
Readings
-よみもの-
第16回 一般の部(エッセー)優秀賞
世界に一つだけのスープ
ある日、父が小さなメモ書きを見ながら朝から台所に立っていた。
私は驚いた。父は料理を一切しない人だからだ。電子レンジの使い方もわからず、料理は母に任せっきりの父。「得意料理はゆで卵」と豪語する父に「お湯に入れるだけ!」と家族から総ツッコミが入ったこともあった。そんな父が、朝から玉ねぎやトマトを切っている。
料理に慣れていないため、具材を切るだけでもとても時間がかかっていた。「玉ねぎで目が染みるから切るのに時間がかかっているだけ、ここを乗り越えればすぐにできるさ。」母はそんな父の姿に呆れながらも微笑ましく眺めていた。
そして夜になってようやく、その超大作は完成した。
それは、初めて見る料理だった。一見スープカレーのように見えるが、スープカレーにしては具材が少なく、お肉の塊とコーン、たまねぎがたくさん浮いている。父はシチューと言ったが、私にはスープに見えた。
ゆで卵以外で初めて食べる父の料理。どんな味なのか少し不安になりながらも一口食べると、不思議な感覚に包まれた。カレーでもシチューでもない、酸味もありながらもまろやかで、最後にスパイスを感じる。時間をかけて煮込んだ甲斐があって、お肉も溶けるように柔らかく美味しい。そして何より、今まで食べたことがない味なのに、懐かしかった。
「おふくろが、昔つくってくれたんだ。」
夢中になって食べている中、父が突然呟いた。
私は全てに納得した。祖母はついこの前亡くなったからだ。
「貧しかったからな。おふくろのはやっすい肉だったと思うけど、当時は御馳走だったな。」
父はよく、祖母が女手一つで自分と妹を育ててくれたこと、とても貧しかったけれど、幸せだったことを話してくれた。祖母はいつもニコニコしていて、祖母に会うたびに私は父が温厚である所以を感じていた。お葬式にもたくさんの人が来て、皆口を揃えて「最期まで笑っているね、可愛いね。」と言った。「大変なことの方が多かった人生だったと思うけれど、ずっと強くて優しい母だった。」と叔母は言った。
そんな祖母が、特別な日に父につくったスープ。それを今度は父が私につくってくれたのだ。
「認知症になる前に、レシピを書いてもらっていたのを思い出してね。」
そういって見せてくれたのは、レシピがぎっしりと書かれた祖母の手書きのメモだった。
このレシピも、メモに書かれたこの字も、父にとって大切な思い出なのだろう。祖母が亡くなった今、父がどんな思いでこのスープをつくったのか、想像に難くなかった。
メモに大きく書かれた「インディアンコーンシチュー」というワードは、検索してもレシピはおろか、名前自体ヒットしない。まさに、この世で一つしかないおばあちゃんの味。父に、母の愛情を思い出させてくれる味。今度は私が繋いでいこう。
「お父さんおかわり!」
胸にこみ上げたものを誤魔化すようにおかわりを頼んだ。
私と父、父と祖母、家族を結ぶこのスープ。
おかわりの2杯目は色々な感情のスパイスによってほんの少しだけしょっぱかった。
おばあちゃん、ありがとう。
INFORMATION
「世界に一つだけのスープ」
中村 麻佑(なかむら まゆ)さん(静岡県・26歳)
※年齢は応募時
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