江戸時代のしょうゆ輸出について
アジア各地へのしょうゆの輸出
長崎商館から輸出された品々は、細かく『長崎商館仕訳帳』に記録されています。記録によりますと、1647年(正保9年)から1720年(享保5年)まで、「本方荷物」としてしょうゆが長崎商館から、直接、アジア各地に輸出された際の仕向地別、最初の輸出量などは、表のとおりです。
また、図は記録にあるアジア各地の商館のあった場所です。図と表を照らしてみると分かるように、しょうゆの輸出先は、東は現在のモルッカ群島から、南はジャカルタ、スリランカ、西はインド西海岸まで広い地域に及んでいます。これらの地でのしょうゆの主な需要者は、華僑の人々でした。


「長崎商館によるアジア地域向けしょうゆ輸出」(1647年~1720年)
商館名 | 輸出開始又は記録初見 | その後の輸出記録 (一部) |
備考 | |||
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商館 | 所在の現在地名 | 年 | 量 | 年 | 量 | |
台湾商館 | 台湾: 安平(アンピン) |
1647年 | 10樽 | 1652年 | (大)8樽 | トンキン他に移送 ※1662年2月商館閉鎖 |
トンキン商館 | ヴェトナム: ハノイ |
1652年 | (小)50樽 | 1665年 | (大)20樽 (小)50樽 |
(大)は大樽=29.104 (小)は小樽=14.552(以下同じ) |
シャム商館 | タイ:アユタヤ | 1657年 | (大)3樽 | 1658年 1659年 1665年 1682年 |
(大)5樽 3樽 (大)3樽 65樽 |
樽に大・小の区別がないものは、大きさが不明 ※1762年商館閉鎖 |
バタビア本店商館 | ジャカルタ | 1659年 | (大)4樽 | 1660年 1665年 1693年 |
(大)6樽 (大)3樽 (大)60樽 |
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マラッカ商館 | マレーシア: マラッカ |
不明 | 不明 | 1665年 1693年 |
(大)11樽 (大)3樽 |
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ピニャルー商館 | カンボジア: プノンペン北西 250km |
1665年 | 1樽 | ※1667年商館閉鎖 | ||
パリアカッタ商館 | インド東海岸: マドラスの北40km |
1666年 | (大)12樽 | 1693年 | (大)4樽 | |
フーグリ商館 | インド: ベンガル地方 |
1666年 | (大)3樽 | 1693年 | (大)3樽 | |
コロンボ商館 | スリランカ: コロンボ |
1670年 | 2樽 | 1677年 1679年 1693年 |
12樽 (小)22樽 (大)12樽 |
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スラッタ商館 | インド北西海岸: スラト |
1672年 | 2樽 | 1677年 1708年 |
2樽 (大)50樽 |
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アンボイナ商館 バンダ商館 テルナーテ商館 |
インドネシア: モルッカ諸島 |
1693年 | アンボイナ(大)3樽 バンダ(大)3樽 テルナーテ(大)3樽 |
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マカッサル商館 | インドネシア: スラウェシ(セレベス)島 |
1693年 | (大)2樽 |
山脇悌二郎『江戸時代、醤油の海外輸出』より作成