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-よみもの-

第5回 入賞作品

主夫奮闘記

「ごちそうさま」子供達が食事を終えた。子供達からは「美味しかった」の言葉は無かった。

私が主夫になって三ヶ月経とうとしているのだが、料理に関しては毎日が苦戦しているのが現実なのです。

妻が他界してからの三ヶ月、悲しむ暇などなく、三人の子供達との慌ただしい生活の中で、私は一つの目標を立てたのです。それは子供達から自然に「美味しい」の一言を言ってもらうための料理。

私から「おいしい?」と聞くと「普通に、美味しいよ」とは返答はあるのですが「普通に・・・」ってと思い、主夫奮闘記が始まりました。

私は妻が他界するまで、お米すら研いだことすらなく携帯サイトを見ながらの料理。初めの頃は玉子焼きを焼いてもスクランブルエッグになり、目玉焼きをやっても水を入れる事を知らず、黄身までがカチカチ。とても人様に出せる物ではなかった。

子供達が一番好きな、おかずは妻の特製ハンバーグ。この三ヶ月で何回作っただろう。

初めて作った時のハンバーグは確か一番下の子が一口食べて「ごちそうさま」と言ったのを覚えている。

四十九日が過ぎた頃、亡き妻の実家に家族四人で遊びに行った時、妻の母が夕飯にハンバーグを作ってくれたのだが、子供達が口にほおばると自然に「美味しい」という言葉が口に出たのです。

私には「美味しい」=「ママの味」に聞こえ妻の母に作り方を聞き何度も通って勉強しました。その時、私の中では妻がライバルにも思えました。

先日、我が家で再度ハンバーグを作りました。今は四人家族なのですが食卓には五つのハンバーグを並べ、子供達から「何で五個 ?」と聞かれ、私は「ママにも食べてもらいたくて作ったんだよ」と応え全員で食事をしました。子供達から初めて「美味しい、ママのといっしょ」と言って貰え、妻に認めてもらった感じにさえなりました。

人は大人も子供も美味しい記憶は一生残り母から妻へ、妻から私へ、そして私から子供達へと確かにバトンタッチできたと確信しました。まだまだ料理に未熟な私が、偉そうな事は言えないのですが二つ目の目標ができました。それは「妻を越えた食卓」。

妻の味の記憶から私が進化させ、子供達に伝える事ができれば、妻も安心して見守ってくれることでしょう。

さぁ、主夫奮闘記・第二章スタート。

INFORMATION

第5回 入賞作品
「主夫奮闘記」
佐藤 哲也さん(千葉県・42歳)
※年齢は応募時

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