
Readings
-よみもの-
「あなたのおいしい記憶」エッセー、作文コンテスト2020 エッセー部門優秀賞
叔母のお弁当
中学1年生の頃、お弁当の時間は私にとって楽しい時間ではありませんでした。
通っていた中学では給食がなく、ほとんどの生徒は母親の作った手製のお弁当を食べていました。
しかし私は父子家庭だったため、毎週月曜日に父から1週間分の食費として3,000円をもらい、学校で弁当を注文してそれを毎日食べていました。学校の弁当はプラスチック容器に入ったいわゆる市販の弁当で、これを食べる生徒はほとんどいませんでした。
思春期ならではの人と違うことをしたくないという恥ずかしさ、家庭のお弁当への羨ましさと憧れが入り混じった気持ちで、弁当を黙って食べていました。羨ましく思いながらも、男手一つで仕事と家事をこなしてくれる父を思うと、お弁当をつくってほしいとはとても言えませんでした。
中学2年の頃でした。叔母がなんとなく私の気持ちを察してくれたのか、「節約にもなるし、お弁当作ろっか?」とお弁当作りを買って出てくれました。父の妹である叔母は、私が小学3年の時に両親が離婚してから、よく家に来て料理を振る舞ってくれており、私にとっては母親のような存在でした。
そんな叔母のはからいで、憧れの家庭お弁当生活が始まりました。叔母は、毎朝7時前に車で私の家まで、お弁当を届けてくれました。
昼休みに弁当を食べ、下校の帰りに叔母の家に寄り、弁当箱を返す。そしてまた朝届けてもらう。そんな生活を叔母は卒業するまでずっと続けてくれました。
中学は野球部に所属しており、ハードな練習にも耐えられるよう、叔母はランチジャーの大容量タイプの弁当箱を用意してくれました。時には重い弁当箱で通学することに愚痴をこぼす私に、「今は成長期なんだから、たくさん食べて大きくなりなさい。」と激励してくれました。
高校ではラグビー部に入り、さらに身体を大きくするために、通常のお弁当に加えて休み時間用のおにぎり2個を毎日欠かさず作ってつくってくれました。おかげで、ラグビー選手として必要な大きな体を作ることができ、怪我も少なく大学までラグビーを続けることができました。
大学入試の間際には、風邪を引かないようにと栄養バランスを考え、野菜をたくさん入れてくれました。予備校に通っていたため、帰りに弁当箱を届けるのが夜22時を過ぎることもありましたが、一切文句を言わず、私の受験勉強を応援してくれました。
私が高校を卒業する時、叔母が1冊のアルバムを私にプレゼントしてくれました。その中身は中学2年から高校卒業までの5年間、欠かさずに作ってくれたお弁当の写真集でした。写真は1,000枚以上あり、写真を見て叔母の私に対する愛情を感じ、嬉しい気持ちと幸せな気持ちで胸がいっぱいになりました。
今でもそのアルバムは私にとってとても大切な宝物です。普段は照れ臭くて、直接なかなか言えないけれど、この場を借りてありがとうと伝えたいです。
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叔母のお弁当
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