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-よみもの-

第8回 一般の部(エッセー)優秀賞

ひみつの味

いまから六十年近い前の小学四、五年生のときに、母が虫垂炎で入院した。

父は肺結核で入院療養中であったので、母子家庭状態から兄弟四人の子子家庭になった。

ある日、わたしが母の着替えを持っていく順番になった。昼ごろに病院に着くと、消毒液の臭いではなく、おいしそうな匂いがただよっていた。

病室に入り、ベッドで食事をしていた母のそばにいって、トレイに目を吸い寄せられた。おかずの皿に、丸い青唐辛子を半分にしたなかに、ひき肉が詰まっているのがあったからだ。はじめてみるたべものであった。おいしそうな匂いはこれなのかとおもった。

わたしがどんなようすをみせたのかはわからないが、容易に想像はできる。

「ヨッちゃん、これ、たべるか?」

と、母がすぐにきいてくれたからだ。

「うん、たべる」

さっそく、口に入れた。瞬間、あまりのうまさに、目の前がパッとあかるくなった。

「ええなあ、おかあちゃんは。毎日、こんなうまいのが、たべられるんやさかい。ぼくも病人になりたいわ」

たべ終わってから、おもわずもらしてしまった。

母がどう答えたのか憶えていない。

「そんなことをいうたら、病気のおかあさんがかわいそうやろう」

となりのベッドのおばさんに、やさしくたしなめられたのは憶えている。

「みんなにも、あげられたらええんやけど、もうあらへん。そやさかい、ふたりだけのひみつやで」

母に念を押され、わたしはこっくりをした。

病院でたべたのが、ピーマンの肉詰めとわかったのはおとなになってからである。

小学生のころ、ピーマンになじみはなく、青唐辛子だとおもっていた。病院食だからうす味で、ひき肉もそれほど上質ではなかったであろうし、冷めてもいたとおもう。それなのに、いまだにあのおいしさ以上のたべものとめぐり合っていない。

結婚してから妻にリクエストして、ピーマンの肉詰めをよくつくってもらった。こどものころと比べると、ピーマンもひき肉も上質で、できたてをいただいてきたが、目の前がパッとあかるくなった、あの胸のときめきはない。

胸のときめきはなくても、妻のつくってくれるピーマンの肉詰めは好物である。還暦をとうにすぎているので多くはたべられないが、至福を味わっている。

ピーマンの肉詰めが、十年前に亡くなった母とふたりのひみつの味であるのを、妻に話していない。たべるたびに、あのころの母と自分とむかい合っていることも。

INFORMATION

第8回 一般の部(エッセー)優秀賞
「ひみつの味」
村田 好章 むらた よしあき さん(滋賀県・68歳)
※年齢は応募時

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