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-よみもの-

「あなたのおいしい記憶」エッセー、作文コンテスト2017 エッセー部門優秀賞

母の弁当

今から40年以上前、私がまだ学生だった頃、当時は土曜日も午前中だけ授業があり、土曜日という事もあり給食はなく、お昼は弁当で、5歳下の弟と12歳下の妹も中学を卒業するまで土曜日は弁当だった。高校は3人供、毎日弁当だった。
そう思うと、私が幼稚園に入園してから、妹が高校を卒業するまでの延べ26年間、母は弁当を作ってくれていた事になる。
私の家は貧しく、母も色々な仕事を掛け持ちしながらでも、朝、弁当を作って持たせてくれた。その事には3人供感謝している。
ただ、母の作る弁当はかなり豪快だった。味はいいのだが、見た目が芳しくない。 いつも。そして、必ず。
いわゆる「のり弁」なのだ。ご飯の上に必ず、蓋に押し潰された形でおかずが一品、もしくは二品載っている。切ってない玉子焼き丸々一本だったり、鮭の切り身だったり、沢庵だったり。小学生の頃は感じなかったが、中学生になると、友人のと見比べてしまい、少し気恥ずかしく感じた。
高校生になると毎日弁当だったが、男子校だったので、気恥ずかしい感も薄れ、私自身、質より量になり、見た目も気にならなくなっていた。が、ある時友人に「お前の弁当はいつ見ても豪快だな。」と言われ「やっぱ、そうだよなぁ」と思いながらご飯をかき込んだ覚えがある。
昨年、私の中学生の子供に母が弁当を作った事があった。母には内緒で子供に「蓋を開けたら、写メ送ってくれ。食べる前に。」と頼んでおいた。やはり、子供も蓋を開けた途端、少しフリーズしたそうだ。で、写メを送ってきてくれた。笑った。今でも同じだった、ご飯の上にのりが敷き詰めてあり、その上に切ってない玉子焼き丸々一本。そして、沢庵。やるな。母恐るべし。40年前と全く変わってないとは。
今年の正月、家族が集まった時に弟と妹に写メを見せた。「そうそう、これこれ!」と母を含め皆で笑った。驚いた事に中学生になっていた妹にも、臆する事なくこの弁当を持たせていたらしい。妹は母のこの弁当に耐えかねたらしく、私の妻に弁当を作ってくれと頼み込んだ事があるらしく、妻は断り切れずに一度だけ作ったそうだ。その時、母は妹に「なんでよっ!」と言っていたそうだ。私と弟は「えーっ、なんでよっ!って何でよ?」と驚きながら「そりゃ、頼むな。」「仕方ないな。」とまた、みんなで笑った。
料理上手なお母さん。美味しくて、40年経っても家族を笑顔で一杯にしてくれるお弁当を作って来てくれたお母さん。どうもありがとう。あなたの3人子供達は本当にあなたに感謝しています。

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「あなたのおいしい記憶」エッセー、作文コンテスト2017 エッセー部門優秀賞
母の弁当
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