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-よみもの-
第9回「麗しや、ネギ」
トモのネギ嫌いは尋常ではなかった。
トモとは二十代からの仕事仲間、朝長一浩だ。かつて東京・晴海には、国際見本市会場のドーム館があった。
そこで催される各種展示会のブース(小間) プラン売り込みが、我が仕事。
トモはブース設計のデザイナーだった。
限られた人数で、限られた時間内に展示ブースを仕上げるため、徹夜仕事が続いた。
現場で食べる昼夜の弁当が、一番の楽しみだ。
当番はクルマで築地の弁当屋とラーメン屋から、日替わり弁当を買ってきていた。
あるとき、出来たてのチャーハンが晩飯となった。
チャーシュウと卵、刻みネギが絡まりあった、弁当を超えた美味さだった。
プラスチックのスプーンは食べやすい。
だれもが空腹で、たちまち一人前を平らげた。
仕事の厳しさを多少でも和らげるため、弁当はひとり二人前が用意されていた。
新たなふたを開いたとき、トモはまだ最初のチャーハンを半分しか食べてなかった。
180センチ超のやせ形だが、健啖家なのに。
「どうした、チャーハンは嫌いか?」
静かに首を振ったトモは、スプーンで刻みネギを一つずつ取り除いていた。
「おまえって、そこまでネギが……」
この一件以来、だれもトモのネギ嫌いを疑う者はいなくなった。
自己都合の転職で、会社に残ったトモとの行き来が途絶えた。
20年ぶりに再会できたのは、1997年5月。
オール讀物新人賞受賞を喜んでくれての昼飯で、だった。
互いに懐かしい築地のあのラーメン屋さんで、ふたりともチャーハンを注文した。
驚いたことに、トモは刻みネギも食べた。
「なにがあったんだ、トモ?」
思わず甲高い声で問い質した。
レンゲを置いて、トモは話し始めた。
高校時代から慕っていた同郷のエミちゃんの話は、何度も聞かされていた。
その彼女と結婚し、すでに息子まで授かっていた。
「食べた方がいいって言われたから…」
はにかみ顔のトモは、刻みネギを食べていることに、満ち足りている様子だった。
結婚後、ネギを食べ始めて20年が過ぎていた。
あれほど苦手だった食材を、あっさり食べ始めたほどに、連れ合いを深く想っていた。
トモが残った会社は、150人にまで成長していた。が、いまだ現場に出ていた。
「弁当のネギが、甘くて美味かったとは」
嫌っていた味を美味いと称える口調は、まるでのろけに聞こえた。
トモは2017年2月、65歳で逝った。
一途に慕い続けてきた愛妻に看取られて。
25年間、ネギを苦手として生きていた。
惚れ抜いた女性と所帯を構えたあとの40年、トモはネギをも伴侶としていたのだ。
よく調理されたネギから滲み出る、甘味すら感じられる美味さ。
トモは美味さのみならず愛情までも賞味できた、羨ましき男だった。
INFORMATION
そのコンテストに寄せて、直木賞作家の山本一力さんが書き下ろしたエッセーをお届けします。
第9回「麗しや、ネギ」
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