Readings

-よみもの-

第16回 一般の部(エッセー)キッコーマン賞

必殺カレー

「鶏がら売ってるのは、精肉店?」

 今から一〇年ほど前の話だが、なぜか息子は「鶏がらスープ」にこだわっていた。

「何グラムから売ってもらえる?」

 当時、二十歳の大学生。もっと他に、興味があってもよさそうなのに、なぜ「鶏がら」? 一七歳の時に「ASD」と診断されたとき、

「勉強は、あきらめてください。好きなことしかしませんから」

と医者から言われてはいたけれど、まさか「鶏がら」とは……。

「鶏がらスープの素で、じゅうぶんだよ」

と言ってみた。けれども、彼は、

「う~ん」

と言ったきり、黙ってしまう。これは「それじゃ、ダメだ」の「う~ん」だ。自分の気持ちをうまく伝えられない彼なりの主張。

 こうなったら私の話など、耳に入らない。

「鶏がらは、何時間煮込む?」

「ネットでも、鶏がらは買える?」

 しばらく「鶏がら」系の話が続いた。

 

 数か月ほど経った頃、今度は、

「カレーの肉は、何がいい?」

と言い出した。

「鶏肉かな? タモリさんがそう言ってたよ」

 息子はけっこう、タモリさんの言葉を信用する。「やる気のある者は去れ」というタモリさんの言葉が特に好き。やる気があっても、そう見えなくて、小さいころから、叱られまくった彼にとって、この言い方は、胸のすく思いがするのだろう。

 彼は、すんなり納得し、「カレーは鶏肉」とインプットしたようだ。

 それからしばらく、スマホで「スパイス」の情報収集に励んでいた。

 ある週末、

「一緒に買い物に行く」

と言い出した。なんだか、嫌な予感。

 案の定、彼は、私の持つスーパーのカゴに、色んなスパイスを入れ始めた。ジンジャーパウダーやシナモンスティック、ローリエ、乾燥赤唐辛子。そして、市販のカレールー。

「カレー、作るの?」

「うん」

「カレールーだけでも、大丈夫だよ」

 スパイスはどれも値段が高かった。しかも、余っても、絶対使わないスパイスばかり。できるなら、買わずに済ませたかった。しかし、息子は、

「う~ん」

 彼のスパイスへの情熱は、そう簡単には消え失せない。そして、とどめに、「丸鶏」をカゴに入れた。

「え? まるごと?」

「カレーの出汁にする」

 「鶏がら」から「丸鶏」にバージョンアップ!

 次の日は、日曜日。明るいうちからキッチンを占領し、何時間も、鍋の前に立っていた。

弱火で鶏を煮込み、丁寧にアクを取り除く。何度も何度も繰り返しながら、じゃがいもの皮をむいたり、ニンジンを切ったり、カレーの仕込みも抜かりない。

 夕飯づくりを免除された、私にとって幸せでぜいたくな時間。

 夕方、お手製のカレーライスを家族の前に並べながら、息子が言った。

「誕生日だから」

「え、だれの?」

 ふだん、めったに目を合わせない息子と目が合った。え、私?

――ズキューン

 ハートを射抜かれた。たしかに、もうすぐ私の誕生日だ。

 一生忘れない味。じっくり、ゆっくり時間をかけた、こだわりのある、息子のような、深くて優しい味だった。

INFORMATION

第16回 一般の部(エッセー)キッコーマン賞
「必殺カレー」
斎木 圭子(さいき けいこ)さん(京都府・62歳)
※年齢は応募時

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