
Readings
-よみもの-
「あなたのおいしい記憶」エッセー、作文コンテスト2017 エッセー部門優秀賞
鰯
小学生の私はお腹が苦い鰯が嫌いだった。
住んでいた釧路の夏は霧が多く、気温が低い。
秋になると空気が澄んだ晴れた日が楽しみで高い空を見るのが好きだった。
学校から帰宅し、ランドセルを部屋に置くとチャイムが鳴った。
急いでインターホンを取ると家の向かいに住んでいた村上さんのおばさんだった。
おばさんはいつものダミ声で
「バケツ、家にあるバケツ全部持ってきて!」
母と急いでバケツを持って行く。
母と私は目を丸くした。ダンプの荷台には鰯がいっぱい溢れていた。
村上さんのおばさんとおじさんは夫婦でダンプの運転手をしている。
「運ぶ途中でこぼれた鰯をもらったから好きなだけ持っていきな。」
母と私はいっぱいの鰯に驚いて呆然としていると、村上さんのおばさんは
「ほら!鰯が弱るから!」
母と私はバケツに鰯を慌てて入れた。
「そんな上品な量じゃダメさ!」
村上さんのおばさんは持っていったバケツ全部に溢れるほど鰯を入れ、笑いながら
「干して焼くと美味しいから!」
と教えてくれた。
家に持ち帰り、バケツいっぱいの鰯を前に
母と顔を合わせて思わず笑った。母もこんなにいっぱいの鰯を見たのは初めてだと。
「さて、大量の鰯をどうしようか。」
母が困った顔をしたので
「村上さんのおばさんが教えてくれた通りに食べてみたい。」
とリクエストした。
母は丸々と太った鰯を洗い、目に棒を通し、庭の物干し竿に鰯をぶら下げた。窓を開けると物干し竿の端から端までキラキラと風に揺れた鰯がぶら下がっている。私はなんだか愉快な気持ちになった。
「猫に食べられないかしら。」
母が心配したのでもう一度窓から鰯を覗くと飼っていた猫が物干し竿にぶら下がっていた。鰯を食べようと塀から物干し竿に渡り、足を滑らせたらしく、鰯とぶら下がりながら鳴いていた。母と爆笑した。
翌日の晩御飯は鰯だった。父が美味しそうに食べている。嫌いな鰯はとても美味しそうに見えた。背中をガブッとかじると油がジュワッと出た。美味しくて勢いよく三匹食べた。
「この寒い風が鰯を美味しくさせるのよ。」
母は嬉しそうに言った。
美味しいと思えたのは自分が関わったから。優しい村上さんのおばさんがくれたから。母が寒い中、一手間掛けて干してくれたから。飼い猫が物干し竿にぶら下がったから。そこに笑いと優しさがあったから。食べることは生きること。ごはんを作るのは人を思う気持ち、愛情を伝えること。母になって、大人になって気が付いた。鰯はとても美味しいと。
INFORMATION
鰯
作・社員
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