
Readings
-よみもの-
第16回 一般の部(エッセー)優秀賞
カチカチの棒鱈と、柔らかな記憶
「赤ちゃんができました」
電話で伝えると、祖母は震えた声で「バンザイ」と叫んだ。それが、最後の会話になるなんて。身重で葬儀にも参列できず、未だ実感が湧いていない。
遺品には、何冊もの「レシピノート」があった。祖母はいつでも、厨房に立っている人だった。農家である祖父母宅には、畑で取れた旬の野菜が並んでいた。「田舎料理だから子供には物足りないでしょう」と祖母は言ったが、私にとっては何よりのご馳走だった。
正月のおせちも1品1品が手作り。その中でも、「究極のスローフード」と、父が気に入っていたのが、棒鱈の煮付けだ。幼少期には美味しさが分からなかったが、あまじょっぱさの奥で噛むほど深まる魚の旨みが、成長と共に癖になっていった。
社会人になり、祖母の手料理を食べられない日々が続いた。「良い人いないの」と心配する祖母に、笑って誤魔化し続けた20代。東京で仕事に生きた私がようやく授かった赤子を抱くことなく、祖母は逝ってしまった。あと少し、間に合わなかった。
ボロボロになったレシピノートをめくると、祖父母と囲んだ食卓が蘇る。鉛筆で書き込まれた説明はどの献立も、とてもシンプルだった。棒鱈のページは、たったの2行。
「乾燥させた鱈を水で戻し、だし汁で茹でる。
砂糖・酒・しょうゆ 各大さじ3杯で弱火で煮る。」
なんだ、これなら私にもできそうじゃないか。そう思って乾燥鱈を探すが、これがなかなか見つからない。やっとこさ通販で取り寄せたが、何時間煮ても鱈は柔らかくならない。カチカチの物体からは魚の臭みと、砂糖の焦げた匂いがした。日頃「15分で作れるレシピ動画」にしか馴染みがない私には、道のりはほど遠いようだ。
夕食の後片付けを終え食卓で一人、ノートに書き込みをする祖母の姿を思い出した。食べた家族の反応を見ながら調味料の調合を二重線で消し、微修正する。ごちそうを作ってばかりで大変じゃないのと、祖母に尋ねたことがある。「あなたの曾祖母さんも、台所にこうして、ずっと立っていたの。食べてくれる皆の顔を思い浮かべながら作るのは、とっても楽しいのよ」と笑っていた。
まもなく私は母となる。育児と仕事の両立に、一分一秒を切り詰めた日々を送るのだろう。家事の時短や外注が主流となりつつある時代。スキンシップや言葉でのコミュニケーションも無論大切だが、食べる人を想いながら台所に向かう背中からも、伝えられる愛情があるのだと思う。
あの時もっと祖母の隣で、料理を教わっておけばよかった。後悔は尽きないが、遺されたノートのおかげで、挑戦の糸口はまだ残されている。子供とお節を囲む正月まで、私には時間がある。相変わらずカチカチで魚臭い鱈を煮詰めながら、厨房に立つ祖母の背中を想い、産まれてくる我が子の笑顔を想う。
INFORMATION
「カチカチの棒鱈と、柔らかな記憶」
伊藤 まりな(いとう まりな)さん(東京都・33歳)
※年齢は応募時
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