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-よみもの-

「あなたのおいしい記憶」エッセー、作文コンテスト2017 エッセー部門優秀賞

母の弁当

「今日の弁当どうだった?」
「ふつう」
野球の練習でへとへとになって帰った私と母との日常会話。母は毎日弁当の感想を私に聞いてきた。大抵私の返答は一言。まずかったわけではない。本当のことが照れくさくて言えなかっただけで、実際は毎日弁当箱を開けるのが楽しみだった。
高校時代、部活の練習のため早朝に出る私に、母は毎日文句ひとつ言わず弁当を作ってくれた。早弁を見越して、これでもかと言わんばかりに詰められた白米、にんにくの風味が食欲を駆り立てる鶏のから揚げ、家庭菜園で収穫した野菜がふんだんに使われたサラダ。そんな母の特製弁当を、私は毎日残さず平らげた。
高校二年の頃、ベンチ入りすらできなかった私は、日々の辛い練習に嫌気が指していた。頑張っても結果が出ない。やめてしまおうかと何度も思った。そんな日の午前練習後の昼時、弁当箱を開けるとモヤモヤが一気に払拭された。
「今日は煮魚か。三日前と一緒だ」
「卵焼きの味がいつもと違う。分量間違えたのか」
そんな他愛のないことを考えていると、いつしか辛い思いは消え、自分を応援してくれる人がいることの心強さを感じた。人間は単純だ。「食べ物」と「他人からの愛情」が重なるだけで簡単に心を動かされる。やがて、グラウンドで活躍する姿を見せることで母に恩返しをしよう、と考えた。そんなことをモチベーションに、毎日の練習を我武者羅にこなした。母の弁当に支えられて。

最後の夏の大会。私たちのチームは順調に勝ち上がり、準々決勝まで駒を進めた。私はベンチ入りを果たし、レギュラーまであと一歩のところまで成長したが、これまで出場機会はなかった。しかし、いつ出番が来てもいいように、準備を怠らなかった。
試合開始のサイレンが鳴り響く。準々決勝の相手は甲子園常連の強豪校だ。試合は最後まで両者一歩も譲らない展開。あっという間に最終回を迎えた。二点ビハインド、二死走者二塁。この最高の場面で私は代打に呼ばれた。
「やっと恩返しができる」
そんな思いとともに、バットを思い切り振りぬいた。金属音とともに白球が空を舞う。手ごたえは十分。だが、大きな放物線を描いた白球は、外野手のグラブに収まった。この瞬間、私の暑い夏が終わった。
結局、活躍できなかった。母に恩返しができなかった。私はそう思い込んでいた。
「毎日弁当を作ってくれてありがとう。活躍できなくてごめん」
スタンドで応援していた母に、泣きながら心からの感謝を伝えた。すると母は「毎日弁当を作らせてくれてありがとう」と答えた。私がどんな顔をして弁当を食べているか想像するだけで、毎日が楽しかったと言う。これを聞いて、最後まで野球を続けて本当によかったと思った。

社会人となって実家を離れた今、母の弁当を食べることはもうないだろう。そう考えると寂しいものがある。しかし弁当ひとつでここまで感情が動かされ、鮮明に記憶に残るとは…。食べ物の力とは面白いものだ。

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「あなたのおいしい記憶」エッセー、作文コンテスト2017 エッセー部門優秀賞
母の弁当
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