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-よみもの-

第13回「知らんざったけんど、郷里の味!」

2021年5月下旬。郷里のヒロシから、超弩級の宅配便が届いた。
前日に電話を受けており、宅配便の中身は分かっていたのだが……。
土佐の桂浜は、かつては五色の小石が浜を埋めていた景勝地。
月の名所としても知られ、昭和初期建立の坂本龍馬立像が、眼前に広がる太平洋土佐湾を見詰めている。
景勝地ながら桂浜に打ち寄せる波濤は、うかつな浜遊びを許してはくれない。
波打ち際から一気に落ち込んでいる浜は、昔から遊泳禁止だ。
「波打ち際に近寄ったらいかん!」
遠足時、先生からこれをきつく言われた。
ヒロシはそんな土佐湾に、自家用漁船で出漁。カツオとキハダマグロを一本ずつ。
スチロールのトロ箱には収まらず、段ボール箱二つをつないだ、規格外れの荷姿で。
丸ごとのカツオが届くと知らされるなり、カミさんはヒロシの奥方かよちゃんに、電話を代わってもらった。そして。
「カツオのあら煮はしょうゆと砂糖、日本酒で間違っていませんよね?」と確かめたら。
「うちではマダケを一緒に煮ているのよ」
家の裏山で採れたマダケを茹でて、同梱してくれていた。細長いマダケは、もちろん見知っていた。
が、マダケ入りカツオのあら煮など、あのときまで食べたことはなかった。

昭和30年代の高知では町の鮮魚屋の大半が、店先でカツオをさばいていた。
真ん中の太い背骨何尾分もを、皿一杯5円~10円で売っていた。
身も美味いが骨に残った身は安くてうまいことを、あの時代の客は知っていた。
亡母が煮つけてくれたカツオのあら煮は、甘辛いご馳走だった。
赤貧の母子家庭では、カツオ身のタタキは手が届かない。
が、あらなら毎日でも買えた。
両手で骨を持ち、背骨にへばりついた身を食べた。
甘味の少なかったあのころ、甘辛い骨の身は飛び切りのおかずだった。
皿に残った煮汁は、ごはんにかけた。
食べ盛りのこどもは、煮汁だけで一膳のごはんを平らげたものだ。
ヒロシが釣り上げたカツオをさばいたのは、プロならぬカミさんだ。
嬉しいことに背骨には、たっぷり身がへばりついていた。
マダケと合わせ煮したら、さぞかしカツオの旨味がまとわりつくに違いないと思うと、生唾が口に広がった。
鍋から噴き出す蒸気には煮ガツオ特有の香りに、しょうゆ・砂糖・日本酒が絡まっていた。
が、タケノコ臭は含まれていない。どんな味になるのやらと、不安も感じた。
出来上がりに箸をつけるなり、カミさんと顔を見交わし、同時に「美味い!」が出た。
初めての賞味だったが、これぞ土佐の味だと身体が騒いだ。
海の鰹も山の筍も、あの土佐の空気と水とで育っていたから。

INFORMATION

キッコーマンが応援する、食にまつわる楽しさやうれしさをつづっていただく「あなたの『おいしい記憶』をおしえてください。」コンテスト。
そのコンテストに寄せて、直木賞作家の山本一力さんが書き下ろしたエッセーをお届けします。

第13回「知らんざったけんど、郷里の味!」
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