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-よみもの-

第15回「生トマトと焦し醤油」

1962年12月25日午後6時。東京渋谷の米空軍将校住宅地ワシントンハイツで待っていたゲリーは、父親の軍用ジャンパー姿だった。
 あの年7月、中3だったわたしはハイツ内への英字新聞配達を始めた。ゲリーは配達先で仲良くなった、年下の少年だ。彼の母親はご主人ロバート中尉の意向に従い感謝祭に続き、クリスマスの夕食にも招いてくれた。
 ゲートからは並んで傾斜道を進み、白い木造平屋に向かった。玄関ではロバートさんご本人がドアを開き迎えてくれた。ゲリーの兄ビル、姉のメリージョーも後ろにいた。
 ママはキッチンで料理の仕上げ真っ只中。だれもが履物を履いたままだが、わたしは玄関マットの上で運動靴を脱いだ。二度目ゆえ驚かれることなく、持参のスリッパを履いた。
「これがケンへのプレゼント」とビルから、赤いリボンが巻かれた小箱を差し出された。ビルたち三人が小遣いを出し合ったプレゼントだと、英語と身振りとで教えてくれた。
 わたしは赤い銘々袋に収めた、昭和38年の干支「うさぎ」の指人形を三人に手渡した。
「開いてもいい?」とビル。「もちろん」と答え、四人が一斉に包みを開いた。
 代々木上原駅前の手芸店で求めた指人形。彼らからのギフトは、おとな気分が味わえると人気の「ウイスキーボンボン」だった。
 ロバートさんから「うさぎ」の意味を訊かれたとき、ママの料理が仕上がった。
 イタリア系ママのクリスマス料理は、スパゲティーミートボールとステーキ。トマトとにんにくの香りと、焦がされた醤油の香ばしさが混ざり合って食卓から漂ってきた。
「パスタは母のクリスマス料理だったのよ」
 カタコトしか話せない中3小僧に、ママは一語ずつ区切り、大きな身振りを添えて説明してくれた。あの時代の東京では、トマトは夏限りの物だ。ところがハイツ内PX(特大スーパー)には空輸された生のトマトがあった。
 パスタソース主役は生トマト。酸味と、にんにくとが縺れ合い、ミートボールに絡まりついていた。初めての味に舌は仰天。無作法だとは知らず、音を立ててすすった。
ロバートさんはターキーが苦手で、ステーキがメインだ。なんとハイツ内ではステーキを、醤油で仕上げるのが流行っていた。
「ここの料理教室で、焦がしたソイソース(醤油)がステーキの美味さを引き立てると教わったの。試したらボブ(ロバート)も大喜びで、こどもたちにも大人気なのよ」
 ビルは親指を立てて、早く食べてと促した。あの夜、初めて食べた分厚いステーキ。醤油で脂身まで平らげて、ママに喜ばれた。
 食事の後、ロバートさんとママの助けを借りつつ、十二支の説明をした。
「おれはタイガーだ」とビル。「わたしはこのラビットよ」と、メリージョーは指人形を動かした。「ぼくはスネークか……」と、哀しげなゲリーの物言いに、全員が爆笑した。
もはや遠い昔の話だが、いまもクリスマスにはトマトソースのパスタとステーキだ。

INFORMATION

キッコーマンが応援する、食にまつわる楽しさやうれしさをつづっていただく「あなたの『おいしい記憶』をおしえてください。」コンテスト。
そのコンテストに寄せて、直木賞作家の山本一力さんが書き下ろしたエッセーをお届けします。
第15回「生トマトと焦し醤油」

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