Readings
-よみもの-
第17回 一般の部(エッセー)優秀賞
いつもがそばにあるうちに
夕方5時前になると、近所の小学校からいつものメロディーが聞こえてくる。
♪遠き山に日は落ちて……
ちょうどそのタイミングで、我が家に『もうひとつのいつも』が聞こえる。今日も、耳を澄ます。
そろそろかな?
待っているのは、♪ピコン--LINEの通知だ。
今年で85歳になる母が、晩ご飯をラインで知らせてくる。そんないつもが、もうかれこれ7年続いている。
始めた当初、母はスマホに悪戦苦闘していたが、今では、すっかりお手のものだ。ラインを開けば、「今日のごはん」という幸せが私の目に飛び込んでくる。
「筍ご飯と、鰆焼いたよ」と春のライン。
「ビーフシチュウにしたよ」と冬のライン。
どれもこれも画面越しなのに、いい匂いがしてくる。
高齢になっても日々の食事は自分で作る。食べることと生きることは強い糸でつながっている--私はそう母から教えられてきた。
3か月前、こんないつもが一変した。
持病のヘルニアが悪化し、母は脊柱管狭窄症を発症した。痛みがきつく、家の中でも杖を使うようになった。キッチンに立つ姿は以前のようにきびきびではなく、細々と、休み休みになった。
我が家から実家までは、自転車を飛ばせば20分ちょっとの距離である。食事を作って届けることは出来る。たまには宅配食を使ってみることも勧めた。でも母はどっちにも首を縦にふろうとはしない。
「できることは最後まで自分でしたい」
毎日の食卓は、母の気力の背骨なのだろう。
今日のラインはいつもより来るのが遅く、そこにあったのはたった一行だった。
「切り干し大根を焚くよ」
昔の食卓が一瞬でよみがえった。
切り干し大根の隣は、いつだって大好きな母のコロッケ。両方とも私の一番の大好物だった。
俵型のコロッケはほくほくして、ぴりっとコショウが効いていた。
「ソースも、ケチャップもいらないよ」
母は食べる前にいつもそう言うのがお約束だった。揚げたてのコロッケを齧り、甘めの切り干し大根を一緒に頬ばる。私にとって、コロッケと切り干し大根の煮物は、いつもワンセット。ずっと隣にいてほしいのだ。
じゅわっ……口の中に幸せの記憶が溢れた。
「今日うちコロッケよ、待ってて」
そう私は返事を書いた。
本当は……まだ晩ご飯の支度など、何一つしていない。でも、どうしても私はコロッケを届けたくなった。
切り干し大根とコロッケ。昔を思い出して、母に笑ってほしかった。
ジャガイモをゆがき、一心につぶす。玉ねぎとひき肉をバターで炒めて、混ぜ合わす。忘れずコショウは多めに。
出来上がったら、大急ぎで自転車で届けに行こう。
母の、甘い切り干し大根の煮物をわけてもらおう。
『いつも』がそばにあるうちに……ふと浮かんだ言葉に、胸の奥で小さくトクンと音がした。
INFORMATION
いつもがそばにあるうちに
中村 美香(なかむら みか)さん(兵庫県・58歳)
※年齢は応募時
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