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-よみもの-
「あなたのおいしい記憶」エッセー、作文コンテスト2020 エッセー部門優秀賞
彼らの食卓
夫も息子もまだ眠る土曜日の明け方。聞きなれたエンジン音が遠ざかるのを待って表に出た。
(お義父さん、またこんなに…)
玄関先に置かれた包みをひらくと、季節の彩りがこぼれた。緑と赤の万願寺に、まだ土のついた海老芋、坊ちゃんかぼちゃ。新聞紙の中には大粒のむかごまで。
夫の父が自営業の傍ら趣味の畑でつくる野菜を持ってくるようになったのは、来月1歳になる息子が産まれた頃からだ。
毎度ランダムに届く野菜は形こそ無骨だが、素材の味が濃く、驚くほど美味しい。それらを余すことなく旬の献立に変身させるのは少々骨の折れる作業だが、楽しくもある。万願寺の揚げ浸しに、かぼちゃは鶏そぼろあんで、半分はくりぬいてグラタンにしよう。むかごはそうだ、バターで炒ってわたしの晩酌のお供に。下戸の夫には勿論内緒だ。
などと台所で考えていると、
「今更なんだってんだろな」
帰宅した夫が怪訝そうに言った。夫と義父はかなり折り合いが悪い。一代で起こした事業に没頭する余り家庭を省みず、3年前に夭逝した義母とも仮面夫婦だった義父とは、思春期以降口をきいた記憶がないという。だがその夜は夫がこんなことを口にした。
「一度だけ…小3のときかな。親父がサッカーの試合観に来たんだ。仕事抜けてきたのか、ゼエゼエ肩で息してた。途中ひどい土砂降りで、おまけにボロボロの負け試合でさ。でも親父が来てくれた、それだけでばかみたいにうれしかったな」
「お義父さん、待って」
翌週、早めに表に出て、足早に立ち去ろうとする背中を呼び止めた。自分でも思いがけない行動だった。
「たまには上がっていかれたらどうですか」
「いや、ええわ。豪が嫌がるやろ」
「そうですか…」
「アイツ、元気か。櫂くんも大きくなったんか」
「ふたりともとっても元気。彼、頑張って良いパパしてますよ」
「…そうか」
流れる気まずい沈黙。
「あの。お野菜、いつも美味しく頂いてます。最近は息子の離乳食にも使うんですよ」
「…そうか」
「えっと、また来てくださいね」
「…おう」
小さくそう言ったろうか。照れ臭そうに後ろ手を振る背中に、不思議な親しみを覚えた。
「親父、また来てたのかよ」
わさび菜のお浸しに箸をつけながら、その晩夫が呟いた。
「今日さ、お義父さんと喋ったよ」
「えっ。なんて?」
「豪はどうだって。櫂も元気かって、気にしてた」
「…そっか。よくわかんねえな」
きっとお義父さんは…。そう言いかけた口をつぐんだ。わたしの役目は、変に気をまわして彼らの仲を取り持つことではなく、きっと。
「おかわり、いるの?」
「…おう」
美味いなこれ。もごもごと呟いて恥ずかしそうに茶碗を持ち上げてみせた夫の姿に、思わずハッとした。うなじから少し骨ばった背中にかけての雰囲気が、先ほどの義父と瓜二つだったのだ。びゅん、と土の匂いの風が吹いた気がして、雨上がりのグラウンドに佇むかつての父子の姿が浮かんだ。風の中のふたりは、笑顔だ。
夫も息子もまだ眠る土曜日の明け方、聞きなれたエンジン音が近づく。遠い日に不器用な父が息子に手渡せなかった想いを、わたしは今日もせっせと食卓に並べるだろう。
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彼らの食卓
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