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-よみもの-

「あなたのおいしい記憶」エッセー、作文コンテスト2020 エッセー部門最優秀賞

最後の一杯

3年前の12月、少し早めの年末休暇をもらった私は、急いで地元・愛媛に帰省した。祖母の営む食堂の、最後のランチ営業に間に合うように。

「ただいま」
11時過ぎ、厨房の扉を開けるとすごいことになっていた。湯気と慌ただしさで、てんやわんや。確かにランチどきは忙しい店だったが、こんな様子は初めてだ。のれんの向こうに目をやると、既に満席。

「チャンポンみっつ!!」
注文を取る母の声が響く。チャンポンは店の名物で、多くのお客さんがオーダーする。1番大きい中華鍋をうんしょと持ち上げて、祖母が肉と野菜を炒め始める。麺を茹でている間にスープを仕上げ、黒い大きなどんぶりに盛り付けて完成だ。

昭和30年代に祖父母が地元で開業した、小さな大衆食堂。幼い頃から店を遊び場にしていた私は、祖父母の作るチャンポンが大の自慢だった。白濁したスープではなく、鶏ガラベースのあっさりしょうゆ味で、何と言っても具沢山なのが売りだ。キャベツ、玉ねぎ、にんじん、もやし、エビ、イカ、キクラゲ、豚肉。トッピングにネギ、焼豚、かまぼこ、しなちく。
「わあ、すごい!」
お客さんの感嘆の声を聞いた私は、まるで自分が褒められたように嬉しくなったものだ。
高校卒業後に地元を離れてからは、帰省する度に店を手伝った。
「お腹減ったやろ、チャンポンしたげよか」
ランチ営業が一息ついた頃、エプロン姿の祖母が笑って言う決まり文句。贅沢な賄いだ。私専用の、具が2割増しのチャンポンが、働いてペコペコのお腹に嬉しかった。

正午を回った。チャンポンのオーダーは止まらない。ここまでくると私が手伝えるのは皿洗いくらいしかなく、どんぶりをひたすら洗いあげていた。
途中でふと気が付いた。いつもより明らかにお残しが少なく、この日はスープまで飲み干されていることが多かった。空っぽのどんぶりの山を前に、最後の一杯を惜しむように食べてくれたお客さんの思いを感じ、胸が熱くなった。

なみなみとあった鍋のスープがあっという間に減ってゆき、13時前にチャンポンは完売。
「恵梨の食べる分、無いなってしもたね」
残念そうに祖母は言う。最後の一杯を、私に食べさせたかったのだろう。私だって食べたかった。こっそり、大きなお玉2杯分のスープをよけておくことだってできた。でも、祖父と、祖父亡き後に店を守ってきた祖母が長年積み重ねてきた味は、十分記憶に染みついている。私の自慢の味が、誰かの思い出の一杯になってくれたのであれば、それで良かったと思うことにした。
「今までようけ食べてきたけん、かまんのよ」
皿を洗いながら声を張る私に、ほうかね、と言って祖母は笑った。

「おばちゃん、チャンポンおいしかったわ!長いことありがとう!」

帰り際のお客さんが口々に、祖母に労いの言葉を掛けてくれる。店を開いて57年、これが最後の「ごちそうさま」だ。流し台に向かっている私の、どんぶりだらけの視界がにじんでぼやける。割ってはいけないと、気付かれないように濡れた頬を拭った。

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