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-よみもの-

「あなたのおいしい記憶」エッセー、作文コンテスト2020 エッセー部門優秀賞

乙女とそば

「私、好きな男の子の前で絶対そばは食べない。」そう宣言して友人は冷えたとろろそばを勢いよくすすった。七月の学食は生徒たちの熱気のせいか冷房が効かず、汗ばむ太腿の裏にスカートがはりつく。制服独特のチクチクとした感触を振り払うように私もとろろそばをすすった。「何よ急に。なんで?」と問うと、ずるずるという音が彼女の目指す可憐な乙女と程遠く、すぼめた口元が間抜けに見えて恥ずかしいからだと言う。「でもさ、そばはすすらんとおいしないやん。だから。」と笑った。
彼女は当時、同じクラスの男の子に片思いをしていた。野球部員で坊主頭がそのまま伸びた髪型の背の高い子だった。どうしてか彼女はその子の眉の形に惚れたらしかった。「へえ、恋する乙女は大変やねえ。」なんて茶化しながらまたそばをすする。
彼女は学食の「冷やしとろろそば」が大好物だった。そばは冷凍の市販品、つゆは学食らしいべったりとした甘い味で、少しのとろろと刻み海苔、わざとらしい緑色のわさびが添えられていた。この特段変わったところのないそばだが、彼女はこれをいたく気に入り、文字通り毎日食べていた。またそれを「さび抜き。海苔多め。」とカスタマイズして注文するので、学食のおばちゃんたちも彼女を見ると「今日もとろろやね。」と言うくらいだった。彼女の食べっぷりはそれは素晴らしく時そばの落語家に負けず劣らずうまそうに食べるので、つい私もつられて同じものを頼んでしまうのだった。
高校を卒業して六年近くが経ち、とろろの彼女とは昔に比べればずいぶん疎遠になってしまっていた。その彼女から結婚式の招待状が届いたのは、去年の秋ごろだった。お相手は例の眉毛の素敵な彼ではなく、その恋が終わったのちに出会ったという一つ年上の人らしかった。祝福と感動と懐かしさの気持ちの影にひっそりとお節介な心配をしてしまう私がいた。彼女は夫となる人の前でそばを食べられるのだろうか。長い結婚生活、自分の好物を夫の前で食べられないのはさぞ苦しかろう。大丈夫だろうか。
はがきを返信し、久しぶりに彼女に電話をかけてみる。出席の旨とお祝いを伝え、世間話の流れでなれそめを聞く。夫との出会いは学生時代のアルバイト先で、それというのも地元にある小さなそば屋だという。「まかないもおいしかったし、彼とも出会えたし、今考えれば良いバイトやったわ。」とほほえむ様子が電話ごしに伝わる。きっとお相手の方は、彼女の落語家のような食べっぷりをよく知っているに違いない。お節介な自分を恥じながら、楽しみにしているねと電話を切った。
結婚式に出席してからまもなく一年になる。
彼女は男の子を授かり、来春には出産だという。快速で人生を歩んでいく彼女を、なんとなく遠く感じるのはコロナ禍で会っていないせいだろうか。私の中の彼女はいつまでも「好きな男の子の前ではそばは食べない」と宣言しながらとろろそばをすする彼女のままだ。それを思い出すとき、私もどこか太腿がむずがゆく、口の中に甘いつゆの味が広がるような気がする。

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「あなたのおいしい記憶」エッセー、作文コンテスト2020 エッセー部門優秀賞
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