
Readings
-よみもの-
第7回「よくしみた、いなり寿司」
あれは小6(1960年)の夏休みだった。
同じ小学校同級生の順吉と、鏡川まで泳ぎに行った。ともに母子家庭で境遇が似ていた。
夏休み中、何度も順吉と鏡川に行った。
国体に使った市営プールが鏡川の近くにあったが、5円の入場料が必要だった。
川で遊べばタダだ。しかも橋から川面めがけて飛び込むという楽しみもある。
多くのこどもはプールではなく川で遊んだ。
泳ぎに飽きたら夏日に焼かれた岩に寝そべり、昼寝した。
こどもの体力には限りがない。
麦わら帽子をかぶったふたりは、昼寝から目覚めたあとも家には帰らず、お城に向かった。
順吉もわたしも母親は日曜日もいない。
早く帰ったところで、母から「おかえり」を言ってはもらえない。
日暮れまで外で遊んで帰るのが常だった。
石垣登りを競い合ったあと、お城を出た。
700を超える露天商が並ぶ日曜市も、仕舞いどきだ。
大半の露店は片付けられていて追手筋の通りは歯抜け状態だった。
時計台のある追手前高校の前では、おばやんが露店の片付けに難儀していた。
迎えのひとが来ておらず、ひとりでテントを外そうと躍起になっていた。
順吉とうなずきあい、片付けの手伝いに入った。
小6でも男子ふたりなら役に立つ。
テントもパイプの柱も手際よく片付けられた。
泳いだあと石垣登りまでして、ひどく空腹だった。
パイプを取り外すとき、背伸びした拍子に空腹が鳴いた。
おばやんは順吉だと勘違いして、日焼け顔を向けた。
順吉は言いわけをせず、腹の虫が鳴いた役をかぶってくれた。
手伝いが終わったとき、売れ残りのいなり寿司を一個ずつ駄賃にくれた。
三角の油揚げに詰まった五目寿司。
これが高知のいなり寿司だ。
揚げが大きいので寿司もでかい。
「おおきに。おかげで助かったきに」
迎えのオート三輪荷台に乗ったあと、見えなくなるまでほころび顔で手を振ってくれた。
夕陽を浴びた時計台を見ながら、順吉と惜しみながら食べたいなり寿司。
揚げの甘さが五目寿司に染みこんでいた。
東京のいなり寿司は五目寿司ではなく、白い寿司飯だ。揚げも三角ではない。
が、高知から上京して半世紀を超えたいまは、江戸風いなり寿司に慣れていた。
取材で東京スカイツリー周辺を探訪したとき、いなり寿司の老舗『味吟』を知った。
ハス、切り昆布、刻みニンジンがごはんに混ざっている。
秘伝の煮汁で煮付けられた揚げは、五目ごはんとの相性が見事だ。
「大川の花火の日は、ビールにいなり寿司が昔からお決まりでしてねえ……」
親方の笑顔に、遠い昔、いつまでも手を振ってくれたおばやんの顔が重なって見えた。
INFORMATION
そのコンテストに寄せて、直木賞作家の山本一力さんが書き下ろしたエッセーをお届けします。
第7回「よくしみた、いなり寿司」
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