器」という視点から食文化を見つめることによって、従来とは違った角度から食文化を理解することにつながるのではなかろうか―当センターでは、このような視点から、「食文化に見るしょうゆの包装・容器」を企画・展示しております。前回は、包装・容器の意義を考察した上で、しょうゆ容器の歴史を概観し、江戸時代以来しょうゆ容器の代表格だった「樽」について、様々な側面から詳しく紹介しました。今回は、「陶磁器」「ガラス容器」を取り上げました。
不透明な陶磁器と透明なガラス容器―意外にも、この両者はその材質に共通性があるのです。当展示においては、さまざまな陶磁器とガラス製しょうゆ容器を紹介し、それらの歴史、その材料・製法および保存性の比較について調査しました。
しょうゆ容器の略史(図)
しょうゆ容器のいろいろ
樽
陶磁器
(アムステルダム大博覧会出展品)
ガラス容器
缶
樹脂容器
ポーションパック
紙容器
バッグインボックス
コンテナ
*印は、2001年10月時点で使われていない容器です
陶磁器・ガラス容器とは
陶磁器とガラス容器は、ともに土・岩石の成分を加熱・加工した容器であり、共通性のある材質の容器です。
(1)陶磁器
粘土や磁石(磁器の主原料となる石)を用いて作った焼き物の総称です。陶器は粘土をこねて成形し、焼き固めた容器であり、磁器は磁石を粉状にして水で練り、成形して焼き固めた容器です。また、製法の簡単な土器や、陶器を固く焼きしめた炻器(せっき)もあります。
陶磁器の作り方
各地域で土質が違い、またそれぞれが工夫をこらしているため、陶磁器の原材料や製造法は地域で異なります。ここでは一般的な陶磁器のつくり方を説明します。
(2)ガラス容器
私たちの身の周りには数多くのガラス製品があります。ガラスには、成分の違いからさまざまな種類のものがありますが、日常多く目にする食品のガラス容器はソーダ石灰ガラスです。
ガラス容器の作り方
しょうゆ容器としての陶磁器・ガラス容器
ここでは、これまでしょうゆ容器として用いられたいろいろな陶磁製・ガラス製しょうゆ容器について、ご紹介します。
(1)甕(かめ)[陶器]
甕は、しょうゆが生まれる以前から、さまざまな用途で用いられてきましたが、発酵食品・発酵調味料の醸造・貯蔵にも用いられてきました。しょうゆが工業的に生産されるようになった江戸時代に入り、大手の醸造元においては、甕はより大型の醸造容器である大桶にその座を明け渡したと考えられます。これは、大桶ほどの容量の大甕は生産不可能であったことによります。一方、農家においては、甕はしょうゆの自家醸造容器・貯蔵容器として、戦後高度経済成長期ごろまで用いられていましたが、現在では、しょうゆを自家醸造する農家がわずかとなり、しょうゆ容器としての甕は若干例見られるだけとなっています。また、一部の料理店の厨房では、現在でも甕がしょうゆ貯蔵容器として活躍しています。
(2)徳利(とっくり)[陶器]
徳利は、樽などの大型貯蔵容器から酒やしょうゆを移し替えて、小口で購入する際に用いた陶磁器(主に陶器)です。“通(かよい)徳利”(“貧乏徳利”)とも呼ばれていました。江戸時代から昭和初期に至るまで、長い間、広く用いられてきました。遺跡の発掘成果によると、江戸(東京)の徳利は、ほとんどが美濃国高田(現在の岐阜県多治見市高田町)産のものでした。『和漢三才図会(わかんさんさいずえ)』(1713年刊行)「庖厨具(ほうちゅうぐ)」の章に、「・・・(徳利は)民家においては日用に酒瓶として用いられており、酢やしょうゆを入れる容器としても適している・・・」という記述があります。また、井原西鶴の『西鶴織留(さいかくおりどめ)』(1694年刊行)にも、しょうゆを入れる容器として描かれている一節があります。
(3)コンプラ瓶[磁器]とケルデル瓶[ガラス]
コンプラ瓶とケルデル瓶は、江戸時代にオランダへしょうゆや酒を輸出するときに用いられた容器です。しょうゆ・酒の輸出は、主に樽によって輸出されていましたが、それを補完する容器として活躍しました。コンプラ瓶は、18世紀末以後、主に肥前国波佐見(現在の長崎県波佐見町)で焼かれた磁器です。オランダ東インド会社の貿易記録によると、1790年に初めてコンプラ瓶を使用したことが判明しますが、遺跡の発掘事例からすると、主に1820年以降に生産されるようになったと考えられます。
ケルデル瓶は、コンプラ瓶が登場する前にしょうゆ輸出容器に用いられたガラス瓶です。もともとオランダ船によってもたらされたぶどう酒などの空き瓶です。数量が少なかったので、その不足を補うために、長崎近隣の波佐見や伊万里などで生産した陶磁器が用いられるようになり、やがてコンプラ瓶が成立しました。
“焼きつぎ屋”とは、庶民の日用品である陶磁器を修理する職人です。割れたり欠けたりした部分を白玉粉や粘土などで接着し、小さな鞴 ふいご(送風機の一種)で部分的に加熱する「焼きつぎ」という方法を用いて再生したようです。また、前回の展示においても説明しましたが、「樽」もリサイクル容器でした。このように、江戸時代においては、空き容器の仲買人や修理職人などのリサイクル業者が多数活躍しており、物をリサイクルして使うという習慣が、しっかりと社会的に定着していたのです。
しょうゆの輸出 -コンプラ瓶とケルデル瓶がオランダへ-
江戸時代は『鎖国』の時代と言われていますが、日本とオランダの間には、通商関係がありました。しょうゆも、長崎を窓口として東南アジアを経て、オランダへ輸出されていたのです。(当センターの前々回展示『長崎商館仕訳帳などにみる江戸時代のしょうゆの海外輸出』において説明致しました。)その際、コンプラ瓶・ケルデル瓶は、輸出しょうゆの容器として、オランダへ渡ったのです。
しょうゆがバタビア(現在のジャカルタ)を経てオランダに到着するまでには数ヶ月を要し、また、熱帯である赤道付近を航行したため、しょうゆの保存にはたいへん厳しい輸送環境でした。輸送の間に、しょうゆは劣化しなかったのでしょうか?微生物対策(防菌)として、しょうゆを煮沸してからコンプラ瓶に詰め、木の栓でしっかり閉めて瀝青で固めた、という19世紀のスウェーデンの植物学者ツンベルクの記録があります(『日本紀行』)。しかし、実際それだけではしょうゆの酸化劣化は避けられなかったと考えられます。
当センターでは、当社商品開発室の協力を得て、各種容器(磁器のコンプラ瓶、陶器の徳利、ガラス瓶、PETボトルの4種類)に詰めたしょうゆの保存試験を行ないました。
(4)明治以後の陶磁製しょうゆ容器(5)ガラスびん
明治以後も、陶磁器は主に「通い徳利」がしょうゆ容器として活躍しましたが、その他贈答用しょうゆの容器としても用いられました。現在でも一部、贈答用しょうゆの容器として用いられています。
(4)明治以後の陶磁製しょうゆ容器

このような磁器のしょうゆびんは、現在でも贈答用しょうゆ容器や高級なしょうゆ容器に用いられることがあります。
(キッコーマン株式会社 所蔵)

昭和10年代初頭に用いられた贈答用しょうゆ容器です。
磁器ですが、樽の形に模して作られています。「しょうゆの贈答には樽詰めのものを贈る」という習慣と、「しょうゆの容器は樽である」という観念が、当時の人々の間にあったと思われます。
(キッコーマン株式会社 所蔵)

当社創立当初に発売された陶器の1.8Lしょうゆびんです。陶製であったため壊れやすく、また、重いという難点もあって、普及しませんでした。
(キッコーマン株式会社 所蔵)
(5)ガラスびん
日本において5世紀の古墳時代に大陸からガラスの製法が伝来して以来、ガラス製品は製造されていました。しかし、明治時代になるまでは容器素材としては一般化しませんでした。これは日本のガラス製造技術が大きく遅れをとっており、丈夫で実用的な製品をつくることができなかったことが要因です。ガラスびんの使用は、明治になってヨーロッパから輸入されたビールびんから始まりました。しょうゆ容器としてのガラスびんが本格的に使われるようになったのは、大正期以後です。これは、ガラスびんが自動製瓶機により安定的に生産できるようになったためです。
ガラスびんは内容物の保存性に優れ、洗浄して再利用しやすく、また透明であるため内容物の視認性に優れた容器です。環境について関心の高まっている今日、あらためて注目に値する容器です。

大正期に入って、しょうゆ問屋の国分商店が、しょうゆの大樽からしょうゆを詰め替えて販売した国分商店特製のガラスびんです。このような業者は各地に存在していたと思われます。
(キッコーマン株式会社 所蔵)

キッコーマンは、創立当時(1917年)から1.8L(1升)入りしょうゆガラスびんを販売してきましたが、その1.8Lびんに代えて、1925年(大正14年)に2Lびんを発売しました。これは、前年に度量衡法改正(尺貫法の廃止、メートル法の採用)が行われたことが契機となりました。以後2Lびんは当社のしょうゆびんとして1994年まで活躍しました。
現在では1.8Lびんが使用されています。
(キッコーマン株式会社 所蔵)

このような手ごろな量のガラスびんは、卓上用容器と保存容器を兼ねて用いられています。
卓上容器 しょうゆさし
(6)卓上容器 しょうゆさし
しょうゆさしは、主に陶磁製とガラス製のものがあります。食卓では、これまでさまざまな形態の陶磁製のしょうゆさしが使われてきました。近年では、ガラス製のしょうゆさしが普及していますが、現在でも陶磁製のしょうゆさしは、料理店や家庭で活躍しています。

江戸時代後期のしょうゆさし
現存する陶磁製しょうゆ容器としては、とても古いものです。
(後藤家資料 染付調味料入瓶 安芸市立歴史民俗資料館 所蔵)

キッコーマン
しょうゆ卓上びん
1961年(昭和36年)に誕生した150ml卓上びんです。GKインダストリアルデザイン研究所長 榮久庵憲司先生により、開発・デザインされました。この卓上びんの誕生によって、しょうゆが食卓におかれるようになりました。発売以来、ロングセラー商品となり、今日に至っております。1997年には、約400万本の販売実績がありました。1993年には、食品業界初の「グッドデザイン賞」を受賞しました。また、この卓上びんは広く海外でも愛好されています。写真右側の卓上びんは、ヨーロッパで生産・販売されている卓上びんです。

しょうゆさし
陶磁製とガラス製のしょうゆさしがあります。いろいろなデザインのかわいらしいしょうゆさし。そこに置いてあるだけでも「和」の雰囲気が広がります。「今日は和食でおもてなし」−テーブルの脇役として、食卓に彩りを添えてくれます。
(野田市郷土博物館 所蔵)

キッコーマン
しょうゆ卓上びん
1991年に発売された100mlしょうゆ卓上びんです。このびんも150ml卓上びんと同時にグッドデザイン賞を受賞しました。
容器と栓は密接な関係にあります。栓は容器の入り口を塞ぐものなので、栓の性能により、容器の保存性能が左右されます。ここでは、いろいろなしょうゆ容器の栓をご紹介します。




各種容器によるしょうゆの保存試験
しょうゆの色の変化
しょうゆは、酸素と温度により劣化します。新鮮な濃口しょうゆは赤むらさきの鮮やかな色彩ですが、酸素には特に敏感で、酸化すると黒く変色してしまいます。今回、容器の材質によりしょうゆの保存性に違いがあるか、評価してみました。実験には720ml(4合)の容器(PETボトルは500ml)を用い、濃口しょうゆをそれぞれ720ml(PETボトルには500ml)ずつ詰め、30℃の恒温室に約1ヶ月間保存しました。
実験結果
現在使われているガラスびんやPETボトルではしょうゆの色の変化が少なく、一方、陶磁器(徳利・コンプラ瓶)は1ヶ月で黒く変色(劣化)してしまいました。また官能評価の結果からも、明らかに徳利とコンプラ瓶に保存したしょうゆは、PETボトルやガラスびんのそれよりも劣化していることが確認されました。
結論
PETボトルやガラスびんはしょうゆの保存性に優れていましたが、これに対し、陶磁器は酸素が透過しやすく、しょうゆの保存性が劣っていたことがわかります。
まとめ
今日私たちの身の周りには、陶磁器やガラス容器が普及していますが、その一方で、私たちはその歴史や作り方、さらにはしょうゆ容器としての使われ方について、それほど気にかけたことはなかったのではないでしょうか。今回の展示から、食文化の重要な要素である「容器」について、理解を深めていただけたことと思います。 陶磁器・ガラス容器は、人々の食生活に欠かせないしょうゆの容器として活躍してきました。前回の展示でご紹介した「樽」は、近年ほとんど使われなくなりましたが、陶磁器・ガラス容器は現在に至るまで、私たちの食生活の中で広く使用されていることがお分かりいただけたことと思います。
明治以後、ガラス容器が普及していく中で、しょうゆ容器にもガラスが用いられるようになりました。ガラス容器は、食品の保存性や内容物の視認性という点で優れた容器であることが、その主な要因であると考えられます。しかし、陶磁器は材料や焼成温度を変えることによって陶磁器特有のデザインや色が可能であり、そのことが、現在までさまざまな食器として、さらにはしょうゆの卓上容器としても広く愛されている理由となっているのでしょう。
ガラス容器が再利用できることは周知のことですが、陶磁器もそうでした。江戸時代では、陶磁器は何度も繰り返し使用され、割れたときにも「焼きつぎ屋」といわれる職人によって修理し、再利用されていたのです。
ひとつひとつに味わいがあり、再利用できる陶磁器・ガラス容器は、先人が私たち現代人にもたらしてくれた大いなる発明といえるでしょう。環境問題の解決が人類にとって重要な課題となっている今日、陶磁器・ガラス容器の見直しがなされてもいいのではないかと思います。
陶磁器
- 1『瀬戸市歴史民俗資料館 研究紀要 IV』(瀬戸市歴史民俗資料館 1985年)
- 2『美濃古窯研究会会報 No.3 美濃の古陶』(美濃古窯研究会 1989年)
- 3「近世「徳利」の諸様相 - 瀬戸・美濃産灰釉系徳利をめぐる形式学的考察 -」長佐古 真也(江戸遺跡研究会編『江戸の食文化』吉川弘文館 1992年 所収)
- 4「コンプラ瓶」田崎 明(『波佐見文化』第7号 波佐見町文化協会 1994年所収)
- 5「波佐見焼の流れ - 江戸時代を中心として - 」田崎 明(『目の眼』No.214 里文出版 1994年 所収)
- 6「波佐見町内古窯跡群の調査成果 - 1990年~95年の調査成果を中心として -」中野 雄二(『世界・炎の博覧会 波佐見青磁展・くらわんか展』世界・炎の博覧会波佐見町運営委員会 1996年 所収)
- 7『土と炎 - 九州陶磁の歴史的展開』(佐賀県立九州陶磁文化館 1996年)
- 8『通い徳利 - 暮らしのやきもの』天理大学附属天理参考館 編(天理大学出版部 1997年)
- 9『とっくりのがんばり - 貧乏徳利は呑ん兵衛の味方』興倉 伸司・内藤 忠行(紀伊国屋書店 1998年)
- 10『波佐見焼400年の歩み』(波佐見焼400年祭実行委員会 1999年)
- 11「近世都市江戸の「通い徳利」について」池田 悦夫(『法政考古学』第25集 1999年 所収)
- 12「美濃「高田徳利」における型式学的分類の定点」池田 悦夫(『法政考古学』第26集 2000年 所収)
- 13「波佐見」中野 雄二(『九州陶磁の編年 - 九州近世陶磁学会10周年記念』九州近世陶磁学会 2000年 所収)
- 14「肥前陶磁の流通- 東海地方を中心として -」仲野 泰裕(『国内出土の肥前陶器 - 東日本の流通をさぐる』九州近世陶磁学会 2001年 所収)
ガラス容器
- 1『ガラスの辞典』(朝倉書店 1985年)
- 2『ガラスびんの文化誌』現代グラスパッケージング・フォーラム(講談社 1988年)
- 3『びんの話』山本 孝造(日本能率協会 1990年)
- 4『ガラスと文化 その東西交流』由水 常雄(日本放送出版協会 1997年)
- 5『人の心とものの世界 - 卓上醤油びんから秋田新幹線「こまち」まで -』榮久庵 憲司(ほるぷ出版 1997年)
- 6『幕の内弁当の美学 - 日本的発想の原点 -』榮久庵 憲司(朝日文庫 2000年)
- 7『世界ガラス工芸史』中山 公男 監修(美術出版社 2000年)
容器全般
- 1「醤油の容器」佐伯 昌俊(『日本醸造協会雑誌』第74巻 第6号 1979年 所収)
- 2『食品包装便覧』佐伯 昌俊 ほか執筆(日本包装技術協会 1988年)
- 3「国境を越えた日本食 - しょうゆの国際化 -」浜野 光年(『Vesta』第39号 味の素食文化センター 2000年 所収)
- 4『キッコーマン株式会社八十年史』キッコーマン株式会社社史編纂室 編(キッコーマン株式会社 2000年)
- 5「醤油の容器とその変遷」桑垣 伝美(『包装技術』平成13年1月号日本包装技術協会 2001年 所収)
- 6「国際食文化研究とパッケージ」浜野 光年(日本包装技術協会主催第74回 パッケージデザイン懇話会講演 2001年2月)
取材協力(五十音順)
- 愛知県陶磁資料館(愛知県瀬戸市)
- 安芸市立歴史民俗資料館(高知県安芸市)
- 伊藤 輝雄 氏(千葉県野田市)
- 伊万里市郷土資料館(佐賀県伊万里市)
- 株式会社プラザサンルート(千葉県浦安市)
- 岐阜県陶磁資料館(岐阜県多治見市)
- 九州陶磁文化館(佐賀県有田町)
- 成富本店(佐賀県有田町)
- 野田市郷土博物館(千葉県野田市)
- 波佐見陶芸の里(長崎県波佐見町)
監修
- 佐伯 昌俊(包装管理士)
- 浜野 光年(包装専士)

















