
Readings
-よみもの-
2023年度 特別賞
僕の弁当は二合飯
僕の弁当は二合飯だ。白いご飯が「どうだ。食いやがれ。」というくらい入っている。お米一粒一粒がこちらを向いて、にやにや笑っているように見えてくる。二合もの量になると、おなかの中に入れるのも一苦労だ。お肉についたタレをつけても、タルタルソースを乗せても、すぐに白米の味が口いっぱいに広がってくる。野球部のコーチからの「食べるの練習の 1 つだ。」という指導の通り、大事なことだと分かっているのだけれども、二合飯だ。入らないものは入らない。一度両親の前で「少しでもいいから減らしてくれないかな。」と相談したことがある。「じゃあ、一度自分で弁当箱に入れるだけでいいからやってみれば。」
ということになり、父と一緒に弁当を作ってみた。
から揚げやソーセージをおかずコーナーに並べ、横にお野菜をおく。レタスの上にはスパゲッティーをすべりこませ、母の作ってくれたフワフワの卵焼きをこれまたふわっと置く。さあ、ここからが勝負。おかずとは別の容器に、ご飯様の登場。僕の気持ちとしてはおかずコーナーの横のスペースにご飯といっしょに入れたら、いいバランスなのにと思っていた。皆が持っているように、ラップに巻いたおにぎりを2個ぐらいだって十分だ。中には鮭やたらこ、ツナマヨが入っていれば最高じゃないか。でも、僕のお弁当は二合飯。つぎつぎと白いご飯が、もわもわと湯気にくるまれながら入っていく。まるで学校の全校集会で自分のクラスの場所に並ぶ僕たちのようだ。憎らしいくらい、つやつやのお米。「今食べたらおいしいだろうな。この横にあるノリにちょとだけくるんで、パクっと食べたら。」想像したら、口の中が唾液でいっぱいにになった。想像の中では、おかずの味は思いつかない。ご飯の甘くて優しい味だけが想像できた。
「どうだ。自分でお弁当を作るのを手伝った気分は」父からなげかけられた言葉に「あ、そうか。」という気持ちが出てきた。それは作ってくれる人、完成してくれる人の気持ちだ。僕のことを考えて少しでも体を作ろうと良いものを入れてくれる母や父の気持ち。僕は当たり前のように弁当箱を開けておはしを握る。グラブと同じぐらいの重さのあるご飯を口に運ぶ。今までは「早くなくなれ。」という気持ちばかりだったけれど、これからは一口一口かみしめて食べてみよう。
でも、やっぱり二合はちょっと多いな。

INFORMATION
僕の弁当は二合飯
市村 光希(町田市立真光寺中学校1年)
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