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-よみもの-

「あなたのおいしい記憶」エッセー、作文コンテスト2017 エッセー部門優秀賞

父の背中

私の父は亭主関白だ。口癖は「男はがまださんといかん」、熊本弁で「男は仕事に精を出さないといけない」という意味である。もちろん家の事はさっぱりで、「これクリーニングに出しといてくれ」ならまだしも、「俺の靴下どこや?」という会話もしばしばである。ましてや台所なんて立ったことがない。ひょっとしたら火のつけ方も知らないのではないか。
そんなわが家に一大事が起きた。中学生の頃、弟が1ヵ月入院することになった。母は弟に付き添い、県外の病院で寝泊まりしないといけなくなったのだ。
弟の無事を祈るのはもちろんだが、大きな心配事がもうひとつあった。残されることになった父と私で1ヵ月何を食べるか。まあ、それくらいならコンビニでもスーパーの惣菜でも仕方ないかと思っていた。ただでさえ大変な状況で、自分から何かを要望する気にはなれなかった。
だが次の日から、不思議な光景を目にすることになった。入院までに残された数回の朝、父はいつもより早く起きて、母と並んで台所に立っていた。その姿は亭主関白というより、見習いという言葉が近かった。
「インスタントじゃいかん、味噌汁くらいは作らんといかんばい」「じゃあ包丁はここでまな板はここ。豆腐は冷蔵だけんね」、「炊飯器の水はこんくらいや?」「2合ならこの線まで、あとはスイッチを押せば大丈夫」と、台所の「いろは」を教わっていた。
父は「ちゃんと朝起きられるかが一番のプレッシャー」と言っていた。仕事でどんなに帰りが遅くても、翌朝6時に台所に立たねばならないというのはかなりのものだったと思う。だが父は毎日作業着姿で2人分の味噌汁と目玉焼きを作ってくれた。父の切る豆腐は大きかったし、わかめは多かった。「今日はちと味噌を入れすぎたばい」「うん、そやね」何千回も作っている母の味にはかなわないが、一生懸命作ってくれる味噌汁はありがたかった。育ち盛りの私にいつもと変わらないものを食べさせたいと思ってくれたのだろう。年頃だった私は父の料理姿を見ない振りをしていた。いつも威張っている父が、背中を丸めて必死で母の代わりをこなそうとする姿は新鮮だった。毎日少しずつ変わる味噌汁を普段より味わって食べるようになっていた。
無事に弟が退院し、いつものわが家に戻れることになった。母からは「お父さん、1ヵ月家事お疲れさま」と労いの言葉があった。「おう、大変だったぞ」と言う父には安堵の表情と達成感があった。1ヵ月ぶりの笑顔だったろうか。後にも先にも父が台所に立ったのはこのときだけだが、父の料理している背中と味噌汁の味は私の懐かしい記憶となっている。

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